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オピニオン

 

膨らんだ資金がITで世界中をかけまわる

今年の世界経済を振り返って

経済地理学博士・清水 裕理

 早いもので今年も12月となり、残すところあと1ヶ月となりました。そこで、今年の世界経済を振り返ってみると、まずは米国や欧州などにおける歴史的な物価上昇(インフレ)があげられます。

モノやサービスの値段が継続的に高くなり、人々の生活に深刻な影響を与えるまでになっているため、各国の中央銀行が対策に乗り出しています。 具体的には、企業や個人が、設備投資や住宅投資などのためにお金を借りる時の金利が高くなるように誘導し、それにより需要を抑え、需要と供給の関係で需要が抑えられれば物価上昇の動きを沈静化できるというわけです。もちろんこれをずっと続けると経済そのものの力が弱まってしまいます。それは本末転倒です。難しい舵取りが続いています。

 中央銀行の一番の使命は通貨の安定で、インフレなどにより通貨の価値が不安定となり、公平かつスムーズな経済活動が阻害されることのないようにと、このミッション遂行に必死なのだと思います。

 そもそも、インフレが起きる理由を考えた時、その答えは単純ではなく、特に近年、経済の状況が複雑になっており、色々な人が色々なデータを示し、様々な説明をするようになりました。

 説明でよく使われる経済の主な市場には、マクロ市場、労働市場、金融市場があり、いずれの状況も複雑になっているように思えます。

 マクロ市場では、例えば、コロナ対策で政府が多額の支出をしたように、政府や中央銀行の関与が以前より不規則に増えています。労働市場は、業種や多様化する働き方の違いまで着目しないと重要指標である雇用や賃金の見方を間違えてしまいます。金融市場は、先物取引やデリバティブ取引などの取引手法が開発され、膨らんだ資金がI

Tにより目まぐるしいスピードで世界中をかけまわり、市場の動きについていけない感覚になります。それに、ウクライナ侵攻や中国ゼロコロナ政策などの国際情勢、資源や供給面及びサプライチェーン、為替の影響が加わります。

 年末になると、来年の景気予測が行われますが、世界でも日本でも予測をするのはとても難しいと思います。世界経済は、これからも複雑化していくのでしょうか、それとも逆に複雑な状況がそうでなくなったり、リセットされたりすることがあるのでしょうか。来年の世界経済も注視していきたいと思います。

財布が爆風に揺れて驚く…

冬の前に、考える

秋山郷山房もっきりや・長谷川 好文

 町場と違うところに住む私の冬は、村に旧仁成館(秋山郷和山)までの除雪をお願いすることから始まり、そこからはひとりカンジキと半コウツキにリュックを背負っての暮らしとなる。 

 今年の11月は暖かい日が続いていた。変なもので、暖かい分この先の雪が気になる。冬に降る雪の量は毎年同じだとも聞いているし、吞気にばかりはしていられない。寒気が下がる12月までに片付けておかなくてはならない冬の準備が目白押しだと気が付く。すると16日には初雪で5センチほども積もった。

 本格的な冬ともなれば来る日も来る日も雪、雪の日が始まり、大雪にでもなればまるで山小屋の小屋番である。およそ20年以上こんな越冬を続けている。

 楽しくなんかありゃしないが、春になってこれで峠を越えたと思う時、無事にやり終えた達成感でようやく一年の歳をとるようなものだ。

 都会の友人たちは「な〜に、好きでやってるのだろう」と見ているが、70歳を過ぎてみると好きだとばかり高を括ってもいられない。雪に取られたカンジキが抜けなくなったり、足を取られて起きられなくなる惨めさに泣く!

 先日、冬の前にと越冬用の食品の買い出しに津南から十日町へと出向いた。日暮れも早まったのだし、効率よく終えようとメモ用紙に店ごとの商品を書付て気合は十分だった。

 この頃、毎年のことだが何となく行く先々で「今年の雪はどうなるかな?」と聞くと、昨年の大雪の記憶が生々しく残っているのだろう「大雪!」と皆が答えた。

 十日町の行きつけのスパーでは年末に向けて、店内の配置換えが進んで商品を探すのに手間取った。大きな安売りチェーン店が町に馴染んだようで多くのお客さんを集めている。今までのスーパーも目を引く店構えや商品陳列でお客を繋ぎとめるのに懸命と云うことのようだ。

 何もかもが値が上がっている。財布の中身を気にしながらの買い出しは疲れるものだ。この冬は我慢しながらの越冬となるのだろう。

 経済のことは何も解らないが、個人商店を廃業に追い込んだスーパーマーケットも、今や世界規模のIT企業や通信販売会社に追われるようになって来ているということなのだろう。

 時代が進むにつれて商業の業態が変化して、自分が齢を取るにつれて馴染んだ町の姿が変わっていく。私の世代は良しとしても、現在の通信販売の次ぎはどうなるのだろう。大きな基地局ステーションから、それこそドローンが飛来して荷を運ぶのか。もっと進んで朝食も夕食も同じように玄関先へ届けられるのだろうか? それが新しくて面倒がなくて良いと言いそうな人ばかりになってしまうのだろう。

 そんな時代を生きる人は余った時間をどう使うのかと考える。ゲームに興じたり、美容に走ったり、病院で順番待ちに使うのだろうか? 

 しかし、そうなるとドローンが運ぶ荷物を見上げて、隣近所の生活レベルを推し量ったりするのだろう。商品の請求書がメールで届く度に財布が爆風に揺れて驚くことになるのではないのだろうか、と来る冬と、行く時代を眺めている。

気骨のある政治家、今は…

昭和34年の新聞

清津川に清流を取り戻す会・藤ノ木信子

 本紙一面の「今週の語録」欄は、号内の大切な言葉がピックアップされていて毎週楽しみに読んでいる。一方、政界の今週の語録はというと「法務大臣は、朝死刑の判子を押して昼ニュースになる地味な役職」という失言では済まされないもので、え〜っ!? とのけぞった。

 この人は「外務省と法務省は金と票が集まらない」とも言っていて、いやはや…言葉は言霊、大臣の器に非ずとそのまま表現している。私は死刑廃止論者なのでこの機会に刑の在り方について議論が深まればいいかなとも思ったが、今回は閣僚の資質について物申したい。

 写真はまた古箪笥の底から出てきたもので、昭和34年の岸改造内閣の閣僚を紹介した毎日新聞。私が赤ちゃんの頃なのでこの中に知ってる人はいないよねと思ったら、あらら? 見たことある顔が…日本の政治家生命は長いんだなあ。

 男性ばかりだけどこの頃は個性的な人が多く、それぞれに信念があって特徴がある。例えば次期総裁を狙う池田勇人通産大臣は、数字に明るい大蔵官僚だが「冷や飯は食ってみるもんだ」という義理と人情に生きる親分気質。初入閣の中曽根康弘国務大臣は「身をささげて共産化の防波堤たらん」と28歳で警視庁監察官の職を投げ出して初当選、憲法改正の歌を作詞したり、原子力を推進したりの判りやすい○派だ。

 この頃の政治家には世襲議員はなく、叩き上げで苦労人が多い。今の岸田内閣は地盤・看板・鞄(支援組織・知名度・資金)に恵まれたスタートラインから立候補し、勝率8割といわれる世襲議員が半数を占める。入閣条件が当選回数の順というのも変な習慣だが、彼らは選挙でさほど苦労することなく若年から当選回数を重ね入閣する。そう言えば辞職した法務大臣も養祖父が衆議院議員という世襲議員…そりゃあ世襲議員にも立派に負託に応えて活躍される方もあるから世襲がダメとは言わないけど、もっと多様でもっと自由な候補者と対等に政策論で選挙戦できることが大事だよね。

 主権者教育がしっかりされている英国ではアンフェアを嫌い、親とは違う選挙区で立つため世襲議員がほとんどいないそうだ。親の七光り・カルト集団の票や動員・選挙屋を雇って当選しても自分の実力ではないし、国民のために働けるのだろうか。 

 ところで私が気になっているのは、この古新聞当時から岸総理と文鮮明は繋がっていたという報道で、私が生きてきたここまでの時間はずっとこの国がカルトに収奪されていたということ?

