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社説

 

ふるさと納税の功罪

 辛口批評で知られる元島根県知事で総務相を務めた片山善博氏が「ふるさと納税」を語る。『例えばどこかの自治体に10万円寄付した人は、住民税などの税が9万8千円減税される。加えて寄付先から寄付額の3割相当の返礼品を受けられる。つまり3万円のお気に入り商品をわずか2千円で手に入れられる。ふるさと納税は超ダンピング政策だという所以である』。岩波・世界12月号にある。

 さらに人口減少対策の移住政策も批評する。『移住政策は自治体がお互いに人を奪い合う施策であり、移住促進に力を入れたからといって、この国の人口が増えるわけではない。地域間競争は小さなパイの奪い合いである。それは全体として『労多くして益なし』の不毛の争いでしかない』。ならば、どうする。『それぞれの地域で出生率が上がるように、子どもを産み育てやすい環境を整えることの方に力をいれるべきである』と、当然の帰結を述べる。

 ふるさと納税は、あの元首相・菅氏が考えた「妙案」。その仕掛けにまんまと引っかかっている地方自治体。この制度、狭い国の中での「お金の奪い合い」であり、それを高み見物している国は「はい、頑張って」と、ふるさと納税ランキングを出し煽っている。返礼品競争が激化、それに釣られて動くこの国の人たち。国としては何も変わらず、目減りの一途…。だが、地方自治体は「背に腹は代えられない」と、「そんな事、百も承知」と財源確保に走る姿は、この国の将来を見る思いだ。

 さらに片山氏は語る。『他人の金を奪うためにあれこれ知恵を絞っているのは、オレオレ詐欺集団を彷彿とさせる。自治体はもっとまともなことに知恵を出すべきではないか』。

 我々が納めた税金。それを返してもらうのが地方交付税。配分を握る国に頼むのは「本末転倒」。こうした歪みを正すのが、政治ではないのか。

議員定数と報酬とは

 十日町市議会と津南町議会は「議員定数」の検討を進める。共に議会に特別委員会を設け専任的に取り組む姿勢は、住民代表としての責務の表れだろう。来年秋に改選を向える津南町議会は一足早く、来月7日開会の12月定例議会に「定数2削減案」を議員提案する。十日町市議会は遅くとも改選1年前、来年中には定数論議を含む議会改革の具体策を出す方針だ。

 全国的な傾向だが、議員定数は議会が自ら提案し決めるパターンが多い。一部には市町村長が提案し議会反発を招き紛糾した例もある。だが議会という議論の場を考えるなら、自治体運営の最高責任者が、その自治体を共に司る議会・議員の数を決め提案し、議会の場で堂々と議論することが本来の行政と議会の関係ではないのか、と両自治体の取り組みを見て、思うのだが。

 議会が自らの定数と報酬を考えることは良いことだが、その根幹は財政問題と連動する。ならば自治体トップが「議員の数は…議員報酬は…」と議会提案し、本会議で是非を議論することが本来の議会の役割。その議論を住民が視聴し住民も議論。その住民意見を議員が本会議で反映する、これが住民・議会・行政のあり方ではないのか。

 「定数2削減」を12月議会に議員提案する津南町議会。報酬は据え置きという。ただ、議員個々の判断で受給できる「政務活動費」引上げを行政の特別職報酬等審議会に諮ってもらい、必要なら行政当局が議会提案する。なぜ議員提案しないのか。ならばなぜ議員報酬引上げをしないのか。政務活動費は議員個々の判断で受給する・しないが分かれ、一律的な論議ができない。

 来年改選の津南町議員の役割は、次の議会がさらに活動する議会になるための環境整備だろう。改選のたびに出る「若い世代から…」というなら、しっかり「置き土産」を整えてはどうか。それが今の議員の責務だろう。

スケールメリットか個性メリットか

 魚沼エリアの農協の大同合併が決まった。2024年2月、4JAが合併し、新たな農協組織が誕生する。その拠点をJA十日町に置く方針で協議に入っている。十日町・北魚沼・越後おぢや・津南町の4JA合併はスケールメリットを求める経営戦略だろう。一方、同じ魚沼エリアでJAみなみ魚沼(南魚沼市)は合併に加わらない。自治体とJAが一体化することで「個性メリット」を求める経営戦略だ。要は「誰のための合併なのか」である。

 事業体が一体化すると事業規模が大きくなるのは明らかである。さらに業務の効率化が進み、経営コストの削減につながる。さらに農協の場合、生産品のブランド化を進めやすく、市場シェアの優占度も上がるだろう。一方で、地域特性が出しにくい面がある。魚沼エリアの看板は全国銘柄米「魚沼コシヒカリ」。合併する4農協の地域環境は、まさに平地から山間地まで多様な生産環境にあり、統一的な米ブランドはなかなか出しにくい面がある。特に魚沼コシヒカリはその栽培環境で食味などが大きく異なり、平地産と山間部産を一緒に出荷することは、消費者理解を得られにくい。当然、「棚田米」などの区別化をはかるのだろうが、大同合併の悩ましき課題の一つだろう。

