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​妻有職人伝

シリーズ連載

 

味を次世代につないでいきたいと話す小川さん

レストラン オガワヤ

80年余の歴史を持つファミリーレストランの老舗。子どもからお年寄りまで幅広いファンを持つ実力派でもある。

継続、そして新たな料理

㉟ レストラン オガワヤ 小川 公也さん

 『お前は跡取りだ』と小さい頃から言われ続けていた。「我が家は女系家族。私は80年ぶりぐらいの待望の男の子だったから」。十日町市本町4にあるレストラン「オガワヤ」本店と、リオンドール店を経営する4代目の小川公也さん(29)。祖父母と両親の働く姿をみて、自然と同じ道を進んだ。

 オガワヤは昭和12年頃に曽祖父が食堂として開業。祖父が時代の流れを感じ、ファミリーレストランの形態に変え、80年余の歴史を持つ老舗。両親は昼も夜も忙しかったため、祖父が親代わりとなり可愛がってくれた。「小学校低学年頃から祖父に料理を教わった。鍋にフライパン、火を使わせてくれ、チャーハンや玉子焼きなどを作った。料理することは好きだった」と懐かしむ。

 高校卒業後は都内の調理師専門学校に進み和食を学ぶ。「店は洋食と中華がメインだが、和食はどの部門にも通じ応用できると思った」と言う。在学中にホテルニューオータニ都内本社でアルバイト。料理長の伝手で卒業後は長岡市のニューオータニへ就職した。

 和食は刺身など生ものを扱うため、衛生面は耳が痛くなるほど仕込まれた。和食は繊細で料理長や先輩からは『和食はすべての料理に通じる』と教えられた。仕事は厳しく何度もくじけそうになったが、祖父の『店を背負って立つのはお前だ』の言葉が浮かび辛抱した。後輩が入らず雑用や下ごしらえなどをする「追い回し」を3年間続けた。だが長く勤めたこともあり、刺し場や煮方、焼き場などすべての部署に就かせてもらい、先輩たちの仕事ぶりを見て覚えていった。「料理長や先輩は厳しかったが、人として、料理人として成長させてもらった。今でも交流があり行き詰った時にはアドバイスを受けている」と語る。

 就職から7年目に父が体調を崩したため帰郷、4代目として店の調理場に立った。「お客さんは昔からオガワヤの味に親しんでくれている。ウチの味は代々受け継いできた礎で変えるつもりはないが、そこに新たな料理と味を加えたい」と力を込める。同級生や昔馴染みの人たちが親になり、自分の子を店に連れてくるようになって来た。「その積み重ねと繰り返しが、この店を盛り立ててくれている。ありがたいことだ」としみじみ感じる。

 コロナ禍の外出自粛の波が飲食店を襲いオガワヤは42日間休業したが、緊急事態宣言は解除され営業を再開。『再開が嬉しい』『始まるのを待っていた』と多くのお客が店に来てくれた。「本当に嬉しかった。生涯忘れることは出来ない。これまでの日常がいかに大事なものだったか思い知らされた」。そして「受け継いだバトンを次代に渡せるよう、地域の人に愛される店にしたい」と思いを新たにしている。

(2020年6月27日号掲載)

明石ちぢみの設計に携わる布川さん(右)

色染めの再現性も重要だと石田さん

技が生きる夏の着物「明石ちぢみ」

㉞<織物編> 株式会社 吉澤織物 与市工房 

                  石田 松男さん・児玉 浩さん・布川 大悟さん

 約1500年前から織物が受け継がれているとされる十日町。明治20年代に開発が始まった透き通るような美しさの夏の着物「明石ちぢみ」は後に産地を隆盛に導いていった。戦中から戦後の間、絹織物産地の十日町は壊滅的打撃を受けたが復興を遂げ、現代でも明石ちぢみは多くの人々に愛され続けている。

