
オピニオン
妻有の地の魅力、AI進歩でも大切なもの
信頼関係を築いていく
経済地理学博士・清水 裕理
先週は広島でG7が開催され、先進国首脳やゼレンスキー大統領が来日するなか、各地域では田んぼに水が引かれ、田植えの季節が到来、日本の原風景に心が癒されます。
秋には田んぼが黄金色となり、今年も美味しい新米を食べられることを心から願っています。
妻有地域には、ほかにも美味なるものが多く、食いしん坊の私には憧れです。今ですと、アスパラを茹でて、シンプルにマヨネーズにつけ、食べたいだけ食べてみたり、雪の下人参の甘さに驚いてみたり…天ぷらにするのも美味で、一緒に新鮮な山菜も、などと考えると、うらやましくなってしまいます。
地元の子供たちにとって、美味しいお米などそれは当たり前のことでしょうけれど、大人になって他との違いを知ったら、私がうらやむ気持ちが分かるかもしれません。
そんな美味なるものが多い妻有地域において、農業の振興は重点施策の一つだと思います。産業ではその他に、上下水道などの生活インフラを整備する仕事、交通や物流を支える仕事、地域に密着した介護や育児や教育の仕事などが、地域内でうまく回っていくことが重要だと思います。
交通に関しては、近々、国の報告書が取りまとめられる予定で、地域交通のことは自分たちで考えて下さい、という内容が強調されています。相当に知恵を絞り、地域に適した方法を確立していかなくてはなりません。その時は、地域内での協力体制が必要です。
協力については、介護や育児もそうで、いざという時に助け合ったり、融通し合えたりできる家族やご近所や仲間などの存在が、ますます重要になってくると思います。
そんな中、最近、大学生になったばかりの若者と触れ合う機会が多くあり、一昔前と比べて、学校生活で、ネット中心ではなく対面で信頼できる仲間をつくりたいと真剣に考えている学生が増えているように感じました。
彼らは物心ついた時からスマートフォンを使い、ツイッターやインスタなどのSNSのネット上で交流に長けている世代です。しかし、そのSNSの反動なのか、コロナを体験した心境の変化なのか、時代の必然なのか…フェースツーフェースの対面での交流や信頼関係を築いていくことの大切さを、とても感じているようでした。
世の中全体の経済や政治、AIの進歩による人類の将来は未だ予測がつきませんが、人として大切にすることは変わらないと思いました。
世界の気候変動が「沈黙の春」をつくるのか?
ギフチョウと共に
秋山郷山房もっきりや・長谷川 好文
希少動植物の条例が施行された今年の春のせいだろうか、春にギフチョウを追う採集家を見なかった。これでギフチョウも生き延びたかと思っていた。
25年以上続けていた蝶の保護もそろそろ終わりにしようと思ったこの春、2023年の蝶がひとつも羽化できないのだ。採り尽くされて「沈黙の春」にならないように続けて来た。毎年多くの成虫を野に放した。時には戻って来て肩にとまったこともあった。
野生の昆虫であるギフチョウは羽化率が低くおよそ5%だともいう。100の卵が5兎(蝶の呼び方)成虫になって飛び出すだけなのだ。それに蝶マニアの網のわなに捕らえられてしまえば、この蝶の行く末は寒々としたことになる。
津南町や栄村の方の努力で作られた条例が、緩やかな多様性のある地区を作り上げる基礎になるはずだと私は考えていた。
今年の春は、ここ秋山郷では3月は暖かく4月上旬も暖かかった。蝶はその頃から少しずつ蛹から羽化を始めるものも出て来た。しかしその頃から寒さがぶり返してストーブに火をつける日が続く。一番先に花を咲かすエンゴサクという草は一向に足元に見つけられなかった。例年ならば、この小さな花を見て春になったと思うのだが秋山は寒さの中だった。
先に蛹から出た成虫の羽根が伸びないまま小さい羽根を震わせて動かなくなって行った。まだまだ先だと思っていたのだが、昨年の卵は蛹になって脱皮することを得ず、毎日毎日、小さい羽根を振るわせて一生を終えていった。
蛹のまま軽くなってしまう個体も多くなっていった。これは私の蝶に対しての対応の悪さなのかと気持ちが萎えて行く。まるで私が殺してしまったような罪悪感だけが残った。同じ蝶の愛好家で農学博士の知り合いに訊いてみるのだが答は出てこない。25年続いたギフチョウの保護活動がこの春に途切れたことだけが心に残った。
本来、保護する蝶の世界を学ばないで、毎年こうして羽化させた自画自賛が自然界の現実の前に消えて行ったのだ。勿論世界的な気候変動がベースにあるのだろうが、責任をそれだけで括れないのも事実だが、毎年続けたギフチョウという小さい生き物と係わって自分が感じた世界の気候の危機なのだと身体で思い知った事でもあった。
小さな草花も、小さな蝶も、カエルやカモシカ、鳥や熊でさえこの環境の厳しさが影響している。いわんやこの地球で暮らす人間をも取り巻いているのだと思う。
世界人口が80億になりまだ増えると言われるなか、世界各地で起る火災や、暴風雨、水害に巻き込まれる人間や動植物を本気で考えて行かねばならないことなのだろう。
