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社説

「二元代表制」、まさに両輪だ

 当選直後の歓喜に包まれた選挙事務所で、報道各社の取材に『二元代表制』という言葉が出たことに、これまでの蓄積を感じた。市町村など地方行政は住民・有権者に選ばれた首長・市町村長をトップとする行政。有権者に選ばれた住民代表の議員で構成する議会。この二つが機能する「二元代表制」で地方自治体は成り立っている。当たり前と言えば当たり前だが、あの興奮状態でこの言葉がすんなり出ることは、職務のベースに常態化していた価値観と考えることができる。前置きが長くなったが、津南町長選で現職が再選し、今後の議会との関係についての取材に対し、35歳町長が答えた言葉だ。

 今回の町長選は改選時、町議会13人のうち9人が対抗した元副町長候補を支援した選挙だった。結果、議会の多数が支援、支持した候補が敗れ、現職再選の2期目をスタートする。だが、議会構成はそのまま、つまり「町長野党が多数」の議会と2期目・桑原悠町長は向き合うことになる。この現実を前に当選の夜、桑原町長は「市町村行政と議会は二元代表制。議会は住民・有権者の民意であり尊重します」と述べた。当たり前と言えば、その通りだ。対立候補を推した議員は、この二元代表制、住民・有権者に選ばれた自分をどう考えていたのか、聞きたい。

選挙は民意と民意の争いである。だが、今回は政策論争より、感情論が先行した選挙ではなかった。それが住民・有権者の「辟易感」を招き、候補の人柄さえも塗り替えてしまい、現職町長とそれを支えた元副町長の対決は、後味の悪い選挙になってしまった。公開討論会で候補・藤木正喜氏の言葉が印象深い。『議員たるもの、自覚と責任を持て』。多くの有権者がそう思った。

 津南町の人たちは若きリーダーにこの4年を託した。二元代表制の地方行政だが、二元は分断ではない。まさに「議会と行政は両輪」、この言葉を自覚し、前に進みたい。

 

県内注目の津南町長選

 2年間、共に津南町を支えた町長と元副町長の一騎打ちか、と見られていた津南町長選は告示2週間前に一変。元町議の表明で前回同様の三つ巴になり、明日投票を向かえる。混戦であり、激戦になっている。超党派ともいえる選対で臨む元副町長、4年前より選対がスリムになったが一番強い2期目をめざす現職。一方、表明から単独で取り組み、告示2日目から始めた街宣は軽トラックに2台のスピーカーを付けた仮設街宣車、1人で1日30ヵ所余で立ち、マイクを握る元町議。選挙の縮図がすべて今回の津南町長選にある。さあ、有権者は何を判断基準に1票を投じるのか。

 妻有新聞社主催の公開討論会は、出席三者の言葉に会場参加者、インターネット視聴者は聞き入った。だが、「消化不良」だった。論戦を期待した2部の相互質問では三氏が「大人の対応」で突っ込まず、課題の薄っぺらの表面論議に終始した。一方で視聴者からは「人柄が良く出ていた」「選ぶ幅が広がって良かった」など声が届いている。 

 有権者判断の根源は「やる気」なんだろう。告示後、街宣で通り過ぎる各候補を見ていると合点がいく。「掲げる政策にそれほどの違いはない。何が違うか、それはやる気の度合いだろう」。道行く街宣車を見送る知人が話した言葉は、的を得ている。

 課題山積、当たり前である。人口減少対策、当たり前だ。暮らしやすい町・安心できる暮し、これも当たり前だ。自治体のリーダーは、その時のその自治体の顔である。今回の町長選、津南町の人たちはどの顔を選ぶのか。選んだ顔が、いまの津南町である。

 20日、参院選の公示だ。その前の人口9千人弱の自治体のトップを決める町長選。実は県内の注目でもある。それは4年前の全国最年少町長の町であること、その後に続いて誕生した若い世代の自治体トップの試金石でもある。19日、先ずは投票所へ行こう。

「…そうだね、んーんっ…」

 4年に一度、自治体はリフレッシュする場が設けられている。身近な首長や議員を住民が選ぶ選挙、その場だ。来週14日、津南町はその場を向かえる。わずか5日間の選挙期間で何が分かり、なにを判断基準に出来るのか、はなはだ大きな疑問符が浮かぶが、現行の選挙制度に従えば、そうなる。どうあれこの5日間で選ばなければならない、それがこの選挙という場だ。

 任期満了は7月8日。4年前の「熱い7月」を思い出す。全国が注目する町長の誕生は、「何かが変わる」、そういう予感を津南町の人たちは抱いたはずだ。あれから4年、歳月人を待たずの通り、時々刻々と過ぎた時間をどう評価するか、19日に判断が下される。

 「なんと言ったらいいのか、そうだねぇ、んーんっ…」。津南町の人たちの今の思いではないだろうか。言葉にすれば、上っ面で薄っぺらな感じだし、かといってストレートに表現するにはあまりにも中身がなさすぎるし…、そんな住民の素直な受け止めを何度も聞く。何が足りないのか、いや逆に何が溢れているのか、そこに今度の津南町長選のモヤモヤがあるようだ。

 選挙は真っ当な政策論争が正論だ。だが、往々にして感情論が先行し、「好き・嫌い」の判断になりがちだ。特に今回、コロナ禍ということもあり集会や住民と膝詰めの懇談会がなかなか開きにくいなか、「チラシ合戦」が交わされている。真っ当な意見・考えを正々堂々述べている方、一方で匿名という得体の知れぬ方法で情報発信する勢力があり、本質的な論議になっていない現状がある。これは有権者にとって、津南町にとっても不幸な事態である。

 だが、この選択の場の終着は19日だ。ピッカピカの新入学の子が、もう4年生になっている、その時間の流れが4年間である。津南町の成長度合いがこの選挙で表出するだろう。成長しているのか、後退しているのか。