 今回の合併に加わらない「JAみなみ魚沼」。地元自治体・南魚沼市と一体的な営業戦略ができる「個性メリット」は大きい。その背景は、ふるさと納税での実績が物語っている。県トップの45億円のふるさと納税の返礼品の8割余が南魚沼市で生産される魚沼コシヒカリだ。JAみなみ魚沼の独自路線の選択は、こうした「追い風」が影響し、この路線は他の農産物、さらに加工品へと波及するだろう。

 農協合併を地元農業者は何度か経験している。その度に議論された「誰のための合併か」。今回の4JA合併の成否は、その検証になるだろう。

総合診療医、さらに広域連携を

 36歳町長の決断が、具体化しつつあるようだ。「総合診療医研修」を名目に町立津南病院の医師確保を自主財源で実現しようと、先月27日、厚労省本省で記者会見した発信に「複数以上」の応募が届いていると、9日の定例会見で明らかにした。翌10日はオンラインで制度説明会を開き、さらなる応募が期待される。

 一般会計予算70億円前後の自治体が、4年間で5550万円を投じて総合診療医を育てあげ、町立病院で勤務してもらう事業を打ち上げた。本省での会見が奏功したのか、これまでに募集以上の応募が届いているようだ。「これを他の自治体に広め、連携していきたい」と会見で語る桑原悠町長。財源支出は伴うが、医師不足に悩む小さな自治体の医師確保になる可能性を持つ「津南モデル」ともいえる。

 専門化が進む医療界。首都圏の医療機関では専門分野の細分化が進み、いわゆる「まち医者」的な分野の総合診療医の希望は少ないという。全国では志望数はわずか2%程度という。だが、この総合診療医は首都圏や都市部以外の、圧倒的多数のこの国の地方自治体で求められているのは「総合診療医」だろう。高規格救急車、ドクターカー、さらにドクターヘリの整備が進むなか、より重要性を増しているのが「初診」。この初診分野こそ総合診療医の担当だ。

 搬送がスピード化するほど、初診判断が重視され、その先の急性期の2次医療、3次医療につながる。

 財政運営が厳しい小さな自治体では、自主財源の捻出は、やりくりの問題だけではない。今回の津南町の自主財源では、なんとか国の医師確保事業、医師教育育成事業などに当てはめ、交付税措置の対象になるように、県や国と協議を始めている。これが実現すれば、これも「津南モデル」になる。先例がないなら、その第一号になればよい。知恵出し、押しの一手だろう。

妻有の高校教育をどうするのか

 松之山分校の募集停止が決まってしまった。先週28日、県教委が決めた。2023年度の県立高校募集計画を見ると、全県で13学級が減り、定員では520人が減少する。こういう時代になっているこの現実を前に、松之山分校定員40人は、いとも簡単に片づけられた、と言っては言い過ぎだろうか。『なぜ』を繰り返した紙面を知事、教育長に直接送付したが音沙汰無しだった。この松之山分校問題、広域で協議し、次なる一手を連携して取り組む協議の場があったのかどうか、地元行政担当者に問いたい。

 1日の定例会見で関口市長は「魚沼圏域の30年後、50年後、どうあるべきか、その姿を示してほしい」と再度県教委へのメッセージを発した。だが、何度目かになるこの言葉への県教委の返答は、少なくとも我々の耳には届いていない。「相当、メッセージは届いているはず」と関口市長は言うが、反応としての言葉を地域住民と共有できない限り、県からの言葉は無いに等しい。「1校1校つぶされる」と表現した強い思いを、県は、県教委は、本当に受け止めているのか、と思ってしまう。

 松之山分校をめざしていた中学3年生は、来春は松代高校に行くことになるが、すんなり行けるのかどうか、大きな疑問を抱く関係者は多い。特に松之山分校の「懐の深さ」を知る人たちは、その中学3年生の当事者、さらに親たちの思いを「せつなく」感じているだろう。感情論でこの問題を論じたところで、県教委の数の論理とは平行線だが、来春の当事者の思いを考えると、相当な辛さを共感してしまう。

 「1校1校…」となると、次はどこか、となってしまう。早急なる協議の場が必要だ。それは県教委をここ妻有に引っ張り出す場だろう。県立津南中等教育学校、十日町総合も机上に乗っているのではないか。妻有の教育は誰が守るのか。トップの出番だ。

