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​妻有職人伝

シリーズ連載

「地域で一番の店に」と語る葉葺浩資さん

ラポート十日町

㉚ ラポート十日町 葉葺浩資さん

 両親は共働きで、家での料理はもっぱら祖母が受け持った。煮物など和食が中心で中学生の頃「若いもんが食う料理が食いてぇ」と自分で料理したのが現在の道に進むきっかけだった。「今思えば祖母の料理は美味しいものだったんですけどねー」と笑う葉葺浩資さん(34)。

 十日町総合高校当時、料理の授業があり「将来はこの仕事でいきたい」と思い、都内の調理専門学校へ進学。和洋中と学ぶなか、盛り付けの繊細さや四季の表現、日本人の心も感じ和食を選ぶ。学校から紹介された就職先は「卒業生が居着かない」と言われた都内でも屈指の厳しい料亭。

 初の出勤日、親方に出した湯のみ茶碗が自分に吹っ飛んできた。「その茶碗に私はなみなみと熱い茶を注いだ。飲み加減や心遣い、見映えを教えてくれたんだろう」と振り返る。最初の1年間は料理らしい料理はさせてもらえず、下準備に追われ、料理に対する精神性も体で覚えさせられた。

 「なにくそ」という生まれ持っての負けず嫌いの根性で耐え、教えられるまで待つのではなく、親方や先輩の仕事を見て積極的に技術を自分のものにした。さらに「勉強させてくれ」と、料亭出入りの仲卸業者に頼んで築地市場の店で出勤前に魚をさばかせてもらうことも続けた。陰の努力が認められ、わずか2年目で揚げ場や焼き場に立たせてもらった。5年目にして花板(親方)に次ぐ、向板(むこういた)に就き、献立も任されるようになるようになった。

 板前としてただ作業する人間ではなく、経営者側の考えを持たなくてはならないことを教わる。「粗利(あらり=売上から原価を引いた金額)を上げるには原価計算も必要で、なおかつ、お客には大いに満足してもらわなくてはならい。その点も親方は厳しく指導してくれた」と語る。

 26歳で帰郷。次の職場を探しているとラポートから「ウチに来ないか」と誘いを受けて和食部門に就職。大人数の宴席が多いが料亭時代に「いろいろな所を経験しろ」と旅館やホテルなどでも仕事をさせてもらったことがあり、とまどいはなかった。当初から献立も任されたが、大人数の料理をいかに美味しくタイミングよく出すかの工夫の連続だった。肉料理なら6割ぐらいの火の通りにして温蔵庫内で食べごろになるよう温度を調整し、提供時間に料理が完成するようにするなどした。

 32歳で和食料理長に抜擢。「東京の親方は喜んでくれ『そういうつもりでお前を育てた。お前ならやれるだろうと思っていた』と言ってくれた。教えは今に役立っていることが多く感謝しかありません」。店の良し悪しはサービススタッフで決まると言う。「同じ料理でもぶっきら棒に出せば不味くなる。板前とサービスが一体となり、お客の思いに寄り添って地域一番店にしたい」と志は高い。

 

「なにくそ」と腕磨く

心のふれあいを大切に。冠婚葬祭部門、食品小売業、旅行業、リース事業など地域に根ざした人々に愛される施設づくりをめざしています。

(2020年4月25日号掲載)

長年人気のパンも大事にする髙橋さん

フレンドリー髙橋

パン、ケーキ、大福、赤飯など懐かしい味を守りつつ、新しい味の提案を忘れない。

新しさより品質維持を

㉙ フレンドリー髙橋(髙橋パン) 髙橋信之介さん

 創業から60年余り。柔らかく口当たりの良いパンにクリームを挟んだ「サンドパン」と「メロンパン」「カレーパン」は、地元では祖父母から孫へと家族3代にわたり親しまれてきた超ロングセラー商品。下条の栄橋近く「髙橋パン」3代目の髙橋伸之介さん(55)は「その三つのパンは私が物心ついた頃からあったもの。長年多くのお客さんから食べていただき、ありがたいですね」と笑顔を見せる。

 髙橋さんは小学生の頃から家業の製パン工場で手伝いをしていた。焼き上がったパンを箱に入れ、包装などもしており「両親の働く姿を見ていて、3代目を継ぐのは自然の流れという感じ。大学にいる時もその気持ちは揺るぎませんでした」と言う。大学卒業後、22歳で都内のパン店へ。初めの頃は焼き上がったパンをオーブンから出すなどして、店で扱うパンの種類と工程、店頭に並ぶまで仕事の流れを覚えていく。1年程するとパンを切って餡やマーガリンを塗る作業、パン焼きなども任されるようになる。