ただ、5月10日、私は1兎のギフチョウの飛ぶ姿を呆然と見ていた。このたったひとつの蝶がここまで飛んで来て、私が作った「ウスバサイシン」の畑を探し出して欲しいと祈った。
「植物を愛すれば世界中から争いがなくなる」
カメさんの火種入れ
清津川に清流を取り戻す会・藤ノ木信子

報道の自由度ランキングG7中で最下位の日本では、番組制作が大本営発表のように単調になってつまらないので、最近はほとんどテレビを見ない。と言いたいがNHKニュースと朝の連続ドラマは習慣で見ている。(払った受信料分くらい見ないとね)
ニュースは報道の偏りを確かめるために見ているようなもので、憲法記念日に2万5000人もの人が集まった憲法大会のことも公平に報道してほしいなぁと呟く。憲法を変える必要があるのか疑問に思う人も多いのに、だんだん都合のいいことしか報道しなくなっていくみたい。
国の安全保障の根幹を揺るがすことを閣議決定で決めてしまい、目隠しをされているようなニュースの一方で、朝ドラでは主人公の人生が戦争に狂わされるストーリーが多い。実際に戦中戦後を生きた人はみんな辛い思いをしたからで、ドラマでは避けて描けない。他人事で済まない国民総悲劇が戦争だ。
そんな戦争を知らない私が若い頃に山歩きをする時、ボロボロになっても携帯していたのが牧野富太郎の植物図鑑だった。牧野図鑑は着色しない植物画と解説で、それでも種類の同定ができるほど緻密に観察された頼りになる逸品だ。今の私の自然環境への関心はあの頃に根っこがある。
破天荒な生き方をした牧野氏は「植物を愛すれば世界中から争いがなくなる」と言っていたそうだ。だから脚色され過ぎでも「らんまん」をドラマとして楽しんでいる。
そうそう、最近テレビが役に立ったと思ったことがもう一つある。仏壇の奥に長細い真っ黒な箱があって、その中に入っていたのが写真の道具だ。(写真・火種入れ)
随分古いもので私には何に使うものか分らなかった。仏具かなぁ…墨入れかなぁ…ある日、片手間に見ていたテレビの時代劇で、この道具の中の火種でキセルを使うシーンがあって、頭の中で分からなかったことが線になって繋がった。そうか! 火種入れか…「カメ婆さんが、じろの端をキセルでトーンとはたいて…」と義母が先々代のことを話してたっけ…ということは、これはカメ婆さんが使っていた遺品で、だから仏壇にしまってあったんだ。長い箱はキセルが入る長さだったんだ。
会ったことのない先々代が急にリアルに思えると同時に、記憶は70〜80年すると消えてしまって誰も覚えてないんだと思った。ここにカメと言う人がいて、どっこい生きていたことを誰も知らない。今年は戦後78年、戦争の記憶は消えてしまってないか? 誰も覚えていない戦前が今のようだったのではないか?
的外れな少子化対策、止まらない人口減少
若者が求める「多様性」
年金生活者・斎木 文夫
4月26日に明石の湯の存続が決まった。市は、明石の湯を元の姿に戻し、市民と議会を混乱させたことの謝罪をすべきだ。6月議会では、責任の所在を明らかにし、芸術祭の意義について改めて議論を深めてほしい。
さて、本紙でもたびたび取り上げているように、人口減少が止まらない。
社会保障・人口問題研究所によると日本の人口は50年後に現在の7割に減少する。毎年山梨県に相当する80万人が減っていく計算だ。
政府は3月31日に「異次元の少子化対策」たたき台を公表した。①経済的支援、②子育て家庭へのサービスの拡充、③働き方改革の推進の柱に沿った具体策を上げている。児童手当や奨学金の拡充など、相変わらずの給付、ばらまき中心で、「異次元」には程遠い。
財源について首相は、6月に大枠を示すと繰り返すばかり。25日の令和臨調の提言は、財源は税を基軸に、社会保険料での負担もやむなしということのようだ。増税は勘弁してほしいし、年金や医療保険のための社会保険料を少子化対策に使うなんて、許されるのか。
そもそもこのたたき台は、少子化対策でなく子育て支援策ではないのか。少子化の直接的原因は、若者の晩婚化と非婚化にあるというのに。
本紙1月14日社説で少子化問題を取り上げていた。その中でお茶の水女子大・永瀬教授の論考を紹介している。若い非正規労働者が増え、子どもを持つ未来が描きにくくなっている。それが結婚を望まない女性増加の原因だというものだ。
そのとおりだと思う。ただ、結婚は少子化対策か。3月9日の参議院予算委員会公聴会で東京女学園大・大日向学長が発言している。「結婚は、愛する人と人生をともにするためにすべきものであって少子化対策ではありません。」
結婚する人もしない人も、子どもを持つ人も持たない人も、男性も女性も、多様な生き方が認められ、自分らしく生きられる社会の実現も、有効な少子化対策であろう。
非正規雇用者でも将来の不安なく結婚できる社会、国民が多様な生き方ができる社会—これは政府・与党が考えたくない日本の未来なのだろう。防衛問題同様、根本を見ずに財源確保に熱を上げるのはその証拠だ。
さらに、人口が減っても地域を存続させるための方策を打ち立てなければならない。この地では、雪対策や、過疎ならぬ「適疎」のまちづくりなどが講じられるべきだ。それはまたの機会に。