医師確保、津南町の挑戦

 ようやく動き出した医師確保、それも自治体病院の運営幹部を育てる「医療人材過疎地域」への抜本的な医師確保策だ。新潟県は26日、地域医療に特に必要とされる『総合診療専門医』の育成を、津南町の町立津南病院を研修病院とするプログラム実施を公表した。27日には厚労省本省で津南町・桑原悠町長、町立津南病院・林裕作院長が同席で会見発表し、国・県・町の連携で総合診療専門医の全国初のプログラムへの取り組みをスタートする。ただ、これは医師を募集し、応募医師が具体化して初めてスタートする事業であり、先ずは応募する医師があることが大前提だ。津南の地で総合診療専門医の育成プログラムに挑む若き医師を期待したい。

 津南町の桑原町長は3年ほど前から「総合診療専門医の確保」に動いた。県に働きかけ、国につながり、桑原町長の地道な取り組みは奏功した。総合診療専門医の研修プログラムを受ける県立十日町病院・吉嶺医長らのバックアップ、県福祉保健部と町立津南病院・林院長との連携などもあり、表に出ない関係者の連携プレーの結果であることは想像に難くない。

 このプログラム、実質的には町立津南病院の医師が増えることであると共に、研修の先も視野に入れ「総合診療専門医の資格取得後、院長候補など幹部として登用し、病院経営に参画する」とあり、従来の研修プログラムから踏み込んだ人材育成になっている。それに見合うバックアップも充実し、研修期間の年間給与約1500万円に加え、奨学支援金が年1000万円、さらに海外留学時には最大1550万円の奨学金を支援するなど、手厚い人材育成になっている。

 地域医療という言葉は、中山間地域における医師不足、医療体制不足を代弁するが、その要の人材育成、医師確保に向け、これは大きな一歩だ。

自然に市町村の境界はない

 県境の谷の上から大型サーチライトを数台照らし、トラップを仕掛ける「密猟」がある。光に集まる生きものの習性を逆手に取り、一網打尽に捕まえ、オオクワガタなど希少種だけを採取し市場に高値販売する。「ギフチョウ」も狙われている。その色合いと突然変異で生じる色調が人気で乱獲が横行する。ギフチョウの食草ごと根こそぎ盗掘し持ち去る業者もおり、ギフチョウ採集ツアーもあると聞く。注意すると「ここは禁止されていないでしょ」と平気で言うという。実態はここに暮らす我々の予想を超える深刻さだ。

 自然保護条例は、悪行を規制する以上に、この『未来からの預かりもの』である自然、人の暮らしと共にある里山環境をしっかり守り、次代に引き渡すための生活ルールでもある。長野県境と新潟県境一帯は、環境省の天然自然保護区であるように、国内に残された限られた自然エリアであり、隣接する人の暮らしと自然が共存する里山は、先人たちが営々と守り続けてきた自然と人の共存環境である。

 「自然保護条例は議会可決で制定できるが、重要なのは運用。自然を守るということは、その自然をしっかり理解していることが大前提」。生物多様性という言葉があるが、多様性の通り、実に他分野に渡っている。その分野それぞれの専門研究者がいるが、すべてをカバーすることは難しい。だがここ妻有には、その分野の専門家が常駐する拠点がある。「松之山キョロロ」。北海道大大学院で森林生物分野を専攻した専任研究員・小林誠氏はじめ4人の分野別研究者が常駐する。心強い。

 観光開発で危機感を持ち、32年前に条例制定した栄村。その条例の自然保護分野にさらに踏み込んだ自然保護条例の全面改定をめざす。「自然に県境はない」と広域連携を呼びかける。十日町市・津南町と共に運命共同体である。 

 自然に市町村の境界はない。

見つかるのか議員定数の「方程式」

 十日町市議会と津南町議会は、共に特別委員会を設け次期改選を視野に「議員定数のあり方」に取り組んでいる。来年10月改選の津南町議会は来月の月例全協で特別委員会が削減案を報告し、12月定例議会で定数削減を議員提案する方針。十日町市議会の改選は3年後、2024年春だ。特別委員会は「議員定数の根拠」を探る調査活動に取り組み、この検討は後世の検証材料として興味深い取り組みだ。

 十日町市議会は「議会改革特別委員会」を昨年の改選後、早々に立上げ、じっくり議会全般のあり方を検討している。市民の関心の第一は「議員定数」だが、この課題へのアプローチが興味深い。その論点は先ず「定数の根拠」。議員定数はかつて国の公選法で人口を基準に一定数が規定されていたが、その定数規定は撤廃され、「地方自治体の議会が独自に規定できる」ようになっている。つまり「議会改選の度に定数を変えることができる」状態にある。これは極論だが、要はその市町村議会の判断、あるいは市町村の判断で決めることができる。