 国の指定伝統的工芸品でもある明石ちぢみ。昭和町の吉澤織物・与市工房では3人の伝統工芸士と多くの従業員の手で生産が行われている。

 明石ちぢみの図案を設計する意匠部門の布川大悟さん(34)は県内で一番若い伝統工芸士で、設計以外にも様々な生産工程にも携わる。微細な方眼紙に鉛筆と色鉛筆で明石ちぢみをデザイン。これが明石ちぢみの設計図になる。「入社後、市内の渡吉織物さんで1年間織物の工程を勉強させてもらったが貴重な体験だった。工程をしっかり知ることでイメージが作りやすく現実味がある図案が描ける」と言う。染め色は1000色に上る。反物として織り上がった時、どういう見え方をするかを考えて設計する。「色の強弱は難しい。染めを外注に出す場合、この人なら濃いめの色が得意、あの人なら淡い色が得意などと設計段階から職人を選ぶことも必要。市場の流行も取入れ進化して、購入者に喜んでもらいたい」と語る。

 染色部門の伝統工芸士、石田松男さん(66)の父親も同工房で染めを担当していた。企画から色見本をもらい、それに合うように白い糸を染める。「染めの温度に加え、早く染め付く、遅く染め付くなどの染料の性質を知った上で、複数の染料を配合して色を作らなくてはならない。さらに糸の種類によっても染め上がり違う。一人前と言われるまでには10年はかかった」。製品の追加注文があった際は「染めるたびに色がまちまちではダメ。複数色のぼかし染めもあり非常に難しいが、色の再現性も染め部門では大事な要素になる。もっと色の勉強をして他の会社では出来ない吉澤独特の色を作っていきたい」と力を込める。

 製織部門の伝統工芸士、児玉浩さん(59)は最終工程の織り場で織機に向かう。「織物の職人は台直し(織機の修理)から機織りまですべてやる。織機も糸も生きており、それを知るためにも必要」だと言う。通常の紬の経糸(たていと)は1200本程だが明石ちぢみの経糸は2292本。「反物の幅は決まっているので、それだけ細い糸を使っている。緯糸(よこいと)は撚り(より)を強くしてあり、それが涼やかなシャリ感を出す。緯糸は右撚りと左撚りのものを交互にいれるが、それをしないと撚りが強いので反物がねじれてしまう。細く強撚糸のため季節による温度と湿度にも気を使う」。そして「織物は妥協すると終わり。良い製品は出来ない。集中力を高めて取り組む」と強調した。

 村山峰夫工房長(69)は「彼らは自分から志して伝統工芸士を受験しており、仕事に力強さを感じる。明石伝統の定番はもちろん大事だが、時代のセンスと要望を取り込んだ変化が重要。変化を成し得た所が生き残っていける。そして皆の努力を販売に結び付けなくては」と話していた。

(2020年6月20日号掲載)

温度と湿度による調整も必要と話す児玉さん

株式会社 吉澤織物

日本のすばらしい染織技術と伝統・文化、

そして美意識を伝承し次の世代に

きちんと伝えていくために、私たちは

​「日本一のきもの製造業」をめざします。

会社の技術を高めたいと話す池田さん

池田塗装

常に安全第一。社員一人一人が自分の技術に誇りを持ち、職業奉仕の理念で地域社会に貢献させて頂きます。

​活躍する職人集団に

㉝<建築編> 池田塗装 池田 貴行さん

 塗装や住宅リフォーム、修繕工事を手掛ける池田塗装(池田重夫社長・十日町市神明町)は68年前の昭和27年に創業。3代目の池田貴行さん(44)は「社長の父からは『自分たちで足場をかける仕事。顧客のために住宅の悪い所があれば一式見てやらなくてはダメだ』と口を酸っぱくして言われていた」と思い起こす。

    ◇◇◇ 

 池田さんは建築、土木、機械などについて教える都内の中央工学校を卒業後、天然ガスのパイプラインなどに関する設計を行う会社に就職し、事務所で図面を引くだけではなく海外の工事現場にも出向いた。数百億円の事業で1日工事が遅れると1億円違ってくるという大きな仕事。設計図と現地の資材等が合っているかをチェックすることも重要だった。