 さらに仕事を覚えていくとパン生地を捏ねる作業にも携わった。パン生地を作るには温度と時間、重量の3つが大切。また捏ね上げた時の温度も重要だ。「生地を作る時に入れる物の配合は少ないものほどきちんと量る。酵母が少しでも多ければ発酵は早く進んでしまう。様々な要素があり、習うより慣れろでした」。パン作りの基本をその店で学んだ。

 26歳の時に帰郷し、小千谷市にあった店舗を任されたが、通りの向かいにもパン店があり「東京での経験を活かして、向かいの店には負けないようにという思いでパンを焼き、売りました」と当時を振り返る。

 平成12年に下条の製パン工場に。「工場は作る品数と量は多いが、設備も人手も揃っており、そう戸惑いはなかった。また、皆がそれぞれの持ち場で頑張っており、内助の功も大きいです」と従業員と妻の働きに感謝する。現在は40数種類のパンを焼いて市内店舗を中心に卸し、企業や家庭なども回って販売をし、様々なイベントにも出店する。朝は3時頃から仕事を始め、工場に隣接した店舗「フレンドリー」では直売もし、季節の果物を使ったパンなども販売している。

 髙橋さんは「新しいパンを作ることも大事するが、何よりも品質を落とさないようにしていきたい」と心がまえを語る。

(2020年4月11日号掲載)

快適住宅をめざす山田社長(中央)とスタッフ

リフォーム専門店 アフター

​小さな仕事からコツコツと 雨とい1本でも駆けつけます!

雪国の住宅を快適に

㉘ <建築編> リフォーム専門店 アフター 山田大樹さん

 社長の山田大樹さん(48)は地元高校卒業後、十日町市内の建築関係の会社で働き、その経験を活かして家屋の修繕と改築に特化した「リフォーム専門店アフター」を平成17年、四日町新田で創業。スタッフにも恵まれて24年には念願の株式会社となった。

 「小さな仕事からコツコツと。小さな仕事でもすぐに駆け付ける」をモットーに顧客を増やし、近年は市内を中心に年間200件以上のリフォーム工事を請け負う。「雪国で暮らす人々の困りごとを解決して、少しでも快適に過ごせるよう仕事に粉骨砕身する」と取り組んだ工事は多くの顧客から支持を得た。6〜7年前、リフォームの再受注率は50%程だったが現在は80%を超える。工事が終わっても様子をうかがいに顧客を訪れ、感謝の手紙を書き、良い情報を伝えてきた。「まじめにコツコツやってきたが、その積み重ねが現在に繋がっている」と語る。

 高齢者だけの家庭が増え「雪下ろしが大変だ」「家の中が寒い」などという要望に応え工事をすると「もっと早く改築すれば良かった。快適な家で長生きしなくては。本当にありがとう」という顧客の声が山田さんの原動力になる。スマートフォンの普及で同社のホームページを見て県外から「十日町に住む親の家を改築して住みやすくしてほしい」と注文が来る。「インターネットのおかげ。ホームページには施工事例を多く載せてあり、安心に結び付いているようだ。せがれさんたちは『お金は私が出すから』と言う。離れていても親を思う子の気持ちには心温まる」と顔をほころばす。

 同社の協力業者は50社以上。「業者は下請けではない。事業を続けるために協力してくれるパートナーで大切に思っている」と強調する。

 中越地区の女子バレーボール大会を5年前にスポンサーを引き継ぎ「アフターカップ」として毎年開催。「出場を楽しみにしている選手が多く、バレー普及と運動を通じた社会貢献になれば」と言い、休日には妻と一緒に登山。ハーフマラソン出場をめざしトレーニングを続けるスポーツマンでもある。

 「高齢化が進み雪国の生活が困る人が多くなるが、リフォームを通じて顧客とより良い信頼関係を築こうと思う。また、工事だけではなく趣味やスポーツなどから多くの顧客と幅広いお付き合いができる会社にしたい」と話している。同社のホームページは「十日町市アフター」で検索。

(2020年3月21日号掲載)

お客様から刺激を受け続けたいと話す上村さん

割烹 豊成

ベルギーで和食の基礎

㉗ 割烹 豊成 上村良之さん

 鶏の唐揚げの美味さがネット上でも評判。土市駅近くの「割烹豊成」。持ち帰りも可能で遠方からも買いに来る。二代目店主の上村良之さん(53)は「創業は47年前。両親が脱サラし唐揚げ一本で始めた店」だと言う。1階は家族でも気軽に食事を楽しめる店舗で、2階は宴席になっている。