 12月議会に定数削減案を提案する方針の津南町議会。その「定数の根拠」は有権者アンケートを一つの論拠としている。限られたアンケート数だが、特別委員会はこれを「民意」と受けとめ、定数削減を議員提案する方針だ。

 一方の十日町市議会。定数の根拠に「相対的数値」を持ち出し、人口比と10万人当たりの議員数、基準財政需要額の100億円当たりの議員数など、数学的な思考を用いて検討し、それも新潟県、北信越地域、全国比較など多角的に検討している。今後、市民の意向をヒアリングするのだろうが、直接聴収、あるいはアンケートなど手法は様々あるが、ここが最大のポイントになるだろう。「定数の根拠」という難題に取り組む十日町市議会、議員定数の根拠の「方程式」は見つかるのか。

サケが帰ってきた

 ふるさとへまっしぐら…、サケが帰って来ている。今期の初遡上は先月29日、宮中取水ダム魚道で遡上調査をする中魚漁協が確認した。そのサケ、70センチほどのオス、推定2歳くらい。そのサケが翌30日、約22キロ上流の西大滝ダム魚道まで来た。まさに「ふるさと求めてまっしぐら」、寄り道も脇目もふらず、まっすぐに上った。西大滝ダム魚道で遡上調査を担当する高水漁協の栗岩さんに、現地でそのサケの動画を見せてもらった。スマートな魚体、まだ若いオスで、まぎれもなく前日、宮中ダムを超えて上流をめざしたサケだ。手早く測定し、すぐに上流に放した。ふるさとをめざし、さらに上流に上っているのだろう。

 長野と新潟の県境でその名が変わる全国でも珍しい日本一の大河、千曲川・信濃川の県境付近の中流域は、水力発電の取水ダムがあり、自然の本能で川を上る魚類は、このダムでストップだ。ダムわきに魚道はあるが、その魚道入口にたどりつけない魚類も多いと関係者は話す。それでもサケはふるさとを鋭い嗅覚で探し、ダム魚道を遡る。だがここ数年、その姿は大きく減少している。2015年には宮中取水ダムで過去最多1514匹が上ったが、一昨年、昨年と300匹前後で「サケの生態に異変が起きている」と専門家が指摘したのは記憶に新しい。今期は宮中取水ダムでいまだ16匹。今後、海水温が下がり、河川水温も下がると一気に遡上するのだが、今季も異変が続くのか関係者は心配する。

 サケは河川環境のバロメーターともいわれる。安定した水量が必要だが、河川環境の変化には敏感だ。縄文期から降雪期前の重要な食料源であり、川と共に人の暮らしは営まれてきた。その川に異変が起きているのか、その影響を受けるサケの生態に異変が起きているのか、今季のサケ遡上シーズンが始まり、目を向けていきたい。

関口市長の言葉、次は何を語る

 関口市長の踏み込んだ言葉が気になり、それに続く次の言葉がさらに気になる。国のトップが原発再稼働に言及するなか、「原発再稼働に対する市の意向は、市民の意向を受け、知事にしっかり伝えたい」、中学校再編では「津南町との関係を持ちながら、そのくらいの広さを持っての検討もあっていいのでは」。これまでにない言葉が並ぶ。妻有地域のリーダーとしての言葉と受け止めるが、さて、次の言葉は何か。

 原発再稼働問題。これまでは「県と原発立地自治体(柏崎市・刈羽村)の意向を尊重」として、県・立地自治体が発電事業者の東京電力と結ぶ安全協定を尊重する姿勢だった。ただ当然のこととしてUPZ圏に入る十日町市としての考えは知事に伝えるという前提での考えを示していた。

 今回の「市民の意向を受け」は違う。明確に言葉で示した「市民の意向」とは何かであり、その意向をどう確認するのか、ここがポイントだ。市長選で問うことはできる。だが、あと3年ある。十日町市まちづくり基本条例にある『住民投票』の手法がある。関口市長が言う「市民の意向を受け」は、市民に問う場面を作ることを意味する。

 中学校の再編問題にも踏み込んだ。隣の津南町の名をあえて出し、「津南町も我々と同じような中学校区の悩みがある」として、津南町との関係性を維持しながら「そのくらいの広さを持っての検討もあっていい」と自治体を超えた視点を促している。これは先月27日から市民委員の募集を開始した新組織『中学校のあり方検討委員会』への期待感でもある。新検討会は市長の期待感を背負ったスタートだ。それは「大胆な発想」と換言できる期待感だ。

 市政史上初の4期在職の関口市長。新潟県市長会、北信市長会、全国市長会での位置づけが増し、その言葉に関心が集まる。広域行政がさらに求められ、リーダーシップの言葉がより求められる。「政治は言葉」だ。