 「父は『お前の好きな道に進め』と言ってはいたが、家業のことが頭にあり、東京にいた仲間も十日町に戻り始めていたこともあって帰郷を決めた」と振り返る。

 30歳で十日町へ戻り、父の会社で先輩の職人と共に仕事をしていたが「取れる資格は取れ」という勧めを受けて勉強し、建築塗装技能士や施工管理技士、建築士の資格も取った。「ゼネコンの仕事もあるが、ただのペンキ屋と違い、名刺交換の際は肩書があると無いとでは信用度が違う。付き合いの中で仕事の幅も広がってきた」と語る。

 一般住宅に加え、十日町小学校、湯沢学園、マンション、ホテルなどの大きな仕事も請け負い、塗装面積が1万平方㍍を超える現場もあった。「色々な業種が現場に入り、ケツを追われるような仕事だったが様々なことを教わった。他の業者との繋がりもそこで出来てきた」と言う。

 職人としての仕事だけではなく、社長業を継ぐために営業から見積り、設計などの仕事も増えてきた。設計はお手のもので現場を計測してパソコンの設計ソフトで図面を作り、部品の調達など職人の手間の軽減と効率化を図り、事前の工事イメージ作りもできる。また、手軽に持ち運びができるタブレット端末も活用する。以前は塗料の見本帳で塗装する色を顧客から選んでもらっていたが、家などの現場写真を撮影して取り込み、塗り分ける場所を区画するとワンタッチで屋根や壁面などに色を付け、簡単に色を変えることもできる。色の組み合わせも自由にでき、施工後の顧客満足度向上にも結び付いてきた。施主からの「ありがとう。良かった」の笑顔と言葉が次の仕事への原動力になる。

 「これまで我が社を支えてくれた職人たちの経験を大事にして次の時代に繋げていく。そして市内と近隣だけではなく、全国でも海外でも通用する職人集団にしていきたい」と強い思いを膨らませている。

(2020年6月6日号掲載)

阿部さん(中央)を中心に設計から地域作りを考えるstudio-H5のメンバー

Studio-H5(スタヂオ・エチゴ)

新潟県十日町市に拠点を置く建築士を中心としたデザイナー集団。

948-0103 十日町市小泉167-1

営業時間/8:00〜18:00 日曜定休

電話  025-757-2181

http://studio-h5.weebly.com/

「人」を重視、地域の魅力を

㉜ Studio-H5(スタヂオ・エチゴ)

 住民自身が地域課題を解決するための手法のコミュニティデザイン。それに携わるstudio-L(スタジオL)の山崎亮氏の構想と実績に触発された十日町市内在住の建築士、阿部正義さん(55)、福崎哲也さん(48)、鈴木博さん(44)、韮澤篤さん(44)、佐藤幸治さん(40)の5人が集まり『studio-H5』(スタヂオ・エチゴ)を平成24年に立ち上げた。

 「箱モノは設計して建設して、それで終わりが当たり前だと思っていた。しかし、山崎さんの考えは違っていた。『その建物を今後使う人が第一で、いくら良い建物を作っても人が置いてけぼりでは意味が無い』というものだった。私たちには施工後も強く『人』を重視する思いが抜け落ちていた」と代表の阿部さん。H5の活動は市内で山崎さんの講演会を開くことから始まった。当時、市には中心市街地活性化基本計画が持ち上がっており講演会は市が共催し、それがきっかけで行政との繋がりもできた。

 その後、十日町産業フェスタで地域における多様なエネルギーを提案し、長岡造形大学の学生と市街地の可能性を提案する「十日町市まちなかフィールドワーク」を開催。「日々悩んで大変な思いをした」という廃校施設利用を目的としたキャンパス白倉での各種ワークショップを通じた利活用事業を実施した。

 そしてスタジオLから「一緒にやらないか」と声がかかり、十日町市中心市街地活性化事業「まちなかステージづくり」に参画してファシリテーター(進行を円滑にして目的達成のため中立的立場で働きかける役目)として市民の声を設計者に届けるなどと、H5は活動の幅を広げて人と建物と地域を結ぶ役割を高めていった。

 平成26年には中山間地住宅『みんなの家めぶき』の設計監理を行うが、鈴木さんは「H5が設計を受けて、H5自体に売り上げをもたらした。その上、私が勤務する建築会社が建築の仕事を請け負った」とH5の活動がメンバー各自の事業にも好影響を与えていったことを語る。