22.11.19オピニオン.jpg

教育と地域のための議論を

十日町市の中学校再編問題

年金生活者・斎木 文夫

 十日町高校、十日町市立南中学校が男女とも県駅伝競走大会で優勝した。全国大会は、テレビとネット中継で応援します。

 学校つながりというわけでもないが、市の中学校再編方針の見直しが話題になっている。「第2次十日町市立小学校・中学校の学区適正化に関する方針」がまとめられたのが2019(令和元)年。その後、特に統廃合と名指しされた学校を抱える地域では、方針の是非と望ましい学校教育のあり方について活発な話し合いが続けられてきた。

 そのためか、今年8月、市教委は中学校再編計画について再検討すると発表し、「あり方検討委員会」が今月1日にスタートしたところだ。

 全国で学校の統廃合が進んでいる。きっかけは、2014年に総務省が各自治体に「公共施設等総合管理計画」策定を要請したこと。指針では「計画期間における公共施設等の数や延床面積等」の目標を示すよう求めている。

 学校は数が多く、床面積も広いことから、総量的な削減目標達成のために、統廃合が全国に広がった。市が公表している2022年改訂の「十日町市公共施設等総合管理計画」には今後の数値目標は書かれていないようだが(私の見落としかもしれない)、市においてもこうした動きと無縁とは思えない。

 2020年に情報館で講演された和光大学・山本由美教授は、現在の学校統廃合は教育的な見地から行われているものではない、と危惧している。例えば、市教委の方針は、ざっくり言えば、「人口減少によって小規模校が増え、そこでは望ましい教育ができないので統廃合する」と読み取れ、市民の議論もそうした考え方が土台にあるようだ。しかし教育界で「小規模校ダメ論」の根拠はない。現に、小規模校教育の良さを実感している教員、子どもも多いはずだ。

 「あり方検討委員会」は、今度こそ、数合わせでなく、教育と地域のためにどうあるべきか真剣に考えていただきたい。

 昔は地域(日常生活圏)の中心に小学校があった。そして、生活を支える地元商店、鉄道・バスがあった。今、私たちの日常生活から、この3つが消えようとしている。

親も、健康も、なくしてはじめてそのありがたさに気づくという。地域の学校、商店、鉄道・バスもまたそうならないようにと願うばかりだ。

我慢しないで。もっと自由に!

どちらも大事

元ゆずり葉編集委員・松崎 房子

 9月24日号に、拙文を掲載して頂いてから、どうにも落ち着かない六週間だった。掲載後まもなく、私よりはるかに若い方から、「成る程言い切りましたね、あれでいいのですね!」いやちょっと待って、私が断言したのではないよ

 〈年齢を重ねたら、やりたい放題〉の一文だろうか??‌ いやいやあなたは まだまだ責任の重い世代でしょう! と思った。

 がしかし幾つ何十になっても責任はある。

 そういえばもう少し前に、著名な女流作家が書いておられた言葉を思い出した。年を取るというのは、ご褒美でも、勲章でも、特権でもないと明言しておられた。どんな世代の人にも、地球の公転である一年は平等に積み重なるのだから…。

 ご褒美でもない、特権でもない、勲章でもない高齢者について前回紹介した、今大人気の先生は、どういうお考えで私を虜にしたキャッチコピーを書かれたのか?

 やはり著書を買って読まねばわからないわね!

 ところが昨今新聞に特集で取り上げていて、著者の意図が分かった。

 高齢者は衰える一方の存在、お金も使わないという、決めつけがまかり通っている。そうやって遠慮がちに縮こまって暮らすお年寄りに【我慢しないで。もっと自由に!】という著者のメッセージとして書いたと記されている。著者の意図を読まずに、気に入ったところだけを錦の御旗にしていたのは、大きな間違いだった。そもそも私はとても遠慮がちには暮らしていない。縮こまってもいない。私が勲章の様にぶら下げてはいけないフレーズだった。

 長女・長男は、まあ元気で気に入った事をしているのだから、いいんじゃないの! と思っているのか何も言わない。しかし末娘は何かにつけて口うるさい。自分がやりたいからとやりたい放題はだめだと、折に触れて苦言を呈してくる。

 都合の良いところだけを見てイキイキ暮らすのも程度問題で、もっと謙虚に、周囲のことも考えて日々を過ごすように、心がけなくてはならないかも!

 謙虚に暮らすことも、前向きに暮らすことも、どちらも大事にしなければと反省しきりの六週間だった。

円安、外国から芸術祭入込増、冬開催継続を

秋に思うあれこれ

会社員・村山 朗

 毎朝新聞に目を通すのが長年の習慣です。ネットのニュースも見ますが、自分の読む記事の傾向をとらえて配信されるようで、いつも話題が偏りますし、さっと見出しだけで終わることも多いです。 

 新聞は同じニュース源でも新聞社によって論調や書き方に違いがみられます。今回の安倍元首相の暗殺事件とその後の国葬についての報道は、その典型と言っていいと思います。じっくり読めることが新聞のありがた味ですが、多数の新聞を購読する余裕はありませんので、自分の考え方に近い新聞を購読するということになります。

 最近の記事は統一教会がらみが多いですが、心に残った記事を思いつくままに挙げてみますと、歴史的な円安とそれに伴う物価高、エネルギー価格の高騰による貿易赤字の急拡大、膠着状態のウクライナ戦争、底の見えないオリンピック汚職事件、日本を守るための防衛費増額論議、中国ミサイルの我が国EEZ内への着弾、北朝鮮の連続ミサイル発射、中国共産党大会での習近平独裁体制強化、などです。

 中国・北朝鮮・ロシアに囲まれている我が国としては正に内憂外患と呼ぶべき状況です。一方でコロナ感染第7波が下火になり、防疫体制の緩和によって外国人旅行客が急増して、観光産業が一息ついたのは明るい話題でしょう。海外からの旅行客に今の安い日本を是非満喫して帰っていただきたいと思います。

 しばらく前に、ラーメン好きのアメリカ人が「ニューヨークではラーメン1杯が2500円(1ドル110円の頃)だ。それが日本では1杯1000円以下(今なら700円以下!)で食べられる。それもむこうでは味わえないおいしさだ。ラーメン好きにとってはまるで天国のようだ」と言っておりました。

 提案ですが、閉幕が近づいてきた大地の芸術祭を以前にも開催した冬会期として継続できないでしょうか。雪の中の芸術祭は海外からの旅行客の目に、とても魅力的に映るに違いありません。遅いかもしれませんが、遅すぎることはありません。真面目に検討していただきたいと思います。

 それはさておき、筆者は殆ど旅行や外食をしませんので、旅行や外食に多額の補助金を投入するというのは、納税者として釈然といたしません。 確かに旅行業界や飲食業界はこのコロナ禍で最も打撃を受けた業界に違いありませんので、絶対に反対というわけではありませんが。補助金を公平に采配するのはとても難しいことですが、ここが政策当局の知恵の見せ所だと思います。