公設民営法人の将来像を探る

 自治体所有の観光施設などを民間が経営する「公設民営」。自治体が出資する第3セクター(3セク)形態もあるが、指定管理や業務委託により、「民間センスによる経営」を期待する。妻有地域にも観光施設などで公設民営が見られる。新型コロナ拡大による「コロナ禍」で、大きな打撃を受けていることが各施設の2021年度決算で明らかになっている。コロナ後に回復するのかどうか、正念場を向かえている。

 公営観光施設は人員体制から施設管理まで、その経営内容により自治体本体への影響が大きい。3セクを含む公設民営は、公営より民間センス導入により利益追求しやすい経営形態でもある。だが、「良い時はいいが、悪くなると自治体への影響が増す」、公設民営のメリットであり、デメリットである。

 大地の芸術祭の作品リニューアルで世界的な人気になっている「清津峡渓谷トンネル」。2019年には過去最多の年間31万8千人余が来訪し、コロナ禍の2020年、2021年も20万人を超える人たちが訪れている。だが、経営する「株式会社なかさと」の経営は2021年度決算でわずかながら欠損が出た。2022年度は回復傾向にあり、同じく経営する日帰り温泉施設と共に営業状態は上向きだ。

 公設民営は、自治体所有の施設だけに一般的な民間企業経営と違うのは「固定資産税」「減価償却」は必要なく、加えて指定管理の場合、施設修繕は自治体負担など好条件の経営内容だ。

 こうした公設民営法人の今後を考える時、地域のリーディング・カンパニーに引き上げ、地域経済を牽引する企業にする政策がある。「民業圧迫」の声もあるが、妻有地域に不足しているのは、地域経済を引っ張る、利益を果敢に追及する企業である。そこにはM&Aもあるだろう。自治体を包括する企業の誕生は、時代の要請でもあり、人口減少地域の経済の牽引役になる。

なぜ残せない松之山分校

 感情移入しない客観報道などと言われるが、こればかりは感情を入れないわけにはいかない。松之山分校の存続問題だ。新潟県教委の「松代高への統合」方針は変わらないようだ。県教委は松之山分校でどんな教育が行われ、生徒がどう育っているか、重々承知しているだろう。県立高校再編は少子化のなか止む無しの状況だろう。県教委は「松之山だけを特別視はできない」のだろう。だが、である。それでも「学びの場」を奪うのは公立学校教育の視点から、まずは当事者を主人公に考えるべきことだ。

 この紙面の左に『10代のまなざし』がある。今回、松之山分校の生徒に登場していただいた。「少人数の学校に行きたかった」、この言葉の背景に何があったのか、想像に難くない。松之山分校に進むにあたり、進路を決めた時の当事者の思いは、この写真の背景に見える『希望』だったのではないか。その言葉に込められた思いが、記事の通り、充実した高校生活につながっている。この笑顔がその証左だ。

 松之山の人たちは、松之山分校を『松高』と愛着を持って呼ぶ。これは前身の安塚高校松之山分校時代、歴代の町長が先頭に立って取り組んだ「独立校化」の願いがずっと続いている証しだ。逸材人材を輩出した「松高」の卒業生の多くが支える東京松之山会は、その象徴的な存在であり、大きな支援団体だ。東京松之山会の月刊会報「カントリーポエム」には、地元の小中一貫校・まつのやま学園の活動状況と共に『松高』の生徒活動や学校行事、さらに先生も登場し、強い絆を示している。

 なぜ、残せない、この疑問符は県教委が繰り返す言葉を聞くごとに増幅する。存在意義は『10代のまなざし』の言葉にすべてあると言っても過言でない。「森を見て、木を見ていない」、その木を育てるのが教育ではないか。松之山分校で、木は育っている。

増加する空き家、所有移転がポイント

 高齢化は、お年寄りだけの世帯が増えていく事でもある。連れ合いが亡くなると、独り暮らしになり、いわゆる独居老人世帯になる。さらに、その独り暮らしの他界によって家主が居なくなる。これが「空き家増加」の大きな要因とも見られる。現実はこんな図式的に進む事態以上は進み、あの家も、この家も、こんな現実が我々の目の前で日々起こっている。待ったなしだが、直面する問題は余りにも奥が深く、幅が広すぎる問題だ、この空き家問題は。

 津南町の住民が目の前で壊れていく家を何とかしてくれと、行政に署名を添え直接要望した。町にとって空き家対策では初めての住民直接要望だ。それだけ地域への影響が大きいのだろう。住民は話す。「タヌキなど野生動物のねぐらになっている。でっかいヘビもいて、地域の畑にも被害が出ているし、なにより危険だし、見た目がよくない」。この空き家は21年前に所有者が変わっている。ここがポイントだろう。