 両親が働く姿を見ていて「自分の進む道は料理の世界なんだろうな」と思い、高校卒業後は都内の調理師専門学校へ。十日町出身の両親の知人が「ニューヨークで和食の店を経営しているが、今度ヨーロッパに店を出す。卒業したらお前も来ないか」の誘いに乗った。単身行った先はベルギー。「学校では英語は赤点。ベルギーは英語どころか公用語はフランス語とオランダ語で言葉が分からず、買い物に行くのも嫌で2か月程ひきこもり生活だった」。従業員とは「単語と身振り手振りで何とかやってきた」と振り返る。

 親方は厳しく食材にも調理法にもこだわりが強い人だったが、それが上村さんの和食の基礎を作ってくれた。2年間働いたが親方に「日本でも仕事をしてみろ」と言われて帰国し東京へ。住む所も職場も決めていなかったので、飛び込みで「働かせてくれ」と店を回った。4軒の和食店で働いたが、父親の具合が悪くなり、平成6年に帰郷。洋食店で働いていた弟も帰ってきた。

 「同じ料理を作るにも親とは手順が違い、ケンカばっかりしていた」と笑う。父は亡くなったが母と弟と3人でがむしゃらに働いた。弟とは和洋どちらでもやろうと様々なメニューが増えていった。そこから客層が広がっていった。家族で来ても年寄りから子どもまで選べるメニューがある。ただ、唐揚げは半世紀近くの年季がある母親がほとんど受け持つ。「母親には長年のファンがいてね。ばあちゃん元気かいと来てくれる」と語る。

 上村さんは「これからもお客のニーズに合わせていきたい。お客の要望から新しいメニューのアイデアがわいてくる」と話している。

(2020年3月14日号掲載)

骨つきの唐揚げが最高に美味。大人数での宴会可能な割烹料理店

氷の彫刻も手がける林正樹さん(左)

林屋旅館

地元で採れた山菜や川魚を使った旬の料理をはじめ、新鮮な魚貝のお料理や肉料理などを、どうぞご堪能ください。
特に山から水を引いて育てた鯉の洗いや鯉こくは、多くの方からお褒めの言葉を頂戴しております。

料理の腕、氷の彫刻にも 「にいがたの名工」に認定

㉖ 林屋旅館 林正樹さん

 創業約百年の老舗「林屋旅館」。初代は当初オムレツなどを出す洋食屋として開業。建物が大きいため、大正10年に着手した信濃川発電所の施設の一つ、宮中取水ダム工事の労務者の宿泊をという要望があり旅館業も始めた。4代目の林正樹さん(47)は和食に腕を振るう。

 長男の林さんは子どもの頃から両親の仕事ぶりを見、手伝いもしていたが「高校生になって旅館業を継承したい」と思うようになった。卒業後は都内の栄養士専門学校へ進学。修了後、柏崎市の高級旅館を修行先に選んだ。同館は地魚も多く扱っていた。「私は仕事の覚えが遅く、このままではまずいと思い、親方から地物の小魚を分けてもらい、仕事が終わってから魚をおろす練習した」と言う。タイやブリなど定番の魚の他、小魚も料理して出していたので、小魚の扱いも覚えた。

 毎日200人程のお客が泊まり忙しかった。150人ぐらいだと今日はヒマだと思うぐらいだった。1年ごとに焼きと揚げ場、前菜場、刺身場、煮方と厨房の4か所を回った。それぞれ場に親方がいて「京都の料亭なら10年も掛かるが効率よく学ぶことができた」。季節の花や草、野菜の葉を使い料理を引き立てる技も知った。

 4年経つと親方から「東京へ行ってこい」と言われ、紹介された先は築地本願寺近くの料亭。寺が近いことから精進料理が多かった。信者が集まる『総参拝』の時は、信者が各地から送る野菜が運動会で使うようなテント3張り分も集まる。3食1週間の料理を賄う。「大根の皮をむいて捨てたら怒られた。野菜のどの部位も無駄にしないことを覚えた」。だが、それぞれの修行は辛いばかりだった

 25歳で帰郷し林屋旅館に入る。自分が考えて料理をしなくてはならなくなると、親方たちが言っていた意味がようやく分かり、仕事の面白さに通じていった。オリジナリティーを出したいと発想したのが料理を引き立てる『氷の彫刻』。氷彫刻家に学び工夫を加え、今では宴席で彫刻が出ないと「今日は無いのか」と言われる程になった。各地で行われる氷の彫刻展にも出場する。

 これまでの料理への取り組みが認められ平成29年には県の『にいがたの名工』に選ばれた。「昔からの良い料理に加え、時代に合わせた料理の工夫も必要と考える。品数を多く出すことを心掛け、お腹も心も満足できる料理にしていきたい」と話している。

(2020年2月29日号掲載)

新たに2月22日にディナー企画も始める蔵カフェ・ジャックマン秋山望店長

蔵 Kura Cafe

"パンケーキカフェ。飲み物はテークアウトOK! Pancake cafe, with coffee and other drinks available to go."