いかに生きるかを考える入口

物語を生きる

経済地理学博士・清水 裕理

 松之山の坂口安吾しかり、岩手県花巻の宮沢賢治しかり、地域が生んだ作家、そこを舞台にした作品、主人公の生き方は、地域が育んできた大切な財産だと思います。

 地元に作家の名を冠した文学館や記念館が誕生し、生誕祭などでは上映会、講演会、朗読会、研究会が開催され、作家や作品の雰囲気に触れたいと全国から人が集まります。

 坂口安吾や宮澤賢治のほかにも、石川啄木の盛岡、樋口一葉の東京台東区、島崎藤村の木曽路、室生犀星の金沢、佐藤春夫の新宮、壷井栄の小豆島など。

 ゆかりの地は、物語のふるさとであり、作家の意識や価値観の形成と強く結びついています。

 大棟山美術博物館で、実際の坂口安吾の思い出を話して下さった方がいて、「ああ、本当にこの偉大な作家が、この地で色々な思いを巡らせていたのだなあ」と感じました。

 風土から生まれた文学には、今を生きる地域や人々に時を超えて共感を与えたり、何かを考えるきっかけを与えたりする力があると思います。 

 2006年の坂口安吾の生誕百周年に新潟市では、何事にも一生懸命に挑み続ける彼の精神を現代市民も共有しようと「安吾賞」が表彰されました。

 宮沢賢治は「心象スケッチ」と称して、野山を歩きながら湧き出てくる感情や思考を作品に描き、今も花巻の郊外に足をのばすと、イギリス海岸など作品の舞台となった場所があり、詩碑、産湯をつかった井戸、いきつけの蕎麦屋など、作家や登場人物に思いをはせながら散策をすることができます。

 まちづくりのコンセプトにも物語が生きており 、「銀河鉄道の夜」のモデルとなったJR釜石線の各駅には作品ゆかりの愛称が付けられました。童話から命名した公園、おしゃれなカフェなど、まちのいたるところで宮沢賢治の世界に触れることができます。命日には地元小学生の合唱や高校生の野外劇など手作りで心のこもった賢治祭が行われ、「私たちの心の中に賢治さんはいつまでも生きています。」と語ってくれました。

 文学館や記念館のあるまちは、単なる観光資源ではなく、子供たちが暮らす地域への自信や誇りを感じたり、人としていかに生きるかを考えたりする大切な入口となります。

 自然豊かな妻有の地で、これからも感性豊かな生活が営まれ、この瞬間にも物語はつくられ、偉大な作家が誕生することが楽しみです。

朝寝ているとアオゲラのドラミング

飛ぶ鳥にがんつけられた

秋山郷山房もっきりや・長谷川 好文

 今のニュースを横目で見ながら、それに反応して文句ばかり言っていても埒が明かないと気が付いた。ミサイルが頭上を飛び越えたってニュースで知るときには、既に落下しているのだろうから如何にもしようがない。そんな時は気分を変えて面白いことを考えたり、チョイといいことを思ったりしなければいけない。

 先日秋山の細く長い山道を走っていた。天気も上々で良い日和だった。道脇から2羽のセキレイが待ってましたとばかり車の前に飛び出して来て、道に沿って低く右に左にダイブしながら進む先々の路面に止まってこちらを促すように首を向けていた。

 近づくと、また飛んで行って、止ってはふり返るように私を見ている。いやセキレイはよくこんな遊びをする鳥だが、このときはおよそ1キロも挑戦するように、車をからかっているように、面白がってゲームに引き込もうと遊んでいるようにも思った。人間の作る道は動物にとっても走りやすいもので、鳥はあれで身を守る藪なんかより空が見える飛びやすいところを楽しんでいるようだ。

 キジバトはよく道路の真ん中に2羽でド〜ンといることがある。ヤマバトとも言うこのハトは、少し鈍重なのか車が来るまで飛び出さないで、ぶつかるかとブレーキを踏む頃に羽根をばたつかせて飛び去って行くことがある。 

 そうかと云うとトビが道路の上空を、車に引かれたヘビやら小さなケモノを探すように飛んでいるのも見たことがある。そんな姿を見ると生き物って必死なところもあるけれど以外とあっけらかんとして生きているように感じる。

 朝に寝ていると不意に外壁を叩くアオゲラに起こされる。外壁に穴が開くと往生なので私も反応して自室の板壁をドラミングするように叩くと奴さん何だろうとしばらくはじっとして様子を見ているのだ。

 生き物はそれぞれ長い年月を使って滑ったりころんだりして進化している。

 先日、秋山郷でイヌワシの営巣が見つかったと聞いた。ところが幼鳥は飛ぶことがなく、環境の変化を極端に気にするイヌワシは工事の騒音や低空で飛ぶヘリやジェット機の音に敏感に反応して、折角の巣を放棄してしまったようだと聞いた。

 天然記念物の由縁なのだが、ここでも10年も前の春先に大きな猛禽類が3羽で飛ぶ姿を見たことがあった。親子のワシ、タカなのだが、それがイヌワシだったかは定かでないけれどもそれ以来杳として見えなくなった。 ただ冬になると車の外に大きな望遠鏡を立てた調査員を見かけるようになった。環境省のイヌワシの調査だというのだから、あの3羽の猛禽はイヌワシだったのかも知れない。以来見ないが、飛んでいる姿は見たいものだ。3羽が並んで鳥甲山の裾を音もなく飛ぶイヌワシに聞いてみたいものだ。「お前は今どこを飛んでいるのか」と。 

 この10月頃につがいになるこのイヌワシを寒い手に息を吹きかけ、双眼鏡を持って捜しながら山を歩いた方が良いに決まっている。手の届かない心配事は放っておいて…。

ミサイル、ウクライナ侵攻、原発、食料自給率

揺れる稲穂に感じる

清津川に清流を取り戻す会・藤ノ木 信子

 また北朝鮮からミサイルが発射されて「Jアラート!」とテレビは大騒ぎしている。なんだかトンチンカンな気がしているのは私だけだろうか? 統一教会が日本の信者から得た献金の一部は北朝鮮にも流れていて、その統一教会の選挙支援で当選した議員や、教会から送り込まれた秘書が多数いる与党政府が発信するアラートってどこまで信用していいの? と朝から脱力している。

 少し前まではサイバー攻撃や核のボタン一つで相手国を屈服させる戦争を想像していた。そのボタンをいかに押させないようにするかが国際協調と外交手腕だと。「ロシアはヨウ素剤を大量に買っている」と「ニューヨーク市が核攻撃を受けた時の対処法動画を公開した」という情報は核のボタン一つの戦争だ。

 一方でここまでのロシアによるウクライナ侵攻は、戦車で乗り込んで実弾打ち合う戦法の陣取り合戦だ。多くの死傷者と予備役の招集、それを逃れようとする人たち。生身の戦争をひしひし感じる。映画やフィクションでしか戦争を知らない世代が多くなった日本の皆さん、我が身に召集令状が届くことを想像できますか? 国会を軽視し憲法に反してでも閣議決定で国葬を実行する政府だから、戦争も招集も国民の声を聴かずにやるだろう。この道はいつか来た道…と数週間ずっと私の貧弱な思考は堂々巡りしている。