 十日町市は国の特措法に基づく行政代執行でこれまで4棟、危険空き家を行政が解体し、費用を所有者に請求している。だが費用回収はなかなか難しいのが現実だ。特に地元所有者から地域に縁も所縁もない所有者に移った物件は、その交渉は相当難しいという。今回の津南町の空き家もその例に合致する。地元民が再三「なんとかしてくれ」と所有者に連絡しても反応はないというし、その古民家は半壊し、昨冬の豪雪でさらに損壊が進み、危険度を増している。所有移転が誘因する。

 空き家問題は「個人財産を行政が処分する」法的な問題である。国の特措法が裏付けだが、解体後の費用請求は、所有者との裁判まで持ち込まれる可能性があり、裁判費用と決着までの年月を要す。所有者転居、所有移転の時点でのチェック体制と共に、そもそも論だが「空き家にさせない」対策が必要。先ずは日常のコミュニケーションか。

原発問題、迫られる自治体の姿勢

 原発立地自治体の刈羽村で先月29日夜に実施した「夜間住民避難訓練」は、何を示そうとしたのか。災害想定は『長岡市を震源とする震度6強の地震で、柏崎刈羽原発で原子力災害が発生。全面緊急事態』というもの。原発から5㌔圏(PAZ)のまさに原発直下の刈羽村。住民避難は自家用車やバスなどで避難するのが基本だが、今回は一斉避難で交通障害が発生し、自衛隊ヘリによる空輸避難を併用した訓練となった。自衛隊の大型輸送ヘリ(50人定員)が使われた。

 だが、実はヘリ避難は三度目でようやく実現した避難訓練だった。これまでもヘリ避難は計画したがいずれも天候の影響で飛来できず、ようやく今回実現した。なんとも危機感のない避難訓練ではないか。原発事故は天候など無関係で発生する。加えて訓練だから仕方ないと見られるが、ヘリ乗込みも受付を行い、整列して乗込んだというから、これも緊張感に乏しい訓練と言わざるを得ない。パフォーマンスとは言わないが、立地自治体、さらに連携した県の緊張感のなさが気にかかる。

 この国のトップは、突如として「原発再稼働、原発建設」を打ち出した。うがった見方だが、いま政権の前にある諸問題、旧統一教会問題、安倍元首相の国葬の是非、さらに問題多い閣僚の顔ぶれなどなど、その目先を変えるための原発発言とも取れる。

 ここ新潟県は稼働すれば世界最大級の原発を持つ自治体だ。その県のトップは先の知事選で原発にはノータッチで再選した。前任期では「住民投票」など持ち出し、県民に問う姿勢を見せていたが、再選後、その姿勢は見えなくなり、任期中にと構えていたなか、突如の岸田首相の発言。一番驚いたのは花角知事ではなかったのか。

 30㌔圏に入る十日町市。隣接の津南町、栄村。共に運命共同体だ。思惑は不要、自治体の姿勢を示すべきだ。

「教育とは」、求めたい挑戦的な改革

 学校統合問題は「古くて新しく、現在進行形」と言われる。十日町市は小学校1学年1学級、中学校1学年2学級という基本編成を決め、市教育委員会は2019年「第2次小学校・中学校の学区適正化方針」を打ち出し、小学校は向こう5年間、中学校は10年間で計画実現の方針を示した。

 だが、地域説明会を繰り返すなかで「疑義」が出て、校区によっては「相当なる温度差」が表出。特に地域自治組織からの問題視により、中学校の学区再編は「見直し」と市教委は決定。この経過を政策決定の立場にある関口市長は「健全なプロセス」と受けとめ、10月に新たに設置の「中学校教育のあり方検討会」(仮称)の再検討・協議に委ねる姿勢だ。地域自治が生きている証しでもある。

 学校の再編統合は、その切り口で様々な論点が生まれ、統合形態も全国事例を見れば実に様々だ。そもそも論をここで展開しても、自治体が運営する公立学校と私立の学校では、そもそもその立脚点が違い、そうした「学校を選べる教育環境」にある地域と、公立学校をなんとか運営している自治体では、そもそも論の論外の話だ。だが、このそもそも論、実は国の「教育とは」に関わることである。

 義務教育小学6年、中学3年だが、すでに十日町市は小中一貫教育で市立「まつのやま学園」を誕生させ、地元の実践例になっている。今回の小中学校再編の取り組みの中で、この先行実践をどう加味し、その先の「教育のあり方」をどう検討したのか、2校目の小中一貫校はなぜできないのか。中山間地という環境下での教育環境づくりである。もっと意欲的な、国の義務教育制度に挑戦するような改革こそ、住民は求めているのではないか。