公開討論会、目と耳で

 記者クラブの弊害を昨今、国政などの場で聞かれる。「仲間意識」が同調圧力を生み、問題意識の低下と、あってはならない「権力への忖度」が生まれがちな状況が、いまのメディアの世界に広がっている。月刊誌・世界に連載するジャーナリスト・神保太郎氏は指摘する。十日町記者クラブは県内外では珍しい組織体だ。全国紙、テレビ、通信社、ラジオ、地元紙など21社で作る記者クラブ。通常、全国紙やテレビと地元マスコミは別組織が多いが、十日町記者クラブは30年余り前、十日町タイムス・森本社長らの尽力で、いまの十日町記者クラブが誕生している。

 前置きが長くなったが、十日町記者クラブは先月31日、津南町長選の候補予定者3人を共同会見した。時間と場所を変えて、ほぼ一日をかけて1人1時間を目途に会見し、町長選で「有権者に一番訴えたいこと」「この4年間の町政の評価と課題」「今度の町長選の争点はなにか」を聞いた。ようやくなのか、やっとなのか、ここに来て三氏の政策の違い、政治姿勢の違い、行政運営の違いが明らかになり、見えてきている。やはり、こうした場の必要性を感じる。

 かつて昭和50年代、選挙には「立会演説会」が付きものだった。だが公選法の改正で廃止。以降、候補の座談会・集会は開かれるが、結局は「関係者の会合」で終わっている。「一堂に会し政策を聞きたい」、これが有権者の思いだろう。妻有新聞社は今月11日、町長選の候補予定者が出席の「まちづくり公開討論会」を開く。コロナ感染対策で入場数は限定されるが、当日はライブ中継する。

 今度の町長選、前回同様の三つ巴が濃厚。いわゆる「三択」。共同会見で明らかになった政策の違い、政治姿勢の違い、さらに行政センスは、この先の津南町の行方を大きく左右する。告示まで10日、有権者の判断材料は多いほど良い。11日の候補予定者の言葉と表情に、耳と目を集中したい。

『12年間の空白』、これも争点

 シナリオなきドラマ、そんな表現が思い浮かぶ。津南町長選は告示まで20日余となり、大きな動きが出ている。現職と、その現職を2年間支えた副町長の一騎打ちと見られたが、25日元町議が名乗り出た。前回同様の三つ巴戦になる。「津南町は混迷期に入っている」、そんな印象を抱く住民もいるだろうが、3人目の言葉は、その問題意識を言い当てている。『12年間の空白』。この4年間の町政ではなく、3期12年間という期間を問うている。それは、県議会副議長を務めた上村憲司氏の影響下の12年間ともいえる。

 時系列的に見ると、5期在職の小林三喜男町長の町政に線を引くように就任した上村憲司町長。県や県議会への影響力を期待され、保守地盤がフル稼働して誕生した上村町政。いま問題視される保育園再編問題は上村町政で方針が出された。だが8年間、まさに1㍉も動かなかった。その8年間在職中に25歳で町議に就いた桑原悠氏。上村町長の「我が娘的な視線」は親心だろう。次代を託す人材として4年前、苦戦する若き31歳を、最後の最後に押し上げたのは上村町長勢力だ。その勢力が、この4年間の桑原町政を疑問視し、前半2年間を副町長として支えた小野塚氏擁立に動き、行政主軸に同席した両氏の対決となった。

 だが事態は動いた。というより、津南町の町内に「くすぶっていた」思いが形になったと見るべきだろう。その端的な表現が『12年間の空白』。それは「上村勢力による町政」への痛烈な批判とも受け取れる。その三氏が揃って論議する場を妻有新聞社は用意した。来月11日夜、町文化センターホールで「まちづくり公開討論会」を開く。出席者は町長選候補予定者だ。

 各地区で集落懇談を開いている。町政の片輪である議会、その住民代表の議員がこの4年間を批判している。「議会は何をしていたのか」、住民は見ている。まさに「天に唾する」ではないか。

英語教育、数値データの開きに思う

 英語教育の格差を数値データで見ると、なぜの疑問符がわく。文科省は18日、全国の公立中学校・高校など対象の「英語教育実施状況調査結果」を公表した。中学3年(英検3級相当以上)、高校3年(同準2級同)をラインに「全国平均目標50%以上」をめざしたが、結果は中学3年47%、高校3年46・1%だった。公表数値で際立ったのは中学3年で「さいたま市86・3%」「福井県85・8%」。新潟県は37・5%、この開きは大きい。倍以上の開きだ。平均値ということは、その中身は相当なる差があるということ。看過できないデータだ。

 「英語だけが教育ではない」、その論議はある。だが、現実を目の前にした論議・検証が求められる、それを物語るデータだろう。福井県教育総合研究所の調査リポートを見ると、新潟県とそれほど大きな差の取り組みは見られないが、リポート文にある「若い意欲的な教員が多い」とある点が気になる。

 福井県では「県外派遣教員研修制度」を公立中学校・高校対象に行い、福井県教委は「小学1年から中学3年まで一貫したカリキュラム『グローバルスタディ』を全校で実施」とある。さらに中学3年間の英語教員は「タテ持ち」している。つまり1年から3年まで同じ英語教員がタテ持ちする。さらに小学校・中学校の教員人事交流を頻繁に行い、教員相互のスキルアップと共通意識を醸成する。ALTの活用は他県の倍以上だ。家庭支援も積極的で中学生の英検など検定受験料を補助し、英語教育地域人材バンクによる人材活用に取り組む。同時に小学校教員に「中学高校英語免許状」取得を促している。

 妻有地域のデータはこれからだが、ALTや英語教育人材の確保は自治体で取り組み、津南町には活動しながら英語を習得する「イングリッシュ・アドベンチャー」が活動する。環境はそう大きな違いはないが、ここまで数値の開きを見ると、本腰が必要だ。

4年前を想う、「原発が争点」

 知事選が始まった。争点は一つ、「原発」と言っていいだろう。4年前、花角氏は知事就任時、「県民の声を問う」と県民投票という言葉は使わなかったが、原発問題への花角県政の姿勢を示した。だが、その後の発電事業者・東京電力の相次ぐ安全管理の不備が発覚し、「県民の声を聞く」状態にすら至っておらず、それが今も続くなかでの今回の知事選だ。この中で現職に挑む片桐氏は明確に「脱原発」を掲げ、一騎打ちの構図だ。これは4年前に花角知事が掲げた「県民の声を問う」そのものの状態といえる。