 世界がきな臭くなって安全保障って何だろうと思う。戦闘機や武器をたくさん持っていること?お友達の大国が守ってくれる? 国連でさえウクライナを守れないではないか? 現実に即して考えると以前も書いたように日本を攻撃するには、今朝のような4600キロも飛ぶミサイルでなくても海岸線に並ぶ無防備な原発をノドンで狙えばいいので簡単だ。地上戦といってもウクライナ国民のようにすぐに銃を持って戦える日本人がどれだけいるのか。それに勇ましく出兵しても食品を選ぶことが難しい戦地では、アレルギー体質の多い国民兵士は戦う前に体調を崩してしまうだろう。(先の大戦では戦死者の多くが餓死だった)いやいやその前に食料とエネルギー自給率の低い国は兵糧攻めだけで国民が飢えてしまう。だからこの国は決して戦争をしてはいけない。コツコツと実直に隣国との関係を保つことだ。

 稲穂が揺れる田んぼを眺めて「食料自給率上げることから始めないとね、ミサイルどころじゃないよ」と思う。併せて原発を廃し、エネルギーの分散自給を進めることが一番の安全保障だと思う。

すべては私たちの選挙行動から始まっている

3つの選挙が終わって

年金生活者・斎木 文夫

 久々に会った友人は開口一番「今年の選挙は3連敗だ!」とご立腹だ。3つの選挙に共通するのは、争点が見えにくかったこと、有権者は現状維持を選択したことだ。

 新型コロナ、地球環境、戦争、原発、核、憲法、安全保障、人口減少、物価、年金、学校・保育園存続など、争点はあった。ここで何とかしなければ大変なことになるというサインはあったはず。

 与党は争点を隠そうとした。野党はそれを暴ききれなかった。有権者は、選挙の争点やこの選挙の意義を理解せず、選挙結果が自身の生活にどう関わるのかを想像することもなく投票した。参院選では約半数が棄権した。

これはもう、民主主義の危機だ。

 メディアの責任もある。特にテレビは「民主主義の危機」に対する危機感がない。与党から「公正中立」を保つよう求められているから?

 「日本人はまともな政治教育を受けていない」という指摘がある。70代の人は半世紀前に「政治の時代」を経験している。若い世代ほど保守的なのは、政治に対する勉強をロクにさせてもらってないせいだろう。

 ともあれ、「賃金が上がらない」と嘆く勤め人も、「物価が上がって困る」とこぼす主婦も、「自由に米を作らせろ」と訴える農業者も、「また年金が減った」と肩身が狭い年金生活者も、現状維持を選んだ。多くの有権者にとって、自公の政策は正しかったのだ。

 この先、日本はもっと弱くなる。人口が減るのだから当たり前だ。安全保障と言えば、アメリカから武器を買って核の傘に入れてもらうことしか思いつかないこの国の指導者たち。食糧、エネルギー、情報技術の安全保障もダメなままだし、「人間の安全保障」を作る民主主義的な社会システムも危ういなら、国際社会での地位も低くなる。

 国交正常化50年となる中国ほか近隣諸国との関係は戦後最悪。27日に国民の分断を招いてまで安倍氏の国葬を挙行した責任はだれにあるのか。この秋も値上げが続く。10月からの最低賃金改定も世帯収入増加や実質賃金向上につながるか。

 十日町高校松之山分校が松代高校に統合されるかもしれない。松代病院の病床数が減りそうだ。鉄道の赤字路線の見直しが始まろうとしている。例の津南町保育所計画はだいじょうぶか。

 国民一人一人が選挙の結果を引き受ける—それが民主主義のルールだ。自戒を込めて言うが、すべては私たちの選挙行動から始まっている。

「60代、70代がその後を左右する」

活きの悪い回遊魚

元ゆずり葉編集委員・松崎 房子

 世界中が苦しめられている『コロナ』。高齢者になった我々はすっかり分断されてしまった。友人達はすっかり用心深くなって、誘っても断る人が増えた。

 ワクチンも打っているし、大丈夫よ! と言う側も確かな根拠もない。仕方がないので、無謀だと思われていると知りながらも、いつも通り一人で出かけたりして、都合の良い事ばかり探している自分がいる。

 高齢者専門の精神科医で今注目を集めていらっしゃる先生がTV出演された。「お陰様で著書を沢山買って頂いて、感謝いたします」とおっしゃった。が申し訳ないが私はその本のセールス見出しだけしか見ていない。それでもぴったりくる見出しばかりで、とても気に入ったフレーズが多い。自分が80代になったので、『60代、70代がその後を左右する』に納得がいく。60を超えたらやりたい放題。いやな事はしない、いやな人とは無理して付き合わない。いやな人と付き合うよりは孤独を楽しむ。等々自分に都合の良い事ばかりが並んでいる。それでいいんだ!!

 今日出来る事は明日も、明日も出来たら明後日も、出来る事はやり続けよう。

 幸いなことに80近くなってから収入を伴う仕事をさせて貰っている。大好きな事務仕事で、こんなに嬉しいことはない。白髪頭でミドル世代に交じっているのは、ちょっと気が引けないでもないが、仕事をするのに白髪頭は関係ないし…。夫に送り迎えをして貰って、二人三脚で携わっている。夫は米寿を超えたし、いつまでも甘えている訳にはいかない…。

 と思うそばから、冒頭の先生の著書では、免許返納はしなくてよいとある。片や娘は、自分がやりたいからと無謀な事はしないでといつも叱られる。遠出をする訳でなし、緊張感をもって運転をして貰うのも悪いばかりではない、と又都合の良い理屈が頭を出す。

 別の著者の本の見出し。『調理定年』してもよい。11歳から台所に立ってきたから勤続70年位になる。そうだそうだと都合の良いフレーズを見つけはしたが、元気で過ごせているのは、三食を大事にしてきたからに他ならない。代替え案はどうしよう?

 回遊魚は動きを止めると死んでしまうとか! 動きを止めないでえら呼吸をする泳ぎ方もあり、左脳と右脳を交互に使って眠るとか、それなりの機能があるらしい。マグロに例えるのはおこがましい。せいぜい大好きな鰯がふさわしいかも。些か活きが悪くなってはいるが、回遊魚でい続けたいなと思っている。

「入るを量りて、出ずるを為す」

値上げの秋に思う

会社員・村山 朗

 ようやく酷暑の夏が終わったばかりですが、すでに我がフトコロは冬に向かってまっしぐら。電気料金、ガソリンは高止まりし、生活必需品も続々値上げ、または値上げの発表が行われています。生活必需品の多くを海外からの輸入に頼っているわが国では、米ドルに対して円の交換レートが150円にもなれば、これまでの値段を維持するのが困難になるのは当然。なんでも24年ぶりの円安とのことですが、統計によれば1998年は現在を100とすると消費者物価指数は98・1だそうです。その当時値上げで困ったなぁ、という記憶はありません。ガソリンも1リットル当たり100円もしなかったですし。

 筆者が初めて米国を旅行したのは、第一次オイルショックの直前。その当時、日本円が360円の固定相場から変動相場制に移って間もなくの頃で、1ドルは260円台でした。日本円の価値が低かった時代です。

 当時のメモによると最安値で購入した米国への往復の航空券は15・5万円、当時の大卒初任給の2倍近くでした。物価の違いがあるので単純に比較はできませんが、現在の航空料金に比べてもかなり割高ですね。予算は限られていましたので米国内での旅行費用は切り詰めて、移動は周遊券の長距離バス、宿泊は最低クラスのホテル。1泊3ドルから7ドルくらい。旅行中、感覚的には1ドルで(日本の)100円分のものしか買えない感じでした。