 さらに、H5はアウトドアファンに根強い人気を持つブランド「スノーピーク」とも市内の大厳寺高原キャンプ場の仕事で協働し、若手農業者グループちゃーはんの発信にも一役買い「田んぼの教室」も作った。佐藤さんは「平成20年にUターンしてきたが仕事しているだけで何となくモヤモヤ。H5で楽しんで仕事をしていると入ってくる情報が変わってきた。これからはメンバーを募り新たな事業展開を考えたい」と言う。

 平成28年には『studio-H5合同会社』を設立した。阿部さんは「新型コロナの影響でリモートワークが増え、事務所が不要だと言う事業者が多く出ている。その状況を捉えて若者が『十日町はおもしろく可能性を感じる。十日町に関わる仕事をしてみたい』と思える場所になるよう、設計・デザインの立場から考えていく。さらには若者が帰って来られる町にしたい」と強調した。

(2020年5月30日号掲載)

宮大工の技術「指し作り」を活かす柳さん

柳工務所

新築住宅のほか、社寺建築、古民家再生まで請け負う

​宮大工の技法を住宅に

㉛ <建築編> 柳工務所 柳 洋治さん

 152年前の明治元年生まれの曽祖父が創業した柳工務所(高田町3西)。宮大工の技術を継承する同社は新築住宅の他、社寺建築や古民家再生も請け負う。4代目社長の柳洋治さん(68)は「宮大工の精緻な技法を現代の住宅に活かしている」と語る。

 地元高校卒業後は建築、土木、機械等を学ぶ都内の中央工学校に進学したが「若い頃は青年海外協力隊員として活動したかった」と振り返る。次男坊で家業を継ぐつもりはなかったが、兄が市役所に就職したため「ウチに入ってみるか」という思いだった。20歳で柏崎の建築関係の専門学校へ入り大工の基礎を習う。帰郷後は親方で「頑固オヤジ」と呼ばれた父親に就き、他の弟子たちと共に大工として厳しく仕込まれた。

 柳さんの建築は市場で木材を買うのではなく、地元の山で杉の木を見ることから始まる。「木を見るのはおもしろい。山で木を買うと高いように思えるが、柱を取った後の端材は壁板や棚板などに無駄なく使える。輸入材の米杉と違い、豪雪地の十日町産杉は目が詰んで(年輪間隔が狭い)いて米杉と比べると強度は2倍以上」だと言う。

 同社ではプレカット工法(木材の機械加工)は行わず、柱は一本ずつクセを見てノミや鋸を使っての手刻み。「プレカットでは長い年月のうちに、どうしても狂いが生じてしまう。さらに社寺建築で使う複雑に刻んで組む柱は『指し作り』と言い、地震に遭っても復元力が強い免震構造。1千年以上続く建築技術は非常に素晴らしい。立木の状態からクセを見て、木の使い方を覚えないとできないが、日本の風土に合った工法」だと強調する。昭和初期の建物を移築する時、大黒柱の礎石の下を掘ると抱えるほどの石が多数、1㍍以上の深さで埋まっていた。柳さんが調べると出雲大社と同じ工法で古来からの免振対策だった。

 茅葺き屋根の家の修繕を請け負った時、大工の伯父から「この家を上手く修繕できなければ、新築の家も上手くいかず、腕も上がらないぞ」と言われた言葉が忘れられない。近年は専門学校で墨付け等を覚えても、就職して現場に出ると機械加工が主流で習った技術がまったく使われないまま終わってしまう。日本古来の技術が継承されないと危機感を感じている。

 柳さんの長男も違う道を進むことを考えていたが「俺も大工をやる」と決意。「それが私の大きな力になった」。そして、宮大工の技術にあこがれ、専門学校を終えた若い衆も入った。柳さんのもとで働く従業員はすべて自社で育った大工。「下請け仕事ではないので施行主に引き渡す時は、こちらも嬉しく感動を覚える」。今後は「匠の技術を後世に伝えると共に、デザイン性も重視して新たな建築に取り組みたい」と将来を見据える。

(2020年5月23日号掲載)

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