 だが、事態はそう単純な構図ではないことは、有権者は分かっている。それが「盛り上がりに欠く」要素であり、いわゆる「シングル・イシュー(単一論点)」と言い切れない新潟県政が抱える課題の多さが目の前にあり、「原発だけが県政ではない」の声に変えられている。それは全国レベルで見る県民所得の低下、さらに人口減少の深刻さ、さらに産業低迷による県財政の深刻化など、市町村レベルと同様な課題・問題が、数字の桁が違う深刻度で増している現状は、確かに深刻だ。

 今度の知事選、4年前を思うと、やはり「原発問題」が大きな争点だろう。世界の関心が向く「ウクライナ侵攻」。そのターゲットに原発が照準を合わされた経過を見ると、その原発の存在そのものが標的にされかねない、そんな世情が進行している中での知事選だ。エネルギー供給の大きな要素に原発を含む社会構造を、この国は作り上げた、いや作ってしまった以上、ここで原発立地県としての「意志」を示す必要がある。それが今夏の知事選でもある。

 柏崎刈羽原発から30㌔圏(UPZ)の十日町市はじめ妻有エリアは、冬場、万一の原発事故の場合、季節風による放射性物質の風をもろに受ける地だ。いまも山林の山菜や野生動物からセシウムが検出される。今度の知事選、やはり争点は「原発」だ。

地域医療は自治体連携が必須

 高規格道・十日町道路のセンターラインが決り、着工のカウントダウンが始まった。あとは「予算獲得」。杭打式に出席した住民代表の国会議員・県議・市町議員、「皆さんの力の見せ所ですよ」。この十日町道路は『命の道』と形容される。魚沼医療圏の高度医療の3次医療拠点は魚沼基幹病院。そのアクセス道として妻有エリアにとって待望視されるのが高規格道・八箇峠道路であり十日町道路だ。建設省当時、事務方トップを務めた佐藤信秋衆院議員は「10年で」と、国交省幹部を前に明言した。この言葉、実は佐藤氏自身にも返る言葉で、列席の代議士は相当なる重みを感じたはずだ。

 その地域医療は2024年、大きな節目を迎える。「医師など医療スタッフに働き方改革適応」が導入される。つまり現状のような「医師の24時間、48時間勤務」ができなくなる。そのため、改革によって医師の充足度が求められ、医師数が足りない医療機関は「診療時間」がさらに厳しくなり、医師不足病院では診療日の見直しさえ求められる事態になる。

 県立十日町病院の全面改築はまもなく終了し、広い駐車場、看護師養成の専門学校卒業生の「十日町枠」も実現し、看護師確保への道すじが出来つつある。だが、医師確保にはまだまだ高いハードルがある。尾身県議は「県立十日町病院、県立松代病院、町立津南病院の連携強化が、さらに求められる」と2024年を見据えて話す。医療連携はこれまでも行われているが、働き方改革導入は、これまでの連携では不十分な要素を示し、さらに広域連携が必要になる。町立津南病院と関係深く、強い連携の東京慈恵会医大をも含む連携になるだろう。そこで重要視されるのが自治体トップの連携だ。

 まもなく知事選が告示され29日投票。6月は津南町長選、7月は参院選。地域医療は大きな政策だが、それ以上に連携できる自治体づくりが急務だ。

「4.9億円」、行政課題が見えてきた

 さっそく応えてくれた。前号本欄の『流水占用料』だ。「4億9千万円、流水占用料が新潟県に入っている」。信濃川から取水し、水力発電して首都圏・山手線を動かすJR東・宮中取水ダム(信濃川発電所)に関わる「流水占用料」が明らかになった。23日、尾身孝昭県議が後援会集会で3百人の出席者を前に示した。この数字、新潟県財政課への照会で述べたもの。十日町市宮中から小千谷市のJR東・信濃川発電所までの間の流水占用料だ。同様の流水占用料は東京電力による千曲川・西大滝ダムから津南町三箇までの信濃川発電所でも言えること。地元行政の課題が見えてきた。

 今冬の豪雪による生活道路、さらに鉄路の現状を踏まえ、尾身県議は述べた。「JR東の宮中ダムで取水し、小千谷の信濃川発電所で作る電気で山手線を動かしている。その宮中ダムの脇を走る飯山線はディーゼル列車。今冬、雪で何日止まったのか」、さらに「河川からの発電取水に対し、流水占用料が発電事業者に求められ、法律ではその流水占用料は都道府県に入ることになっている。県は河川環境整備に使っているというが、お金に色は付いていない。十日町市はJR東とは関係深い。雪に強い飯山線にしなければならない」。ここまで言葉を並べれば、この先、何を言いたいのか、関係者ならずとも分かる。流水占用料が直接地元自治体に入るように法律を変えるか、現状の中で県に入る流水占用料を地元自治体予算として確保するか、まずはここだろう。地元行政、関係県議、市町村議会の力の見せ所だ。

 国内有数の水力発電エネルギー供給地の妻有だ。東京電力、JR東、さらに県境の中部電力と発電事業者は、この地の自然資源を活用し、電力供給している。これまで水力発電所を「日常の風景」と見えていたが、この数字によって見え方が大きく変わった。地元行政の大きな課題も見えてきた。

雪が融けたら…「忽然と消えた」

 「あの雪はどこへいったのですか」。今冬の豪雪、観測史上最多419㌢(津南原アメダス)の雪は、どこへいったのか。雪国生活を知らない人、雪国生活が浅い人など、子どもならずとも不思議感を抱くのは当然だ。1ヵ月前の3月初めには2㍍を超える雪山があり、生活道はまさに雪の回廊だった。その雪が「忽然と消えた」。チコちゃん曰く「なんで?」。融けた、その通りだが、融けてどこへいったのか…。

 歴史的な名回答がある。『雪が融けたら何になる』と聞いた先生。子は答えた。『春になる』。これ以上の名回答はないだろう。その融けた雪の水でこの時期、千曲川・信濃川はじめ地域の中小河川は増水している。この雪解け水、相当なるエネルギーの塊でもある。