 教育とは何か、この命題に向かう姿勢が、まさに問われている。その模索の先にこそ、求める選択肢がある。

『超帰省』、新たな可能性

 『超帰省』、今月初め聞いた言葉だ。お盆や年末年始の帰省シーズン、学生や若い社会人がふるさとに帰省する時、学友や職場の仲間を連れて帰省し、自分の生まれた故郷を案内し、我がふるさとのように楽しむこと、ということのようだ。先月27日、県北・村上地域振興局が『超帰省研修会』を開いた。実はこの超帰省を提唱し、全国に広め定着させようとしている団体がある。それは「一般社団法人・超帰省協会」。

 超帰省協会は20代、30代の3人が2020年9月に立ち上げた。サイトによると『友人や同僚を連れて、地元に帰省すること。いわば帰省のシェアリング。地元=思い入れや思い出があるまち。生まれ育ったかどうかは関係なく、自分が『地元』と思える場所が地元であり、そこに友人・同僚を連れて帰省すること』。3人は守屋真一さん、原田稜さん、根岸亜美さん。言葉にすると何やら分かりにくいが、我々の学生時代にはよくやっていたことではないか。帰省の時、仲間を連れて帰り、自分が育った街で一緒に遊ぶ。あるいは友の帰省に一緒について帰るなど、受け入れる親のことなど考えず、仲間を連れ帰った、それを『超帰省』とネーミングした3人、時代が見えている。 

 「その体験はガイドブックに載っている旅とは違う。Google検索には引っかからない、友人や地元のひとの思い出・思い入れに基づいた最もローカルな体験ができる」。この3人が講師になり村上市で研修会を開いた。現在、超帰省協会が関係する全国78自治体で自分の地元を案内する『超帰省アンバザダー』がおり、各所で超帰省ツアーなどを実施している。

 3人はさらに指摘する。「関係人口が増えればいいわけではなく、お互いに信頼関係が成立した関係性がないと継続できない。信頼関係人口です」。コロナ禍で地域は大きな打撃を受けている。「超帰省」に、新たな可能性を感じる。

大地の芸術祭、145日間の挑戦

 145日間、この長期間、実行委員会の地元行政は何にチャレンジしようとしているのか。大地の芸術祭。3年に一度の「アートトリエンナーレ」を表題から外し、コロナ対策を前面に打ち出しているロングランは分かる。これまでは「暑く熱い51日間」で、集中的な発信を行い、それに応えるように国内外から来訪者が越後妻有をめざし、その体感の声を世界に発信してくれた。今回はどうだろうか。SNSの発達でいつでも、だれでも、どこからでも発信できるが、今回の大地の芸術祭は、従来に比べその発信は多い印象はない。それはなぜなのか。仕掛けが不足している印象だ。

 スタッフ不足は、次への取り組み不足を招いている。それはアナウンス効果を低下させ、来訪者との接点を少なくしている。作品の地元民が懸命に来訪者と交流し、「おもてなし」で妻有をアピールする姿は、ここ越後妻有の大地の芸術祭発信の大きな支えである。その接点をどう次につなげるか、それは地元行政の役目だ。「情報が向こうからやって来る」、それが大地の芸術祭であり、来訪者の言葉に地域づくりのヒントがあり、その言葉集めこそ、次につながる地域づくり、持続可能な自治体づくりではないのか。

 これから来訪者の集中時期に入り、学生の夏季休業が終わる9月中旬までがピークだろう。この時、次につながる発信が145日の会期の意義になる。10月の紅葉期では初めての大地の芸術祭開催である。野外アートがこの妻有地域の紅葉とどう共演するのか、ここにも盛り上がりの山を作る、その取り組みが求められる。

 145日間。かつてない挑戦であり、次にどうつなげるかの挑戦だ。全国で展開するアート展。大地の芸術祭来訪者の言葉からも、その様子が分かる。この夏、来訪者との関りが次につながる、そこに145日間の意義が見える。

JR東に物申す…が

 「これが現実です」。JR東が公表した地方路線の輸送密度と営業収支は、「実態を知ってほしい」JR東の思いだろう。だが沿線は、そうは取らない。「だから、どうした」に続く言葉は、「これは脅しではないのか」。だが一方で、JR東の思いを受ければ「これはチャンス」かもしれない。

 JR東に「では、どうする」と聞き返したいが、収支公表に続く言葉を想起すれば「皆さん、どうしたいですか」であり、さらにその先には『私たちJR東は協力します』の言葉が続くのではないか、いや続かせるべきだろう。あまい、そんな言葉も聞こえるが、現実はその方向にある。ならば地元利益第一に取り組みを始めるべき時、そのタイミングをJR東の「収支公表」は意味しているのではないか。

 『豪雪と闘う飯山線』。昭和38年のNHK「現代の映像」アーカイブで視聴できる。黒煙を吐きながら雪に埋もれた飯山線の行くSLを空撮し、沿線住民の足の確保に昼夜取り組む保線区職員の懸命な姿を映す。国道は雪に埋もれ、人が歩く一本道がまっすぐ続くだけ。物流の要は飯山線。この「命の道」を死守する当時の国鉄の気概が映像から伝わってくる。

