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昭和の​アルバム

シリーズ連載

長野県の豪雨で破損した貝野橋(昭和34年8月14日)

十日町市博物館所蔵写真  (十日町情報館 齋藤 浩俊)

 昭和34年(1959)8月14日の夕暮れ、雨は降っていないのに、信濃川の水位は突然に増しはじめた。明け方には警戒水位の倍近くにまで達し、各地で堤防が決壊。道や田畑は浸水し、橋は流失した。これは、盆の十日町、中魚沼を襲った10年ぶりの大水害で、台風7号が長野県に豪雨をもたらし、信濃川水系に沿って中・下流域の新潟県へと河水が押し寄せたもの。貝野村(姿)と水沢村(新宮)にまたがる貝野橋も破損した橋の一つ。写真は濁流にもまれる橋の西側、姿方面の様子で、なすすべもなく流れを眺める人々が見える。

 貝野橋は貝野橋株式会社により建設され、開通式は昭和7年(1959)8月31日。96歳になる姿集落の最長老を先頭に渡り初めが行われた。全長約152㍍、鉄橋部約109㍍、木橋部約43㍍、橋幅は約3.5㍍。宮中ダムなど信濃川発電所工事の本格化を見越し、重量物の運搬にも耐えうる構造であった。当初、地元住人以外は通行料として子ども2銭、大人5銭、馬10銭、車20銭が徴収された。(18年に県道昇格で通行は無料に)川に阻まれて「陸の孤島のようだ」と嘆かれていた貝野村としては、待ち望んだ生命線の開通であった。

 完成後も増水のたび破損を繰り返した貝野橋であるが、34年の決壊後は一部をコンクリート製に改修。42年(1967)秋には名を姿大橋と改めて永久橋として再生し、今も重要な交通網としての役割を担っている。

(2020年9月26日号掲載)

旧原村と十日町村の境界だった榎町(昭和30年頃)

十日町市本町東1 瀧澤榮輔さん(大正13年生れ)

 国道117号線沿い本町1丁目の二見屋菓子店と2丁目の滝長商店の間を入り、東側の山手に向かう170㍍程の通りはかつて「榎町」(えのきちょう)と呼ばれた。榎町は榎川沿いにできた町内で、写真は昭和30年頃(1955頃)に撮影されたもの。写真左側が榎川で、そこ暮らす人々のほのぼのとした様子が写っている。

 瀧澤榮輔さんは自分の町内の歴史を記録しておこうと平成23年に『榎川と榎町の物語』を出版。「榎町は旧原村に含まれ明治29年(1896)に旧十日町村と合併して『十日町』になり、原村は原町と、現在の本町2丁目は一之丁と呼ばれた。昭和29年(1954)の市町村合併で原町は本町1丁目に、一之丁が本町2丁目になった。榎川は原村と十日町村の境界であり、境界木として榎が立っていた」と語る。戦時下、贅沢禁止令の『七・七禁令』が発布されて十日町の絹織物は大打撃を受けたが、昭和25年(1950)に禁令は解除。「旧原村には関芳、滝文、吉澤、エドヤと機屋が立ち並んでいたが、写真の30年頃は十日町産地の戦後復興の兆しが見え、気持ちにも明るさが見えた頃」だと言う。榎川に水車を架け、それを動力にして米屋が米を搗き、撚糸屋が糸を撚った。町内には芸者置屋、料理屋、菓子屋、床屋、銭湯などがあり「粋が香る賑やかな町内だった」と懐かしむ。

(2020年9月19日号掲載)

土砂降りの中での「津南駅」スタート(昭和43年10月1日)

津南町押付 高橋 徹さん(昭和27年生れ)

 越後外丸駅が現在の『津南駅』に改称されたのは昭和43年(1968年)10月1日。「あの当時は年2回のダイヤ改正があり、その一つだった10月に合わせて改称したのだと思う」。ただこの日は、あいにくの土砂降り。写真を見るとくす玉近くの来賓は傘を差し、地面は雨でドロドロだ。「この時は高校生で、父のカメラを借りて撮った。当時まだ車は一般家庭にはほぼなかった時代。来賓、いわゆる偉い人が車に乗って駅に来たと思うんだけど、詳しいことは覚えていない」。雨の門出の日、駅前に万国旗を掲げ祝った。くす玉の中の入っていた垂れ幕には『永えんに栄へあれ津南駅』と書かれていた。

津南駅に改称した頃はちょうど車両が蒸気機関車からディーゼルカーに移行していた期間の最後の頃でもあった。「昭和47年に蒸気機関車が貨物列車牽引から引退する頃、モータリゼーションが進み、物流の主役は次第に車に移っていった」。駅中心にすべてが動いていた時代は終わり、車の時代が到来する直前に生まれた津南駅。平成7年(1995年)には温泉併設の駅となり、住民の癒しの場ともなっている。来月1日、津南駅と改称し52年目を迎える。

(2020年9月12日号掲載)

人と物が集まる拠点だった越後外丸駅(昭和43年)

津南町押付 高橋 徹さん(昭和27年生れ)

 飯山鉄道・越後外丸駅(現在のJR東日本・津南駅)ができたのは93年前の昭和2年(1927)8月1日。人と物を運ぶのは鉄道が中心の時代であり、どの地域も駅を中心に発展した。写真は越後外丸駅前風景。『歓迎 山菜狩り旅行団』ののぼりがある。「冬は『駅から0分』を前面に出した津南スキー場があったが、グリーンシーズンにも人を呼び込む取り組みも始まっていた」。写真左奥に新聞店、そして食堂が見える。「他にも近くに食堂や食料品店があり、外丸炭鉱で働いた人が近くの店で『あがり酒』といって缶詰やかわきものをつまみに酒や焼酎を量り売りして貰い、一杯ひっかけてから家に帰っていた。でも家でもまた飲んでたんだろうな」。写真右には映画の宣伝ポスターがある。「当時は津南に二つの映画館があったから」。止まっているバスは頚城バス。「会社のマークがアルファベットの『K』を丸で囲んでいたものだったから『マルケイ』とみんな呼んでいた。昔は越後外丸駅から樽田経由で松之山までバスが走っていた。今の国道405号線だが、当時の道は細い砂利道。運転は大変だったと思う」。この写真が撮られた同年10月、越後外丸駅は『津南駅』に改称された。

(2020年9月5日号掲載)

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