 「雪は天からの恵み」。雪との闘いと形容される雪国生活だが、近年ようやく、こうした感覚に至ってきている。春先の山菜も、全国トップブランドの魚沼米も、人気の高原野菜も、雪が育む人情も、「みんな雪のおかげ」。

 一方で雪は莫大なエネルギーを持つ。雪冷熱活用の雪室など雪エネルギーの活用は広がる。最たるは雪解け水によるエネルギー還元。その代表が水力発電。春先の一時期だけとの指摘はあるが、膨大な雪解け水は表層流水だけでなく、山林・里山に浸透し蓄えられ、徐々に湧水として流れ出て、地域の貴重な水源になっている。その一滴が川になり、水力発電の水車を回している現実があることを忘れてはならない。  

 「流水占用料」。河川に流れる水を発電取水するために発電事業者が地元自治体に支払ういわば「使用料」だ。発電事業関係者の言葉を思い出す。「数億円単位になる」と聞いた。ここ信濃川の流水占用料は現在、新潟県の一般会計に入っている。「河川環境整備に活用している」というが、お金に色は付いていない。

 本来、直接関係する地元自治体に入るべき「使用料」だ。まずは、ここから是正を求めたい。

成功・失敗、二極的思考の狭さ

 「失敗しない人は、挑戦者ではない」。先人は教えともいえる教訓の言葉を遺している。4月、新たなスタートラインに立ち、決意を秘め、前を向き、歩み出している人がいる。この2年間余、コロナ禍はこれまでの価値観を問い続け、人のあり様さえも容赦なく晒し、何が本質か、何が真実かを突き付けている。薄っぺらな拝金志向が暴かれ、経済至上主義の行き着く果てが見え始めているなか、スタートラインに立ち、一歩を踏み出した人に、この社会はどう見えているのだろうか。

 雪深いこの地にも、春は等しく訪れている。深刻度を増す要素は多い。新しい年を向かえた2月末、十日町市は人口5万人を割り、3月末には津南町が人口8千人時代に突入した。市町村合併の17年前に比べ、十日町市は1万3千人減少し、合併を選ばなかった津南町はこの17年間で3千人減少している。

 「人口減少を嘆いても仕方ない。生まれる子が少ないうえに、独身者が急増しているため、どう考えても出生数はさらに減少し、人口はさらに少なくなる、これが現実だろう」。これは十日町市や津南町に限ったことではなく、全国の過疎・高齢化・少子化に直面する自治体の現実である。

 一方で、チャレンジャーは増えている。脱都会の地方移住者、大学卒業後の起業、IT技術者の農業志向など、様々なスタートラインを自ら引き、決意などと固定的な思考ではない自分流のスタイルで、春風のように颯爽と動いている。「成功、失敗という二極的な考えは、その先の思考を狭める」、ここにも新たな価値観が生まれ、地域に相乗効果を生んでいる。

 「人が動けば、人も動く」。人を自分に置き換えると、合点がいく言葉である。ネット社会は匿名性を蔓延らせ、無責任社会を助長している。顔が見える、この表現はコロナ禍で難しさを増しているが、それは逆である。私は…、あなたは…、そこに本質がある。

津南町長選、「3人目は出ないのか」

 実質2ヵ月余の選挙戦になる津南町長選。35歳の現職と、その現職の前半2年を副町長として支えた新人との一騎打ちが濃厚だ。本紙先週号の町長選報道後、津南町の人たちから様々な反応が届いている。その一つが「分からない。どうなっているんだ」。今回の町長選の絡み合った糸を解いてみる。

 分かりにくいのは、というより住民が困惑するのは候補となる2人の関係。新人・小野塚氏は現桑原町政の前の上村町長時代に副町長に就き、桑原町長誕生後、前半の2年間、共に津南町行政を切り盛りした。その桑原町長誕生に深く関わった上村前町長、その上村氏と共に桑原町長誕生を支えた町議や自民関係者が今回、小野塚氏支持に回っている。さらにここに共産勢力も加わる。先ずこの構図が混乱の誘因だ。

 さらに、桑原町政誕生の翌年12月定例会、町議改選後の初定例会で人事案が否決された。教育委員の再任を求めたが否決。その教育委員と否決した議員が今回、揃って小野塚氏支持に回り、出馬表明会見で同席していた。なかなかややこしい構図が見え、ここにも困惑原因が見える。そんな「分からない」状態のなか、「3人目は出ないのか」の声が日ごと大きくなっている。

 住民はよく見ている。小野塚氏は「議員の大多数の方々からの要請を受けて…」と出馬決意への経過を語る。自治体は行政と議会の両輪だが、その関係は一心同体ではない。「これでは議会の言いなりではないか」、この声も住民の反応だ。諸先輩の言葉がよみがえる。『選挙は出方が重要だ』。これから集落座談会など開くのだろうが、住民の見方は相当鋭く、その言葉一つひとつをしっかり受けて、見ている。

 前回の町長選は新人3人による激戦だった。それだけに政策論が交わされ、結果は192票差の僅差だった。民意が分かれた結果だが、そこには「まっとうな論議」があった。果たして今回は…。「分からない」では困る。

再エネこそ広域連携を

 原発立地の柏崎市が再生可能エネルギーによる新たな電力会社を立ち上げ、電力供給に乗り出す計画を30日発表した。時を得た発信だろう。その中に再稼働後の柏崎刈羽原発の電力も買い上げ、供給網に乗せるという方針。立地自治体としては入れざるを得ないのだろうが、再エネを看板にするなら電気を受ける消費者は違和感を抱くだろう。だが、時代は再生可能エネルギーに主眼を動きつつあるのは確かだ。

 十日町市は、市役所本庁舎や小学校の陽当たりが良い南側壁面に太陽光発電パネルを設置し、庁舎や小学校での「自家消費」に活用する。今後も市内公共施設に太陽光発電パネルの設置を進める方針で、環境エネルギー部・蔵品徹部長は「民間施設など民間とも連携し、再エネ事業を市内に広めたい」と、『再エネ自治体・十日町市』を打ち出している。市の再エネ事業は幅広く、温泉熱利用の地熱発電、使用済み紙おむつの燃料化、さらに中山間地の特性を活用の小水力発電、時代の先端でもある水素エネルギーにも挑戦する。

