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オピニオン

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心に残る加藤登紀子さん

映画三題

元ゆずり葉編集委員・松崎 房子

 戦後、娯楽が何もない時代に育ったので、映画が大好きなのは当然と言える。

 

 第一題【チーム・ジンバブエのソムリエたち】(劇場)

 昨年12月限りの鑑賞券を頂いた。期限がなければ、たぶん選ばない映画だ。

 ジンバブエから南アフリカへ逃れている難民の、とんでもない挑戦が描かれていた。ワインとは縁もない国の人たち四人がチームを組んで、ブラインドワイン・テイスティング選手権に挑戦するドキュメンタリーだった。大会の行われるフランス。ワインの有名産地をめぐり、テイスティングを経験する。まるで観光映画の様だ。

 結果は絵に描いたようにはいかないが、その努力や心意気に絶大な称賛の拍手が巻き起こる。自国への想いを語る選手たち。必ず祖国を取り戻す。政治に頼らず自分達の力で!

 

 第二題【風に立つライオン】(TV放映)

 アフリカの病院で、子供たちの治療に携わる若き医師・看護師たち。無いない尽くしの設備の中で、地雷で手足ばかりでなく、親も失い、戻るところのない子供たちを支える。

 ついには故郷の恋人との結婚も諦め、人生をささげる医師。紛争地へ立ち入りを阻止されているにもかかわらず、治療を待つ子供たちへの想いだけで立ち入り、手りゅう弾で行方不明になる。

 中村哲医師の人生がダブる。事をなす人は言い訳をしないで黙々とコツコツと実行をしている。反して出来ない事を数え上げ、言い訳をして、何もしない自分を恥じる。

 

 第三題【戦場のピアニスト】(手持ちのDVD)

 第二次世界大戦のユダヤ人に対するドイツ軍の迫害。がれきの中を逃げ回り、隠れ住むピアニストの話。

 見ていたくないシーンの連続。目を背けたいシーンばかりで、思わず経験した戦争中の体験とだぶる。只まだ幼かったので、焼夷弾が降ってくる下にいたわけではない。早めに防空後に避難させてもらっていた。爆弾で死ぬ人、燃え上がる家・建物も見た訳ではないが。想像に難くない。

 日本と違って焼失しないで、がれきの山になるヨーロッパの様子。ついウクライナを思ってしまう。鉢合わせをしたドイツ軍将校の配慮で、命永らえ、また芸術活動が出来るようになる。のちにドイツ軍将校を探すが、会えぬまま将校は捕虜収容所で亡くなったとの字幕が出る。

 

 つい最近、加藤登紀子さんの一言を読んだ。『戦争が恐ろしいのは、終わりのルールがない事です』。正に名言。

 ふと戦争を原発に代えても、あてはまるなぁ。

コンクリート建物内の作品群は「ばえない」

明石の湯、福利厚生施設では

会社員・村山 朗

 キナーレの明石の湯が閉鎖されるとのことです。3月議会で最終決定になるようですが、ひっくり返る可能性はあるのでしょうか。

 十日町市は中心市街地活性化をうたって長年予算を割いて事業を行ってきました。中心市街地にある温泉施設を閉鎖するのと活性化事業は矛盾しないのでしょうか。筆者は明石の湯から歩いて15分くらいのところに住んでいます。広々として天井の高い開放感のある施設でとても気に入っています。中越地震の時も大変お世話になりました。

 赤字が続いているというのが、一番の理由のようですが、そもそも市の福利厚生施設を赤字黒字で計るのは適切さを欠いていると思います。年間4千万円弱の委託費、金額だけ聞くとエーッと思いますが、市の職員7人の人件費分にしか過ぎません。直近の原油高で灯油代が大きく跳ね上がっているのは事実でしょうが、一時的でやがて落ち着くでしょう。

 コロナ禍の中でも入館者は7万人を超えています。これから現代芸術の美術館に衣替えするとのことです。果たして入館者は増えるのでしょうか。

 昨年の大地の芸術祭で作品をリニューアルしたはずのキナーレ(名前は変わったようですが…)は前回に比べ2万人入館者が減り、5万9千人にしか過ぎません。

 また人気作家、カバコフ夫妻の新作を全面的に展示した農舞台も前回より入館者数を減らしています。全体として何とか面目を保てた入込数ですが、その多くは入場者が前回の2・8倍、23万人に達した清津峡トンネルの貢献によるものです。