 現在の対ドルレートそのものには驚きませんが、この50年で原油の価格が数十倍になり、物価も相当上がっています。経済が成長しない、給料が上がらないと揶揄される日本ですが、円の対ドルレートが比較的高かったので、私たちの生活も何とかやってこれたんだと思います。

 日本にないものはよその国から買ってくればいい、ということが通用しなくなっています。国と国との間は足して2で割るような単純な関係ではありませんので、捨てる神あれば拾う神あり、と思いますが、金を出しても買えなくなる世界を想像できた日本人は筆者を含めどれくらいいたでしょうか。

 政府は物価対策としてガソリンの補助金の継続、小麦の売り渡し価格を当面据え置くと発表、追加で住民税非課税世帯に5万円、加えて地方自治体に6千億円の交付金を出すようです。交付金は1世帯あたりにすれば大した金額になりませんので、市や町には上手に使って効果を上げていただきたいです。

 いずれにしろ筆者のような凡夫には「入るを量りて、出ずるを為す」ほかありません。

東日本大震災で途切れ、交流で復活した「大漁唄込」

唄い継ぐ

経済地理学博士・清水 裕理

 新潟や東北には、無形の郷土芸能が多くあります。唄い、語り、神楽など、地域の風土、産業、生活から生まれたものが多く、日本の地域の多様性や豊かさを物語っています。

 紆余曲折しながらも今に受け継がれている宮城県気仙沼市唐桑半島鮪立(しびたち)に伝わる「大漁唄込」を紹介します。

 鮪立は三陸海岸に面した漁港で、1675(延宝3)年に、暖流で北上する鰹を追ってやってきた和歌山県新宮の漁師たちが、当時珍しかった鰯を餌とする溜釣鰹一本釣り漁法を当地に伝授しました。 

 その後、鮪立では、船が大漁で港に帰る際、陸に向かって、「ヘン ヨーエス〜」という拍子に一人が威勢よく「お祝いごと〜は しげければ〜よ〜」と唄いながら帰っていたそうです。

 しかし、大正時代になると、和船がエンジン船に変わり、作業唄である「大漁唄込」を唄う機会がなくなってしまいました。それを惜しみ懐かしむ人々が、1975年に保存会を結成させました。

 看絆(かんばん)と呼ばれる華やかな漁師の衣装を身にまとい、深紅の鉢巻をしめた粋なスタイル、大漁のぼり旗と幟旗をかかげた和船の入港が「気仙沼みなとまつり」で再現されました。

 しかし、2011年3月11日の東日本大震災の大津波で、漁港と周辺施設のほぼすべてが流されてしまいました。保存会のメンバーの多くが被災し、和船や大切な看絆の多くを失ってしまいます。 

 そのような中、交流が続いていた新宮市から慰問団が来ることになりました。それへの感謝の気持ちを表そうと活動可能なメンバーで、大漁唄込を唄い一行を迎えました。震災でいったんとぎれかかった「大漁唄込」が、新宮との絆をきっかけに復活した瞬間でした。その後、声がかかれば、できるだけどこへにも出かけようと、唄い続けられています。

 震災でやむを得ず、いったんこの地をはなれざるをえなくなった人たちもいます。「大漁唄込」が唄い継がれれば、彼らがこの地に帰ってきたとき、この唄で迎えることができます。

 ふるさとの唄を聞いて懐かしく思ったり、戻ったときにここにきて顔見知りに会ったり、 新しく入会して仲間をつくり直会(なおらえ)で楽しく会話をしたりすることができます。

 そうやって、人と人とがつながって、過去から現在、現在から未来へと唄い継がれる…その先に地域の未来が見えるような気がしました。

元首相への恩義でひょいと明るみに出た素顔

あれこれ、夏がいく

秋山郷山房もっきりや・長谷川 好文

 この3年間、コロナが始まって、ウクライナ侵攻が起こって、奈良で演説中に倒れた元首相とその国葬問題が出てきて、いや政治家と旧統一教会の関係までが明るみになって、まるでオレオレ詐欺のように安直に信者から献金という名でむしり取った莫大な資金が韓国の旧統一教会本部に流れていると伝わって来た。日増しに質の下がった大きな問題が今この国で続いて起ってきている。

 その点、コロナはワクチンを打てば体力のある人はひどくはならず、私も先日4回目の注射を接種して肩が痛くなったくらいで耐性が出来て落ちつきそうだ。ウクライナ侵攻はプーチン・ロシアに対峙するウクライナ国民がほぼ互角と思える戦いを続け、この後1年ほどは続きそうだという識者の声もある。私にはそのあたりは分かるはずはないが、プーチン・ロシアは1年もすれば国民についた嘘のボロが出て来るかも知れないということは感じる。

 私が若かった時の話で恐縮だが、旧統一教会が日本で活動を始めた頃に学校にもその信者という人がいて、ふいにやってきては、あーでもない、こーでもないと、うるさい限りだった。私もまだ子供で強く言われるとしどろもどろになって、この場をどう逃げるかとばかり考えていた。

 そのうちに壺を買えとか集会に来いとか言い出して、私はまわりを信者たちに囲まれて参ったことがあった。ヘンに生まじめに一生懸命に口説く宗教者には付ける薬はないと感じて逃げてばかりだったが、おかげで逃げの一手は上手になった。

その後もネズミ講だったり、マルチ商法だったり若い世間知らずな人間には、何かしらお金に係る落とし穴がたくさんあったように思う。

 宗教だって統一教会だけではなく仏教に根ざした新興宗教が家まで来て折伏するので困ったということも聞いた。キリスト教に端を発した新興宗教などもいろいろあった。 

 そんなことは江戸時代から世の中が乱れるといくらでも出てきたようである。オウム真理教だって結局旧統一教会と似たようなものじゃないかと記憶している。SNSしか知ろうとしない、世間知らずな現代の若い人はそんな宗教人にとってはよいカモなのだろう。

 奇しくも亡くなった元首相に恩義を感じていたのか現首相は、西大寺駅前でビールケースの上に立って参院議員候補者の応援演説中に凶弾に倒れたその事件に驚いて、彼の葬儀を国葬にして義理を済まそうとでも考えたのだろうか? おっちょこちょいの好人物な首相の思い付きが、結果、この国の選挙制度や有権者を巻き込んで元首相が隠していたその素顔を、ひょいと明るみに出してしまったのだろう。

 しかしそれよりも大きな問題は、議員の4分の1が開くように要求したのなら、国会は開かなくてはならないと云った法はどうなったのだろうか! これは穀倉にでも仕舞い込んだのだろうか??(現元首相も年下なので敢て言うことにした)

日本人には選挙は向いていない?