 これまで再エネの代表格は水エネルギー、水力発電だ。この地域には大手の電力事業者による大規模な水力発電所が各所にあり、日本有数の電力供給地域である。その水力発電がさらに注目を集める。この河岸段丘はじめ中山間地の地形的な特性が水力発電に向いているためだ。十日町市は地図上から河川形態や段差などを見て、「水力発電有望地」を専門家のアドバイスを受け、地図に落とし込み、実現性を探っている。今年は松之山・浦田地域の渋海川で水量調査を行う。他にも有望地があり、調査に取り組む方針だ。

 再エネこそ、広域連携の分野だろう。川は上流から下流に流れる。実証実験データの共有により、広域的な発電事業が可能になり、再エネ電力供給地になる。水利権という壁はあるが、自治体連携なら不可能はない。自然特性が大きな資源の可能性を生み出している。

大地の芸術祭、大いなるチャレンジ

 3年に一度の芸術祭・アートトリエンナーレは、大地の芸術祭の枕詞だったが、来月29日開幕の事実上の第8回展には、その名称は付かない。いや、付けないと言った方が正確だろう。昨年夏が本祭開催年だったが、新型コロナ感染拡大で延期となり、今年開催に決めた。トリエンナーレ、3年に一度の意味が違うという考えで、この呼称を外したが、実際はこれまで7回開催した大地の芸術祭であり、第8回展であることに変わりはない。

 だが、今回展は実行委員長の関口市長が言うように「大いなるチャレンジ」だ。4月29日開幕し、11月13日までの135日間の会期となる。これまでも「芸術祭を通年開催できないのか」の声は地域からも、外からも聞かれた。そのため3年に一度の本祭と共に、春夏秋冬の四季に応じた芸術祭を開催してきた。その本祭を今回は135日間という長期間開く。確かに、大いなる挑戦だろう。

 野外アートによる地域づくり、地域の元気創出の先行例になっている大地の芸術祭。2000年開催以降、全国で類似の芸術祭が開かれ、前回展の時、文化庁担当者は「全国で300以上あるでしょう」と、大地の芸術祭が全国に広まり、その影響力の大きさに驚いていた言葉を記憶している。その本家本元が、今回は短期集中から「ゆったり地域を巡り、何度も来訪できるように」と、春から秋、妻有地域の季節感を十分堪能できる期間を設けた。コロナ禍で落ち込む地域経済への波及効果も、当然ながら期待される。

 課題はマンパワーだろう。作品制作、作品案内、地域おもてなし、受入れスタッフなど、この長期間の人員確保が課題だ。働き方改革も影響し、毎週火曜水曜を休日設定した。夏休みの入込みピークは小中学生・高校生、地元住民の協力が不可欠だろう。それは今後の大地の芸術祭のあり方につながる。

混迷し混乱する津南町

 混迷なのか、混乱なのか、津南町が大きく揺れている。9年前、町立保育園の再編方針の答申を受けた。だがこの間、その再編統合は棚上げにされたまま。バトンを受けた35歳町長が保育園再編に乗り出すが…。町中央の3園を統合するため現保育園増築を打ち出す…だが増築工事入札は二度の不落で事業が進まず、予算承認された2021年度事業費は減額という異例の展開を見せる。延長線上には6月改選の町長選があり、この問題と絡み合い、混迷・混乱状態に、津南町はいまある。

 時間を引き戻せば、保育園再編は前上村町長時代に審議会答申を受けた。だが在職2期8年間、全く動かず、それがそのまま次期桑原町政に引き渡されている現実が、先ずある。上村町政時代、議会一般質問で「保育園再編はどうなっているか」など何度も取り上げられていたが、動かなかった。未満児保育の充実、混合保育の解消、保育のあり方、などなど改善・検討を経て桑原町政は「中央のひまわり保育園増築」に打って出た。答申が示す将来像は「2園体制」。だが、中央部から離れる二つの保育園(上郷・わかば)は地元要望で当面存続となり、事実上「3園体制」を示し、増築予算事業費の議会承認を経て入札に臨んだ。だが二度の不落。この不落原因を議会はいま追及している。通常、入札不落は「その事実だけで、それ以上でも、それ以下でもない」が、津南町議会は「詳細な説明と責任の所在を明確に」と求め、16日には臨時全協を開き、2時間に渡り『権限と責任』を追及。だが、事態は動かない。

 ここに6月14日告示、19日投票の町長選が絡んできている。現職・桑原町長の再選表明を受け、桑原町政を疑問視するグループや前回桑原町長誕生を支えた自民関係者が「思惑の一致」で新人擁立に動く。35歳町長が招いた混乱なのか、住民感情が生んだ混迷なのか、すべてが同時進行だ。

議会傍聴のすすめ

 市町村が、住民が納めた大切なお金を4月からどう使うか、それを決める3月議会の真っ最中だ。一般質問に関心が集まるが、さらに重要な質疑は新年度予算の審議。「この予算1万円、どういう背景があり、使うことでどういう効果があり、どう住民の幸せにつながるのか」。これが予算審議の基本だろう。こうした質疑による審議を連日行っている、と思いたいが…である。先ずは傍聴のすすめだ。

 十日町市議会、津南町議会はリアルタイムで動画中継している。津南町議会はその日のうちに録画を視聴できるが十日町市議会は3日後の録画視聴だ。栄村議会はライブ配信はないが、全村全戸をつなぐ有線放送で翌日からいつでも録音が聞かれる。だが、議場では録画録音では分からない「空気感」「人の所作」が見られ、それを感じることができる。百聞は一見に如かず、まさにその通りだ。