 清津峡トンネル作品の人気は、清津峡の自然美と作品が奇跡的にマッチした結果、SNSで「ばえる」場所として拡散して一般に注目されたからです。キナーレや農舞台の入場者数からも分かるとおり、コンクリートの建物の中の作品群は「ばえない」ので一般的な人気には結び付きにくいのでしょう。

 振り返ると前回の芸術祭のテーマ「方丈記私記」では、そのコンセプトを市街地に展開をすると発表していましたが、その後どうなったのでしょうか。次回は秋山郷にテーマを採るようですが、あの狭い崖っぷちに沿った国道にクルマが殺到したら、とても恐ろしいことになるのでは、と心配でなりません。

 また金沢の21世紀美術館が引き合いに出されていましたが、それは金沢市という強力で魅力の詰まった場所だからできること。今後、全面的に現代美術館に改装したキナーレに地域住民は親しめるのでしょうか。再考を望みます。

原付バイクのご当地プレートに見る特色化

魅力的な地域資源とその活用

経済地理学博士・清水 裕理

 地方創生が、わが国の重要施策となるなか、多様な地域資源を活用した地域活性化に注目が集まっています。   

 地域資源とは、地域に根付く自然、食、産業、建物などのほか、風土、歴史、文化といった目に見えないものを含む地域に存在している資源を指すことが多く、地域には、地域ならではの地域資源が数多く存在しています。

 各地域における地域資源の活用は、様々な活動や創造力の向上につながり、地域の経済や産業の発展に寄与します。 

 自らの地域には何もないという言葉を耳にすることが時々あリますが、周りを見渡せば、魅力的な地域資源がたくさん存在していることに気が付き、今の時代にますます輝きを見せるものがあると思います。

 地域資源の活用の成功例としてよく紹介されるものに、里山で身近な葉や花を収穫し、料理のつま物として整え出荷をした四国のまちの取組みがあります。

 妻有地域は、地域資源の宝庫であり、以前から続く取組みや、新たな取組みなどが活発に行われていることと思います。

 近年は、社会経済の変化に伴い、目に見えるものに加えて、無形なものや精神的なものが、新たな地域資源として注目されるようになりました。 あらゆるものが手に入るようになり、足元では生活が厳しくなることが心配されていますが、戦後に比べると豊かさを享受できる時代となり、それにつれて、人々の価値観は量から質へと変化し、健康や癒しなどの新たな価値を求める傾向も強くなっています。

 全国にどのような地域資源があるかについては、原付バイクのご当地プレートを見ると、そこにはユニークな地域の特徴や資源が描かれ、自分たちの地域で今はこれをアピールしたいというものが表現されており、ネットなどで検索することができ、興味深いです。

具体的には、「風景や風土」で夕日、星空、神事、花火大会、「食」で米、果物、野菜、魚貝、酪農、B級グルメ、「動植物」で桜、競走馬、白鳥、忠犬、「産業」で地場産業、食品加工品、工場群など、ご当地プレートにどのようにして描かれているかを想像するのだけでも楽しいです。

 そのほかにも「歴史」で古墳、土偶、城、 蔵、「文化・伝統芸能」で音楽、写真、歌舞伎、童話・民謡文化・伝統芸能、 「人物」、「建物・交通・インフラ」、「スポーツ」、「アニメ」、そして「アート」など、地域資源は多岐にわたっています。

 地域資源に新たな価値が加わり、さらなる地域活性化へとつながることを期待したいです。

仕舞い方の記はカーテンを引かれた

老犬が教える

秋山郷山房もっきりや・長谷川 好文

 先日クリスマス寒波が来ると予報が出た。その前に温泉に浸かって世間話でもして心身ともに温まって来ようと出かけた。そのお宅では長く飼われた老犬が横になってその最後の息をしているように見えた。長い間家族や訪れる人たちに可愛がられた彼は立つことは出来なかったが時より首を伸ばして、誰かを探すように、夢を見るように声にならない声で消える世界への別れを惜しんでいたのだろう。

 長いこと仕舞い方を考えていた私にとって実にその本質を彼が見せてくれたように感じた。仕舞うということは、そこで終えるということだと気が付いた。実を言うと私は昭和24年東京谷中で生まれ、以後40年以上暮らした東京が思い切れないでいた。30年近く住み慣れた秋山郷の一角はちょいと暮らし難い一軒家でこれからの雪のなかではカンジキとカッパ、スコップが手放せない辺境の片隅である。70を過ぎた老人がこの先ひとりでと考えるとどうもイカンのだ。これからの月日を東京と比べるべくもない雪のなかでどうしたものかと思い悩むばかりだ。そんな時ここをどう仕舞うかと行きつ戻りつしながら決めかねていた私の身の振り方を老犬の涙の声がけりを付けてくれたように感じた。