時代で変わる政党の目的

清津川に清流を取り戻す会・藤ノ木信子

 カルト教団被害者家族の成年は、誰にも助けられず自力で生活し、自助の純粋な結晶のように一人で銃を作り計画し罪を犯した。困った時に共助や公助があったら違っていたかもしれない。事件後、国民が気付いたのはカルト教団が国の中枢に入り込み乗っ取られる国家という真夏の怪談より怖い現実…「ああ、こういうことだったんだ」と思い出したことがある。

 ずっと前、村の長老が村議選挙の時にこう言った。「日本人には選挙は向いてないと思うよ、昔はね、人徳のある人を話し合いで選んでいたんだ。推薦したり決めたりする年寄り組があってね」。私は意気揚々と「でも今の日本は民主主義だから選挙で投票して選ぶんですよ」と反論した。今思うと有権者が油断すると選挙は悪用されるということだったんだ。メディアや警察を押さえ、集票のためなら反社やカルトとでも手を組み、霊感商法の広告塔にもなる。選挙は結果がすべてで「教団との関係は個人の政治活動に関するもので、調査をする必要なし」と勝手に閣議決定する。

 票を投じる有権者側も詐欺容疑でドバイから帰れず国会に登院できない候補者をシャレや遊びで当選させる。皆が選挙の仕組みを悪用したりふざけたりして国民の権利を踏み潰す。「本当だ、民度が低い日本人には選挙は向いてないのかもしれない。自分で考え責任をもって投票しないと民主主義は維持できない」と落ち込んでいる私を誰か救って下さい。(宗教団体はお断り、壺は買いません)

 写真は古い箪笥の引き出しの底に敷いてあった昭和41年に自民党新潟県連が発行した一枚だ。他党のチラシ? と思うような見出しに公営住宅や高田保健所、病院、小出町の障がい者施設など今の自民党とは別物の福祉に重点をおいた政策が並ぶ。左の写真は松之山町の地滑りの復旧だ。「国葬に37億円使うくらいなら全額豪雨被災地に使ったらいいのに」と思っていたが、昔はちゃんとやっていたんだなあ…。困っている人や国民の生活のために予算を組んでいたことがわかる。これはみんな公助ですね。

 長期政権・小選挙区制の弊害か、はたまた世襲議員の勘違いか、これほどまでに政党の目的は変わる。きっとこの時代、有権者は今より関心を持って政治の在り方を見ていたんだろうな。憲法12条「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」そう、クヨクヨしている場合じゃない。不断の努力!

220822 自民党チラシsn.jpg

「同じ過ちを繰り返さないでください」

ナターシャの想い

年金生活者・斎木 文夫

 原爆忌の8月6日、ウクライナ出身の、歌手でバンドゥーラ演奏家・ナターシャ・グジーのコンサートが越後妻有文化ホールで開かれた。私も実行委員の一人だった。実行委員会は満席にすると意気込んでいたが、新型コロナ対策を取って定員の半分しかお客さまを入れることができなかった。

 ナターシャさんは、幸運な360余人のお客さまに深い感動を与えた。バンドゥーラは、5オクターブ60本以上の弦を持つウクライナの民族楽器だ。それを弾きながら、「水晶の歌声」と称賛される美しく澄んだ声で、語り、歌ってくれた。

 映画『千と千尋の神隠し』の主題歌『いつも何度でも』を歌う前に「今日、8月6日は77年前に広島に悲劇が起こった日です。広島と長崎の悲劇が今も終わっていないように、チェルノブイリの悲劇も終わっていません。」と語り始めた。そして幼いころチェルノブイリ事故に遭ったときの体験を淡々と語った。5分間の話を『人間は忘れることによって同じ過ちを繰り返してしまいます。悲劇を忘れないでください。同じ過ちを繰り返さないでください。そう願って私は歌を歌っています。』と締めくくった。

 ウクライナ人道支援のために、ナターシャさんが全国を巡るこのコンサート。彼女は22年前から日本で音楽活動をしているが、姉やいとこはウクライナにいる。訴えたいことは山ほどあろうに、声高にそれを言うことはなかった。

 彼女の思いをもっと知りたい方には『婦人公論』6月号インタビュー記事をお薦めする。ホームページ「婦人公論.jp」で読むこともできる。

ここでも「音楽で人の心に平和を生み出せたら幸せです」と語った。それが音楽家である彼女の生き方なのだろう。

 なお、ナターシャさんは14日の毎日放送『情熱大陸』に出演。21日まで番組ホームページで「見逃し配信」中だ。

 さて、前号の本欄で松崎さんが怒っておられる。私も、安倍元首相の国葬には怒っている。

 その理由は大きく5つ。法の根拠がなく内閣が勝手に決めたこと、政府は国会での議論を逃げていること、国民の多くが賛成していないこと、安倍氏の「業績」には賛否両論があること、安倍氏はモリ・カケ・サクラ・カワイ・元統一教会との関係等々の疑惑について国民に真摯に丁寧に説明してこなかったこと。

 「同じ過ちを繰り返してしま」う政治家に対して、国民として敬意をはらう気になれない。

鎮魂の八月に想う、様々な苛立ち

ものの見方

元ゆずり葉編集委員・松崎 房子

 物は見る角度・どの位置から見るかで全く違うとか! 例えばコップ。真上から見れば円。真横から見れば台形・長方形・その他などなど。

 現在の政治も私の見方とはかけ離れている。それをチェックする意味で留意しているのは、新聞のコラム欄。政治風刺のヒトコマ漫画。時事川柳。一言風刺。一読して即判らない時は、新聞の読み込みが足りないか? 世間とかけ離れているのか自問自答する。

 凶弾に倒れた安倍元総理は、不運だったと思うが、少なくとも、議員在職中には、もり(森友学園)・かけ(加計学園)・さくら(さくらを見る会)の3点については、総理の座を退いても、必ず説名責任を果たすべきだと、呪文の様にとなえ続けていた。

 その上驚いたことに『国葬』の案が閣議決定された。とんでもない。最長の政権を果たされてと、与党は声高に叫ぶが、国葬とするには、功罪列記して、民意を問うべきだ。それでも民意とはかけ離れていないと、のたまう幹事長もいる。

 さらに旧統一教会の名前が急上昇。オウム真理教と同じくらい、世間を騒がせた宗教であり、被害者も多く出ている。記憶にも新しい。その協会とのかかわりが少なくない与党議員が多いとの指摘だ。

 『国葬』なんてとんでもない。与党にとって、かけがえのない・大切なお方なら『自民党葬』で敬意を払い丁重にお送りすればよい。国民は民意とかけ離れていると、思っている人のほうが多いような気がする。そう思うのは私だけ⁉ いや、津南町議会議員さんも異議を唱えた方がいらっしゃったので心強く思った。私はそう間違っていないと! 何しろ国民の四分の一が選んだ政党で、四分の三は選んでいないのだから、当然の事か!

 物の見方といえば、こんなこともあった。

 一日二食で充分。16時間開けるのが、健康的だという一文を見た。〈えっ! 私は実行できる?〉

 かねてから夫も、一日二食にしたほうが良いかも。と言っている。が私はとても我慢出来そうもなく、かたくなに習慣を守り続けている。食べ過ぎになりがちだから、本当はそのほうが良いのかもと、思いつつ。

 そしてまた別の日、かねてよりそうだそうだと同感しているお医者さんの著書の宣伝文句。

 70代の生き方がその後の、80代、90代の健康をつかさどるとの説。

 具体的な項目が多数書いてあって、一々そうだそうだと同感する文言が多い。その中で、70代になったら、ダイエットはしてはならないとある。

 やっぱり不本意な事はしないほうが良いのね! と、合点がいった。

 鎮魂の8月、戦中戦後の貧しい食生活の場面を目にしながら、罰が当って、死にそうな食事に申し訳ないと思った。

「水道発電」、すでに全国で50万KW

再エネの今とこれから

会社員・村山 朗

 このところ猛烈な暑さが続きます。今朝も寝苦しくて目覚めたら、部屋の寒暖計は30度を指していました。熱中症対策にエアコンを夜中でもかけっぱなしがいいと言われますが、昨今の電気料金の値上がりをみると中々できません。とにかくアルコール以外の水分を頻繁に採るようにしています(笑)。