 「シナリオ通りの質問と答弁。だから傍聴者が増えない」、十日町市議会の傍聴席でよく聞く声だ。事前に何を質問するか通告する一般質問は、議員への事前ヒアリングを行う場合が多い。十日町市の慣例であり「質問趣旨を知ることで、的確に答弁できる」のだが、それがシナリオになっていると傍聴者は指摘する。津南町議会の一般質問も通告制。だが、大きな違いは持ち時間内「一問一答制」。国会予算委員会に近い形態だ。質問者の資質が問われると共に、答弁側の緊張感は大きい。さらに津南町議会は「反問権」を町長に与えている。やろうとすれば、相当なる「丁々発止」ができる環境にある。

 だが、傍聴者はどこの自治体も少ない。そこにメスを入れようとしているのが十日町市議会。議会改革に取り組む。「夜間議会・土日休日議会」を検討するという。どう具体化する注視したいが、これには行政の協力が不可欠。「市民のため」と大義を掲げ、実現することが、真の議会改革だ。

「反戦」、許されない愚行

 「蛮行」、「沙汰の限り」…これ以上ない非難言葉でも表現しきれない愚行だ。独立国に軍事侵略、この時代にありえない、あってはならない行為、それがロシアの蛮行だ。北極海に面し海洋交易の拠点が乏しいロシアにとって、冬も凍らない不凍海・黒海の海域を手に入れたいロシア。さらに歴史を遡る無理な解釈を前面に軍事力で奪い取ろうとする愚行だ。雪深い妻有にあり、かの地で行われる殺戮の映像、人の嘆きを見て、何ができるのか考えた。「反戦、即時停戦」、この言葉を世界に発信する。

 「陸続きの怖さ」。この言葉が現実になっている。海に囲まれる日本は、国境が陸続きの怖さを実感としてなかなか抱けない。その怖さをロシアの軍事侵略が物語る。市民の生活道路を戦車が走り、武装した兵士が銃を手に歩く。幼い命が多数奪われ、家族が引き離され、それがウクライナで起こっている。

 歴史を紐解けば、ロシアとウクライナは「兄弟」と形容される。独立から30年余の独立国に軍事侵略、その蛮行を指揮するプーチンという指導者。彼が破壊しているのは同族の仲間の平和であり、世界の秩序であり、自国の運命である。その表情には後戻りできない焦燥感さえ漂う。極めつけは「核」を持ち出してきたことだ。

 青と黄を二分割した国旗。晴れ上がった青空、大地に広がる広大な小麦畑を表すウクライナの国旗。昼夜を歩き通してポーランドに逃れる家族。その夫は母国に残り、戦場の人となっている。なぜ、この時代にこんな蛮行が許されるのか、許されるはずがない。

 涙をためて、「パパは国のために戦っている」と話す幼子の映像は胸を締め付ける。静岡県議会がロシア侵略を非難決議し、続々と全国の自治体で決議が増える。新潟県でも柏崎市、上越市、さらに十日町市や津南町でも「非難決議」を検討している。「反戦・平和、即時停戦」、命を守る時だ。

「豪雪、それだけで災害」

 本気で降ってる、雪国の人は雪の降り方を絶妙に表現する。春先の淡雪は「いやげに降ってる」、気温が上がり春近しの時期、ふわりふわりといやいや降っている様子だ。十日町市と津南町は23日、「豪雪対策本部」を設置。十日町市は昨年に続き、津南町は10年ぶりで、雪害警戒にあたっている。基準値を超えたため、両市町とも県災害救助条例が適応され、要援護者の除排雪費用が支援される。さらに降り基準を超えると国の災害救助法の検討対象になる。津南町の場合、町役場観測所で365㌢を超えると国の基準積雪になる。24日朝は368㌢。全国ニュースで流れた「419㌢」は気象庁の「津南原アメダス(標高450㍍余)」の24日午前1時の数値で、町役場とは50㌢余の差がある。春間近のこの豪雪、春耕への影響が気にかかる。

 豪雪による災害救助法・条例の適応は、過去30年間の平均積雪に対し県災害救助条例は1・2倍、国の災害救助法は1・3倍の積雪で適応される。客観的な数値基準ではあるが、高齢化社会が深刻度を増し、機械化が進むが多くは人力での除排雪で、高齢夫婦だけの世帯など弱者世帯を直撃し、過去の平均値が示す中身は激変している。先人は言い当てた。『豪雪、それだけで災害』。まさに今冬は、それだ。

 新型コロナ感染の再拡大で中止になったが、十日町市は明日27日、厳冬の避難訓練を計画した。その避難行動要支援者は市の把握で1346人。この人たちはじめ、高齢者世帯など多数がこの豪雪で不安の日々を送る。当然、津南町でも、栄村でも、援護を求める世帯は年々増加している。だが、それを援護する、支援する住民も高齢化している現実は、国や県の相当なる人的な、物的な、強力な支援が必要だ。

 積雪量以上に現場は労苦と不安を強いられている。この豪雪、県や国にその実情を知らしめることが第一である。動くべき人が動く時だ。

お隣さんとは運命共同体

 広域連携が求められて久しい。生活インフラ分野では焼却ごみなど生活関連業務、医療福祉分野など取り組みは進んでいる。新年度予算案が自治体で発表の時期にあり、「これは一緒にできるのでは」、「広域で取り組む方が効果が大きいのでは」と感じる事業がある。再生可能エネルギーがその一つであり、人口政策もそうだろう。

 十日町市は市役所本庁舎と信濃川左岸にある千手小学校に太陽光発電施設を今年設置し、引き続き水沢中学校、まつのやま学園にも設置の調査を行う。さらに蓄電できる「水素エネルギー」利活用の技術実証施設を下水処理センターに計画する。水素は水電解でエネルギー化でき貯蔵も可能で、福島など国内にも大規模な水素エネルギー基地が誕生している。

 この分野、相当なる専門分野であり、専門人材と専門機関との連携が要であり、小さな自治体ではなかなか手が出せない分野でもある。隣接の津南町はエネルギー自給率では全国トップクラスだが、その主たるは既存の電力会社の水力発電による。新分野へのアプローチが今後の課題のなか、隣接の自治体との連携で新たな分野への取り組みが可能になる。そこに広域連携が生まれる。遠慮することはない。