新潟県中魚沼郡津南町大字下船渡戊449

営業時間 10:00~18:00 日曜営業 

定休日 月曜(祝日と重なった時は翌日休み)

営業時間・定休日は変更となる場合がございますので、ご来店前に店舗にご確認ください。

​電話 025-755-5549

https://www.facebook.com/KuraCafeTsunan/

雰囲気も魅力的な空間に

㉕ 蔵カフェ ジャックマン秋山望店長

  「誰でもちょっと寄れて、いつもと少し違う料理を食べ、雰囲気も楽しめるような空間を心がけています」。2年前の7月に津南町大割野にオープンした『蔵カフェ』。その店長を務めるジャックマン秋山望さん(38)はそんな想いを込め、カフェとパンケーキの店を営業している。

 パンケーキには津南産ベリーのソース、食事系のBLTパンケーキには米粉を使用するなど、地元産を随所に取り入れるよう工夫。昨年11月からはランチもスタート。妻有ポークの自家製ベーコン、スモークサーモンを使ったトルティーヤラップを提供。津南町にはこれまでなかった店として関心を集め、町外からも来訪者がある。

 出身は上越市安塚区。高校時代、進路を考えた時「食に関わる学校に行きたいと思い、学ぶならば料理だけでなく栄養も考えられるようになりたいと考え、東京の栄養専門学校に行ったんです」。栄養士免許を取得後、東京の会社の社員食堂で働く。カロリー計算、在庫管理など担当。「ただ1年も過ぎるとつまらなくなり、仕事をしながら居酒屋でバイトを始めたんですよ。そこで接客の面白さを知ったんです。私に『会いに来たよ』と言ってくれるお客さんができたりして」。栄養士をやめ飲食業で働くなか、調理の知識も徐々に深めた。

 22歳頃の時、英会話を習い始める。この時、親しい外国人講師に自分が勤務する店に来て貰った。「だけど外国人の方に、言葉もうまく通じずまったく接客できなかったんです。それが悔しくて」。気持ちに火が付き、カナダ・ビクトリアに留学。さらに帰国後、湯沢町で住み込みバイトで資金を稼ぎ、次はイギリス・ロンドンに飛んだ。「今度は違う国に行き働いてみようと」。ここで日本系の高級鉄板焼店のシェフに。「パフォーマンスを見せながらやる店です。来る方はちょっと裕福な方。3年半ほど勤めましたが、日本と外国の食文化の違いを実感できる貴重な経験でした」。三ツ星ホテルのレストランの前菜部門でも働きパテやピクルスなど作った。「初めて本格的な西洋料理を学びました。この経験は今でも生きています」。結婚・出産などを得るなか、2012年に帰国。子育てしながら学童保育の仕事で英会話料理教室を行うなど、料理には関わり続けた。

 2年前の春、知人を通し『津南町でカフェとパンケーキの店をやらないか』と誘いを受けた。「ちょうどその頃、自分はどういうことをしようかな、と考えていた時期。海外留学もそうですが、好奇心が向いたものに飛び込んじゃうんですよね。津南に移住することを決めました」。そして始まったのが『蔵カフェ』。砂糖は優しい甘さがあるキビ砂糖を使うなど随所にこだわりが入る。さらに地域の芸術家たちの作品を飾る画廊企画、新潟市のフレンチレストランOV(オヴィ)とコラボした出張レストランなど開くなどし、古民家カフェの知名度は広がっている。

 今月から、新たな取り組みがスタート。月1回のディナー企画『蔵ダイニング』を始める。第1回は今月22日。つなベジ会の『豚肉ときのこフェア』に合わせ、妻有ポークや津南産きのこ料理などをブッフェスタイルで提供。「味の組み合わせなど、海外で過ごしたシェフ経験が活きると思います。月によってディナーメニューは変えるつもりです。いつもとちょっと違う、スペシャルな時間を楽しめるようにしますよ」。予約はフェイスブックで受付中だ。

(2020年2月8日号掲載)

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