 一時期の電力が逼迫しているという報道は、好天で太陽光発電の稼働率が上がっているのか、あまり目立たなくなりました。かと言って現状が改善しているわけではありません。少しでもエネルギー自給率を上げないと、何回でも同じことが繰り返されます。

 太陽光や風力などの天候に左右される不安定な発電は、ピーク時の発電能力が上がれば上がるほどバックアップする電源が必要になり、結果的に化石燃料による発電の稼働率を下げることができません。我が国の当面の解決策は30基ある原発の再稼働でしょう。拙速は許せませんが、原子力規制委員会は現在不稼働の原発の運転許可審査を迅速でやるべきです。深刻な被害をもたらした福島第1原発から学んだことを無駄にしないためにも、怖いからやめる、ではなく教訓を生かして前に進む、ではないでしょうか。

 一方で再生可能エネルギーの開発は電力自給への最重要課題です。我が国は天候に左右されない再生可能エネルギーの地熱と水に恵まれています。 

 かつて十日町には、田川と飛渡川に水力発電所がありました。現代の基準からすれば小規模水力発電なのでしょうが、自前の電気を作っていました。4年前に事業計画が発表された十日町市の宮中ダムに隣接する水力発電所計画には期待が膨らみます。

 しばらく前にダンキンという会社が水道を利用してマイクロ水力発電という事業をやっているという記事を目にしました。すでに合わせると全国で50万KWを発電しているそうです。原発半基分です。水道は24時間水が流れています。これまで全く利用されず捨てていた水流のエネルギーを利用するもので、自治体は場所と水流を提供するだけで、資金負担はゼロ、水道も止める必要がないという仕組みとのこと。 

 河川の水流を利用した小規模発電や水道発電。小規模な発電施設を分散配置することによって不測の事態に対する耐性も高まります。松之山の地熱発電とともに水道発電や信濃川水系の中小河川で複数の小規模水力発電事業を起こし、この地を再生可能エネルギーのモデル地区にすることはできないものでしょうか。

図書館は地域の未来をつくる情報の宝庫

魅力ある地元図書館

経済地理学博士・清水 裕理

 暑い日が続いています。太陽が照りつける日はアブラゼミの鳴き声が勢いよく、まさに「なつ〜」という感じがします。お盆過ぎ頃から、鳴き声がアブラゼミからヒグラシへと変わり、過ぎゆく夏への哀愁を感じる瞬間も、寂しい気もしますが嫌いではありません。

 近年の夏は猛暑日が多く、家でクーラーがフル稼働です。

 話は変わりますが、地元図書館が昔から好きで、夏休みに館内に入ると、落ち着いた雰囲気に包まれ、涼しくて炎天下で額にじわじわとかいた汗が引いていく感じを心地よく感じました。

 図書館は、私たちの周りの公共施設のなかで、最も生活に身近な人気のある施設だと思います。引っ越しをするなら、図書館の近くに住みたいと思う人もいるのではないでしょうか。

 全国には、都道府県や市区町村の公立図書館が計約三千三百あり、図書館法に、誰もが無料で資料を利用できると記し、そこに蔵書の内容や量の規定はないため、公共図書館の内容や充実度は、地方自治体の方針によります。

 最近の図書館は、より利用しやすい工夫がなされ、勉強する場所のほか、ソファーにゆったりと腰掛け、新聞や雑誌を読みながら、外は木々や芝生に囲まれ、気持ちよい時間を過ごせるスペースが増えています。子供向けに、カラフルな図書コーナーと閲覧スペースがあり、読み聞かせ会のイベントに親子で参加し、親同士の情報交換が行われます。生活情報コーナー、知っておこう非常時の知識コーナーなどが、素早く分かりやすく設けられています。

 そして、忘れてはならないのが、求めている本の内容を相談すると、親切に応じてくれる司書さんがいることです。今はスマホでなんでも調べられる世の中ですが、あえて司書さんに聞いてみたり、話をしてみたりすることをお勧めします。それによって視野が広くなることがあるからです。

さらに、ほとんどの市区町村の図書館には、地元情報を集めた郷土資料コーナーがあり、町史、地元企業の社誌、学校の校誌といった一般では入手しづらい書籍、文化人が地元に寄贈した貴重な文献に出逢えます。地元新聞のバックナンバーもあり、地域の出来事などを網羅的に調べられることが魅力です。

 町民がまちづくりにかかわっていくうえで、こうした地元情報はこれからも重要で、地元図書館は、地域の未来をつくる情報の宝庫だ。

80億人の生があり死がある

『仕舞い方の記 其の2』

秋山郷山房もっきりや・長谷川 好文

 少し元気になって、毎月家中の物を片付けに出るようになった。

 衣料品は1年袖を通していない物は捨てる。子供の頃に大事にしていた宝物は遠い親戚の子供に送った。読み切れない本も今ではSNSで充分に読める。懸命に集めた全集を欲しがる学校も図書館も、いらないようだ。

 おかげで家の中がすこし軽くなった。何だかまた元気になるようにも思うものだ。動くということはそういう風に人に効果を与えるのだろう。

 お金はどこにあるか!負債はあるか! 後を継ぐ人間はいるか! 友人の名簿は作ったか! 親戚は誰で、何処にいるか! 最後のノートに書き残しながら、まだ死なないなと感じるこの頃ということになる。

 さて私のこの命どう仕舞うかということなのだが、右から左に終わりということにはならない。

 先日凶弾に倒れた元首相にしても早すぎるけれども、それはひとつの死なのである。この国を代表する仕事をしていた人にしてもである。私と考え方が違っていた方だったが、それでも亡くなって家族や歴史の中に留まることになる。もっとも凡人の中の下に並ぶ私などというものは実に簡単なことで事故に遭っても、病を得てもいよいよという時、死神に「順番だよ」と呼ばれると「もうちょいと待てないかな?」と頼んでも「そうはいかない、いそがしいのだから」と言われれば「それならしょうがない、それでは何卒よろしく」と付いて行くだけの話である。一国の代表者だとしてもきっと順番で亡くなって、50年も経てば評価され教科書に載って入学試験に出るというだけのことなのかも知れない。(国葬とは少し大仰だとも思うが)人間というのは世界に80億人もいて、苦しんで生きているのだから、そのひとつとしてはそれなりの亡くなり方だったのだろう。どうも私は往生際が悪いのだなとこんな時には感じる。

 変なものでこの辺りにも、同世代のひとり者がいるのだからそんな人たちと老人用のシェアハウスを作って村や町の社協に指導を仰いでみようかと考えたり、「もっきりや」という一軒家を使って、夏も冬も若い人たちに小さな冒険を体現する錬成場にでもしてみるかと安直に思いを巡らして遊んでいる風になる。直ぐに恐ろしいひとりの冬が来るというのにである。

 そんなことをここに来る人達と、ぼそぼそと話して私の仕舞い方を教えてもらっているといった感がある。きっと今日、私には少し余裕があるのだろう。

 そう云えば昔は都はるみの歌なんかを大きいスピーカーで流しながら商売人がよく来たものである。警察で行商人の許可書をもらって商人(あきんど)さんになるのもいいかもしれない。趣味と実益はないけれど商人宿に泊まって見たいとも思う。きっとまだ死にたくないのだろう。ちょっと未練たらしい!