 自治体は、その人口がすべての行政事業のベースになる宿命を背負う。単一自治体の限界性はすでに様々な分野で露呈し、行政事業のこれからのあるべき姿を常に考えなくてならない、そういう時代にある。人口政策はその最たる事業だろう。

 人口を増やしたい、自治体が大きな課題として掲げる。婚活支援、新婚生活支援、出生数の増加策、居住経費支援、さらに子育て医療費・保育園・小中学校の教育支援、どこの自治体も取り組むが、そのサービス合戦は、区別化を助長するだけだろう。行政の堺を取っ払うのは難しいが、こうした共通課題こそ、連携が求められる。

「この雪はだれのもの?」

 この雪、まさに再生可能エネルギーではないか。雪冷熱による空調システム、雪室での農産物保存と熟成、実証済みのデータセンター冷却への活用など、雪エネルギーの活用分野は広がっている。だが、さらに有力なのは雪=水資源への活用だろう。

 「雪ダム」の呼称は、国土開発が始まった昭和40年代からある言葉だ。先人たちは雪を水資源とみて、その融雪水の利活用を考えた。積雪地帯の山間部には水力発電所が多い。その雪ダムからの融雪水が貴重な発電資源になるからだろう。

 水利権は、川に流れ出ることで発生するが、雪のままではそこに水利権は発生しないのでは。湧き出る地下水はその土地所有者のものだが、その水が河川に流れ出すと水利権が生じる。ならば山間地に積もる雪は、その土地の所有者のものなのか。雪が融けて水になり流れ出ると水利権が生じる。ここに雪の再生可能エネルギーとしての可能性が見えてくる。

 降り積もった雪の所有権を明確にすることで、雪が融けた水の権利も主張できるのではないか。「素人考えだ」と一笑されそうだが、この分野の論点整理はできているのだろうか。降り積もる雪、「この雪はだれのもの?」である。

 流れる川の水、その流体には権利を主張できるならば、この目の前にうず高く積もる雪を、「それは私の雪です」と主張できない理由は見当たらない。

 再生可能エネルギーの時代は、来るのではなく、もう来ている。太陽光であり、風力であり、そして水のエネルギーだ。「今日の積雪は新潟県津南町で…、十日町市で…」、この冬何度、全国に流れただろうか。「その雪で山手線の電車が動いているんだぞー」と大声で叫んでも、「あっそー」で終わってきたのがこれまで。この雪、再エネの最有力候補だろう。これこそ雪国連携、知恵の出しどころではないか。

真冬・地震・原発事故、最悪想定も

 もはや「想定外」は通用しない時代に入った。先月のトンガの火山噴火は、人類史の科学が未経験の空気波による津波発生という未知の災害を伴った。災害想定は難しい。それだけに防災の重要性はさらに高まっている。豪雪地のここ妻有。真冬の厳冬期の災害は、なにも雪崩ばかりではなく、11年前の長野北部地震は3月12日という春間近だったが、2㍍余の残雪が各所で崩れ、冬期の複合災害の怖さを知らしめた。この厳冬期の今月27日、十日町市は総合防災訓練を実施する。積雪地域、それも平年積雪が2㍍を超える地域での真冬の防災訓練はあまり例がないだけに、近隣市町村はじめ類似積雪地の自治体などから「実証モデル」として関心を集める。

 真冬・地震・原発災害、このキーワードでの災害想定はまさに最過酷の複合災害と言える。今回十日町市は原発災害は想定に含まないが、厳冬期は通れる生活道路が限られ、地震で生活インフラの多くが寸断、死傷者多数が救援を求め、さらに地震による火災も発生という最悪条件下での総合防災訓練だ。注目は災害時の最弱者である「要支援者」の救援のあり方を探ること。防災計画では「避難行動要支援者」のリスト化、さらにそれを救援する「支援者」記載が義務化されている現状を、訓練を通じて再検証し、さらなる充実をはかる大きな目的を今回の総合防災訓練では課している。ここに豪雪地の市町村が関心を寄せる理由がある。

 災害想定は最悪条件下、防災訓練は淡々と時間が過ぎる普通の日常のなかでこそ効果がある。十日町市は今後、家族が勤務や学校という分散状態の平日の昼間、積雪で道路網が寸断、さらに原発災害を加えた「ハードルが高い想定」(関口市長)での防災訓練も視野に入れる。しんしんと降る雪、時間が止まったような世界で、突如発生する災害は待ったなしだ。今月27日は、近隣市町村注目の防災訓練になる。

それでも地域経済は生きている

 地域経済が停滞して久しい。足踏みどころか一歩前進二歩後退、いや三歩後退だろう。国の交付金、助成金を最大活用しても、直接的なテコ入れには結びつかず、オミクロン感染拡大で再び後退を余儀なくされている。十日町市の地域経済テコ入れは続くが、津南町が昨夏から取り組む飲食店・小売業対象の「消費拡大キャンペーン事業」が直接的な経済効果を上げている。

 今年2月末までの限定事業だ。提供価格の50%、つまり半分を助成する。飲食店提供メニューの5千円コースが半額2500円で飲食できるとなれば、利用者メリットは大きい。同様に3千円で販売の商品が1500円で求められるとなれば、消費者は飛びつく。ただ助成上限は決まっているが、その広告宣伝費・宣伝チラシの印刷・新聞折込経費は全額補助で飲食業小売業のメリットは大きく、なにより即効性がある。

 国の新コロナ臨時交付金が財源でこれまで77事業者が申請。広告宣伝含む補助事業費5660万円余だが、各事業所は独自アイデアや県民割、クーポン発行などを組み合わせ、さらに直接的な経済効果を生み出している。試算では1億円を超え、利用期限の2月末までにはさらに数字が伸びる見込みだ。この規模の自治体ならではの地域経済支援策であり、モデルになる。

 市中感染の警戒が必要な新型コロナ変異ウイルスの感染拡大は、再び地域経済を直撃しつつあり、「少し明かりが見えた」地域経済界はまたも、どうしようもない外因に晒されている。とはいえ、地域経済は生きている。「冬は充電期間」が、ここ雪国である。『知恵と情報』の蓄積が、次につながり、動き出すその時の準備期間だ。