 先月、中津川右岸側の和山集落に一軒の家が空いたという。古い家で直さなければならないところも多く逡巡してもいた。なかなか踏ん切りと云うことは難しく崖っぷちに立ってさえ尚且つ逡巡の堂々巡りだったのだ。東京かもっきりやか、また和山かと決めかねる自分の決断を行きすがりに見せてくれた生き物の姿に教えられたようだった。そうなればひとつ最後の遊びにつぎ込んでみようと自分の残りの時間と預金通帳を眺め出すのだった。秋山郷でも私は30年近くもお世話になっていることだしそのお礼に使ってみるのも一興だと思うことに決めた。決めた以上は終わるまで順々と遊ぶしかない。東京は遊びに出たりすればいいじゃないかとこれも決めた。もっきりやは一軒家を魅力と捉えて風変わりの人間が来れば譲ってやって、私も協力して面白いキャンプ場にでもしてもいいじゃないかと急に呑気になるところがいじらしいというものだと、なんだか落ち着いて余裕すら出て来る。まだ空家が借りられる訳ではないけれどもどうにか努力を惜しまないつもりでいる。だって和山では冬でも道の除雪は行われているし、夜になって軽トラでも帰って来れるのだ。考えてもごらんなさい対岸に車を置いて雪だらけになっていたり、買い出しの荷物をリュックに入れてタマゴは割れるわ、パンは潰れるわで何回、いや何十回と大声で自分を呪ったりしないで済む幸せをである。和山の先には新潟だったり、東京だったり海を隔てたニューヨークにしたって指呼の間なのだから。そうだお線香でも立てて身の行く末を父親に拝んでみよう。元旦に四方拝もやって、この年が第3次もっきりや闘争の始りになれば上々で、私の「仕舞い方の記」はカーテンを引くことにしよう。

「アングレン虜囚劇団」、父のメッセージ

『新しい戦前』

清津川に清流を取り戻す会・藤ノ木 信子

 今年も、もう年末。肌をさすような寒さの感覚と、太平洋側では透み渡った空がこの季節を物語りますが、妻有は雪雲の多い日が増えているでしょうか。私たちの生活がウィズコロナとなってから2年が過ぎようとしています。

 歴史学者の磯田道史博士によると、日本人が病原体の存在を最初に想像した痕跡がうかがえるのは、735〜737年の天平パンデミックではないかとのこと。

 当時の日本人口の30%前後に当たる100〜150万人が亡くなったとされます。平城京を発掘すると、この時期の地層から大量に破棄された食器類が出てきて、これはパンデミックで病や死の穢れ(けがれ)を感じて廃棄されたものと考えられ、「食器を通じて感染症がうつる、目に見えない何かがある」そう人々が感覚的に気づいていた可能性があるとのことです。

 また、その後の平安時代ほど日本人が穢れ観を持った時代はなく、目に見えない疫病を恐れてやたらと手を洗い、人との隔離をはかり、家にこもる「禊ぎ(みそぎ)、祓い、こもり」という日本の文化的な背景をつくっていったのではないか。それで江戸時代までいき、江戸後期に西洋医学の影響が強くなった段階で、新しい科学的な疾病対策が生まれてきた。

 大局的に見れば、日本の感染症対策の流れは、そんな感じでしょう、としています(「現代化学」2021年11月号の記事参照)。

 この話を聞くと、平安時代のことが急に身近に感じられてきます。約1400年前に生きていた人たちと現代を生きるわれわれとで、日々感じていること、幸せに感じること、不安に感じることは同じで、同じ思いを抱き、その時代時代を生きてきた…。

 平安時代に、目に見えない何かがあると感覚的に気づいた日本人の豊かな感性、そして、それが現在の感染症対策の基本である手洗いの習慣へとつながっていることは、あらためてすごいことと感じます。

 私たちはお正月になると神社にお参りをし、手水(てみず)をとって心身を清めてから、禊ぎや祓いを行います。当たり前のように意識することなく、それを普通に行っているのは、そういうことなのだろうと思います。

 それから、私たちは、地球の大きなサイクルのなかに生かされ、大局的に物事や出来事を見ることの大切さを知るようになりました。

 来年はどのような一年になるでしょうか。現代科学の発展とともに、私たちのDNAにある感性を豊かにしてゆきたいです。

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