 その飯山線が営業収支公表で実態の一部が明らかになった。日々の乗客状況を見れば想像がつく「赤字路線」だが、数字以上に飯山線の重要性は大きい。民営化後のJR東の飯山線は、大きな意味を持つようになった。それは11年前の津南町上郷・大根原踏切事故で毎年、JR東の社長が現地に来て、飯山線を体感している。飯山線と並行して流れる千曲川・信濃川からの取水の水力発電事業はJR東にとって、さらに大きな存在意義を持つ。

 その沿線で作る「飯山線沿線地域活性化協議会」は自治体など16団体で動く。JR東が呼び水を撒いた。鉄路をどう活かすか、地元主導で動く時だ。

学校、飯山線、地域医療、難題次々

 広域連携が求められる重要課題が、次々と現れている。県立十日町高校・松之山分校の募集停止・統合問題。県立中高一貫校・津南中等教育学校の今後。国交省検討会が打ち出したローカル鉄道・飯山線の今後のあり方。どの問題もかなり濃度が濃く、関係自治体の広域連携が不可欠で、先が見えない難題ばかりだ。県境を越えた課題もあり、この「雪国圏域」の難題にどう向かうか、自治体トップの連係プレーが、さらに重要になっている。

 広域的な課題はまだまだ多い。最たるは「地域医療」だろう。この難題はすでに広域行政で協議・検討のテーブルで定期的に会合を重ね、地域医療のあり方を模索している。さらには衆院新5区の政治地図のあり方。現5区と6区の選ばれた人たちの動静に関わるが、選ぶ有権者は、誰が立つのか、この一点だけの関心だ。

 教育環境の整備再編は、当事者である学生に直接影響するだけに、困難性は高い。特に津南町における公立中等教育の環境は困難性を極める。魚沼唯一の中高一貫校・津南中等教育学校は県内有数の国公立大への進学率を達成しており、県が求めた中高一貫校のモデル的な存在になっている。だが、続く「定員割れ」を県教委は課題視している。その津南町からは、タイムリミットが迫る松之山分校問題も切迫している。分校の全校の3分の1前後が津南町から通う。その通学支援を財政支出しているが、分校存続には行政、町教委としての積極姿勢が見えない。

 飯山線の今後は、さらに重要性が高い。教育環境の一つ、通学の足である。赤字路線ながら、飯山線の重要性はJR東が一番認識しているだろう。それは首都圏を動かすJR宮中取水ダムの地元であるから。この存在は大きい。地域交通の視点と水利権問題は別物だが、それが一つの地域に併存しているのが、ここ妻有の地域事情だ。

『松高問題』、地域教育の象徴だ

 「やっと、松高へ行こう、という雰囲気が出来てきたのに」、小野塚さんは無念の言葉を口にする。県立十日町高校・松之山分校が三度「募集停止」という表記が、昨日22日、県教委が公表の3ヵ年計画に記載された。「様々な事情で学校に足が向かない子たちが、松高に進学して、ここでの3年間で自信をつけ、大学進学など新たな目標を見つけ、卒業している。こんな大切な教育の場を、なぜ県は『数』だけを取り上げ、なくそうとするのか」。これまでは疑問符が膨らんだが、県教委のかたくなな姿勢に怒りに近い感情がふつふつと沸いてきている。

 県教委の計画発表は、来年令和5年度の生徒募集を停止する、つまり来春の新入生はなく、在校生が卒業する2年後には「松高」はなくなるということ。この分校、地元松之山の人たちは『松高』と呼び、分校ながら独立校と同等に見て、通学学生を見守り、活動を全面支援している。小野塚良男さんはその松高支援連絡会の会長。旧松之山町の全戸加入の組織で、その財源で松高通学バスを独自運行し、十日町市から津南町を経由し、松高まで送迎している。「なにより先生たちが素晴らしい。親身になって、という表現がぴったりで、その思いが生徒に伝わり、3年間の松高生活で自信をつけ、目標に向かって卒業している」、言葉を繰り返す小野塚さんは、切実感を言葉に込める。

 地元行政の十日町市・関口市長は「魚沼地域の高校のあり方を示すことが協議の前提だ」と強い姿勢を見せるが、22日公表の募集停止に対し今後どう出るのか。生徒多数が通う津南町・桑原悠町長はどう動くのか。津南中等校では即座に県庁に向かったが、松高への対応は見えてこない。十日町市議会も津南町議会も、住民は注視している。

 松高問題は、地域教育の問題であり、そこにはじっと我慢している子たちがいる事を、忘れてはならない。