 いま市町村は新年度予算編成の最終段階に入り、市町村長のセンスが問われる段階でもある。「査定」という言葉は、なにも削るだけの意味ではない。「この事業は必要」、その行政センス、キラリと光る新年度予算を見たい。

これが当たり前になるのが怖い

 新型コロナウイルスは、社会の盲点をつき、人間社会を試している、そんな印象すら抱く変異株の感染再拡大だ。いまの医療・科学のレベルを試すかのような変異株の発生だ。ありもしない陰謀説さえも信じ込ませる感染の猛威は、もはや生物観さえ変えなければならないウイルスという存在だ。

 軽症と言われながらも、確実に死者が出ている現実は、「風邪なみ」と嘯(うそぶ)く流言はあまりにも無責任であり、軽率極まりない。感染予防の徹底は、何度も何度も繰り返し周知しても、なかなか徹底しない人間社会だ。ならば検査体制の充実だろうが、今月ここ妻有でも薬局での無料検査が実施されている。PCR検査や抗原検査の精度があがるなか、日常感覚での検査の場を、もっと生活エリアごとに設置することも必要だろう。いや、個々がいつでもできる判定精度が高い検査キットの一般普及も必要だ。並行して飲み薬の普及が待たれるが、街なか薬局での一般化にはまだ時間がかかる。まず第一は感染予防だろう。

 助け合いの近所付き合い、親交を深める酒席、趣味のグループ活動など、人が人としての重要な関わりの場を、このウイルスは奪っている。それは「弧の時間」が増えること。人は人の中で育つ、その場がどんどん奪われ、孤から孤立へと生活環境が悪化している。

 『怖いのは、これが当たり前になること』、まさにそう感じる。IT化で対面業務が減るなか、ウイルス感染拡大でさらに対面が減少する現実は、「人が人でなくなる」方向性にあるともいえる。営業職のベテランがTVで話していた。「新人を育てるというが、こういう状態が当たり前になると、育てる以前の問題。コミュニケ力ではなく、ロボット的な人間が求められる時代になるだろう」。会って話す、この当たり前が「異例」になる日が来るのか。異常事態にある今を、これが平常時になる、そんな時代は来てほしくない。

悩ましき「婚活・人間社会」

 「結婚だけが全てではない」。そうだろう、分かってはいるが…である。未婚者が増え、晩婚化が進む現実は「人口問題」に直結し、個人的なことが「社会問題化」してしまっている。だが、世界では同性婚、みなし婚など、パートナーのあり方が多様化し、国によっては合法化され、社会を構成する「家族」とされている現実を見ると、「未婚率上昇」を問題視する論点はどうなのか…、悩ましき「人間社会」だ。

 人口減少は、ここ十日町市や津南町、栄村だけの問題ではないことは、この国のあり様の変化を見ると、誰もが合点がいく現実だろう。自治体単位で行政が行われている以上、その市町村は「なんとかしなくては」と人口対策に乗り出し、行きつく先は「未婚者対策」になる。それは「人口対策は未婚者の増加が主因」となり、年間出生率アップに取り組む誘因になっている。

 この構図は極めて分かりやすいが、当事者の感覚では「これほど個人的な事はない。余計なお世話」となりかねない。だが、地元行政は人口対策の決め手として「婚活支援」に乗り出し、事実、実績を上げている。ただ、現場からの声を聞くと現実はさらに一歩進んでいる。「女性の意識が大きく変わってきているのは事実。結婚という形にとらわれず、人生のパートナーという存在で男性を見て、一緒に暮らす方も増えている。まさに人生観の問題になっている」。こうしたライフスタイルは、今後も増えるだろう。「婚活」をひとくくりにできない内実を、しっかり捉えないと違った問題が表出しかねないのが、いまの「婚活事情」だ。

 どう地元行政は対応すべきか。市町村単位の取り組みは限界性にある。広域行政の言葉通り、この問題は広域エリアでの対応が必要だ。十日町市のハピ婚サポートセンターを、津南町、さらに栄村も活用する行政連携はできないのか。「ヨメに取られる、ムコに取られる」、そんな了見こそ、情けない。

知事選、参院選、そして津南町長選

 今年も選挙の年になる。「選挙話はまっぴらごめん」という方もおられようが、5月に知事選、6月に津南町長選、7月に参院選が予定されている。この2年間、コロナ禍の中でも衆院選はじめ全国で選挙は行われ、有権者の意識が問われる場面が随所に見られた。変異ウイルス・オミクロン株の感染拡大が全国的に広まるなか、この先の見通しは不透明だが、4年に一度の「審判」は否応なしだ。

 4年前、知事選で花角英世氏が初陣を飾った後、その熱が冷めやらぬなか津南町の町長選が行われ、31歳町長が誕生した。町村では全国最年少首長、市町村長でも女性最年少トップとなり大きな話題を呼んだ。初登庁の日、津南町役場前に多くのマスコミが詰めかけ、役場玄関前は大混乱した光景が思い出される。「次はどうするのか」、新たな年を迎え、衆目の関心が増している。昨年末、町長後援会は町内で座談会を開き、次期への取り組みを始めている。「予定より半年以上遅れている」の後援会幹部の言葉は、コロナ禍での選挙戦の難しさを表している。

 昨春、十日町市の関口芳史市長は4選を果たした。市政史上初の4選だったが、有権者の関心は投票率が表す通りだった。4選への出馬表明は遅れに遅れ、というより「相当なる逡巡があった」と言われる。隣接の市長の進退を決めるまでを、津南町の35歳町長の目にはどう映ったのか。新年度予算3月議会までに進退表明する方針のようだが、その言葉に関心が集まる。

 知事選・参院選は政党色が色濃く出る。参院選は登場人物が決まっているが、知事選は現職を含め、まだ見えてこない。その間にある津南町長選。政党色は薄いが、難題山積のまま任期を向かえる。31歳町長が初登庁で語った言葉が印象深い。「残すべきものは残し、変えるべきものは変える。変化を恐れず挑戦し続けることで町は存続する」。その挑戦の年だ。