「彼らの命は私たち有権者の1票につながる」

分岐点だった参院選

清津川に清流を取り戻す会・藤ノ木信子

 参院選が終わり、やはり大多数の無関心層と安定の組織票は変わりなく、「有権者の選択は現状維持」と新聞は呑気な見出しを打っている。私は今回の選挙が平和憲法を保持する重要な分岐点と思っていたので、ここで改憲発議できる3分の2議席を政権与党に与えた有権者の選択に「もう日本脱出したくなるわ…」とワナワナとしている。これは「現状維持」でなく、坂道を転がるように軍隊を持つ戦争のできる国になることを意味している。自民党の茂木幹事長は改憲発議について「できるだけ早いタイミングで行う」と発言。JNN調査では、選挙前の最大争点は経済対策39%で、改憲を挙げた人は4%だけだった。選挙が終わった途端、改憲の信託を得たと言うのか。ベネズエラやエクアドルなど紛争の絶えない中南米諸国では、日本国憲法9条をお手本に平和条項を織り込んだ憲法をつくり、マレーシアのマハティール首相も日本国憲法にならって改憲すると平和憲法を支持している。日本ではその流れと逆に「改憲議論へ期待高まる」と報道されているが、選挙後も国民が岸田内閣に求める優先課題は景気雇用・物価対策が上位で改憲は最下位だ。誰が憲法9条に自衛隊を明記し、防衛費を増やして世界3位の軍事大国にしたいのだろう。

 『自衛隊海外派遣 隠された「戦地」の現実』(布施祐仁著)を読んだ。徹底した情報公開で得られた真実は、国会で日報を隠したり、のらりくらりと言葉を操って説明されたPKO(国際平和協力法)海外派遣とはかけ離れている。隊員がイラク・サマーワの市街地で遠隔操作爆弾攻撃に死を覚悟し、親の顔を思い浮かべ涙していた事実。多国籍軍に組み込まれ、銃弾飛び交う戦地で任務を完遂した隊員たち。すでに1万人を超える隊員が海外に派遣され、国民の負託に応えて活動してきた。今回の選挙は「彼らの命は私たち有権者のこの一票に繋がっている」と思って投票した。

 選挙直前、怨恨によりカルト宗教被害者家族に撃たれた元総理の事件は、少なからず投票行動に影響したと思う。憲法で政教分離を定めている国なのに、どうして組織票や動員、献金の元となっている宗教団体があるのか、なぜ元総理が狙われたのかを説明してほしい。これを伏せて緊急事態条項を含む改憲発議などもってのほかだと思う。元総理の悲願の改憲というなら尚更だ。憲法は国民から国家権力に対して向けられた法規範であって、国会議員には憲法を尊重し擁護する義務がある。

新聞は何を伝えているか

参院選、争点を見抜いて

年金生活者・斎木 文夫

 6月支給の年金が0・4%減になった。働く世代も年金生活者も厳しい暮らしを強いられている。今回の参院選の争点は、経済対策1本の様相だ。

 野党は、「今の状況は与党(自由民主党・公明党)が無策だからだ」と訴える。一方、岸田首相は新潟市で「物価高を改善するには政権与党がしっかりと対策を講じるのが一番」みたいなことを言っていた。ん?

 通常国会閉会前の6月9日、立憲民主党は「物価高に対する無策」を理由に岸田内閣不信任決議案を提出した。賛成したのは共産党と社民党で、日本維新の会と国民民主党は反対に回った。決議案は否決された。

 新聞各紙は「無風国会」と呼び、原因を岸田政権が冒険を避けたこと、野党の力不足・足並みの乱れと書いた。

 しかし、2月に政府の22年度予算案に賛成した国民民主党、自民タカ派並みに改憲、核共有に前向きな日本維新の会は野党なのだろうか。

 自民党の一強多弱だから、「野党」の悪口を書いておけば、ほかのどこからも文句は来ない。多くのマスコミは、そう踏んでいるように思える。

 参院選終盤にきて、大手新聞に「盛り上がりに欠ける参院選」という論調が目立つ。と言いつつ、そのムード作りにマスコミも一役かっている。

 争点は経済対策だけではない。ロシアのウクライナ侵略が長期化して日本の防衛はどうあるべきか、国民の関心が集まっているはずだ。

 自民はここぞとばかりに軍事費増強を叫ぶ。公約には「NATO諸国の国防予算の対GDP比目標(2%以上)も念頭に」とある。

2%とは、額にして11兆円。米・中に次ぐ軍事大国になるし、借金大国日本としてはべらぼうな数字だ。

 首相は、2%の数字ありきではない、と繰り返す。防衛費を5兆円強増額してGDP比2%にするには、消費税をさらに2%上げるしかない。それを有権者が認めるだろうか。首相は争点にならないよう、逃げている。

隠された争点を暴き、有権者を支援するのがジャーナリズムの使命ではなかったか。自立した市民がいない場所では、マスコミも生きていけない。

 追って松崎さんが書いたように、特定の人たちが長い間権力の座にいるとロクなことはない。

3日、山際経済再生担当相が八戸市での街頭演説で「野党の人から来る話は、われわれ政府は何一つ聞かない」と発言した。日本でも、権力の腐敗と暴走が始まっている。

その思いを1票に、投票に行きましょうよ!!

しんゆう(親友・真友・心友)

元ゆずり葉編集委員・松崎 房子

 迷惑をかけたくない

 令和4年も前半が過ぎた。80の声を聴いたせいでもないが、今年は身体的に不調で、今までのように元気印でないのが気になる。気づかぬうちに路上で転んで、救急車のお世話になったり、近頃はあまり経験のないめまいが酷い。元気が当たり前だった者には、ちょっとした変化が一層強く不安を呼ぶ。

 コロナで人口の多い所から十日町行きも遠慮していたが、そう時間が許さぬかもと思い始めた。話の行きがかり上、つい誘いに乗って思い切って行ってきた。心置きなく話の通じる親友・真友・心友ばかりで、際限もなく話が広がる。TVコマーシャルの話になり、常日頃、気になっていた言葉を切り出した。それはお葬式のCMだったり、保険のCMだったり。

【子どもに迷惑をかけたくない】というセリフ。

親がこの世を去るのは迷惑なの? 確かに手数はかかるでしょうが…、聞く度に私はひっかかっていた。親を送るのは子供の仕事だと思わない?

間髪を入れず、私も聞きたくない言葉よ! と強い同調のセリフ。若くして夫を失った母も、計り知れない苦労をして、慈しみ育ててくれた。その母を精一杯感謝して送った。私が送られる時は形ではなく、心を込めて送ってくれればいい。

 【しんゆう】は気持ちがぴったり。

 投票に行きましょうよ‼

 皆さんは今の日本の政治は良いと思っていますか? 誰がやっても同じだろうし、自分一人が投票に行こうと行くまいと、世の中そんなに変わらない、思い込んでいませんか? 声を上げれば変わる筈。私は何党だろうと、特定の党の政権が長く続くのは決して良くないと思っています。理想は一定期間続いたら、別の政権に交代するのが良いと思っています。アメリカがそれに近かったのですが、極端な政権が担当するのも疑問を持ちます。何事も一党で出来る訳もなく、参議院は意味合いが違うのかしれませんが、投票に行かないということは、政権党にそれでいいよ!と言っていることになります。

 貧富の格差は広がる一方。世界で唯一の核の被害を受けた日本が核兵器廃絶に署名しない。沖縄にはいつ迄も基地を押し付けている。北朝鮮の拉致被害者奪還の交渉は動きがない。総理が何代変わっても進展が見えない。政党の勢力が拮抗して、政治が進展する事を願って、出来ること・投票に行きましょうよ!!