
オピニオン
エネルギー政策、国政選挙の論点に
いまこそ地熱発電を
会社員・村山 朗
ガソリンの値段が上がっています。直近では政府の価格維持補助金を差し引くとなんと1リットル200円にもなっています。また我が家の電気代も昨年の同じ時期に比べると20%以上の急上昇! 円安と資源高騰が主な原因らしいです。
日本を除く先進国の経済がコロナ前に戻りつつあり、インフレを抑えるため先進国の中央銀行が金利を上げました。利上げをしない日本の金利が相対的に下がり、金利の高い国に日本から資金が逃げ、日本の円が売られているからです。原油・天然ガスの先行き不足の懸念(実際にはそれほど不足していないにもかかわらず)から先物の値段も上がり、これも日本のエネルギー価格の上昇に拍車をかけています。
我が国は今回のウクライナ戦争で国土防衛からエネルギーまで、様々な現実的問題の解決を迫られました。先般の新潟県知事選挙で、原発再稼働反対の候補が大差で敗れたのも、このままエネルギーの大半を輸入に頼るのでは大変なことになる、という漠たる不安が選挙民にあったからではないでしょうか。
輸入鉱物資源(石油・天然ガス・石炭)による発電が90%にもなっている現状では、その代金支払いのため貿易収支は大幅な赤字です。
以前小欄で筆者は純国産エネルギー、地熱について触れました。日本は地熱大国です。アメリカ、インドネシアに次ぐ世界3位の資源量があるといわれています。地下に眠る高圧の蒸気で発電するので安定的に発電ができ、設備の償却が済めば非常に安価に電気を作り出せます。余った熱水や蒸気はまた地中に戻し、再利用が可能です。
世界の地熱発電の設備や装置の6割が日本の技術で作られていて日本にとってはまたとないエネルギーなのです。普及しないのが不思議ですが、発電用の蒸気を得る井戸は地下1千㍍から3千㍍ル掘るので、当たりはずれが多く10本掘って1本成功するかしないかくらいとのこと。それ故に民間企業、特に上場企業は株主への説明責任があるため、なかなか手を出せないのだそうです。それならば手をこまねくことなく、国策でやるべきではないでしょうか。
我が国は毎年鉱物資源の輸入のために約20兆円支払っています。もし地熱発電が10%の発電量を担うのであれば、年間約2兆円の輸入代金が浮く計算になります。
ことあるごとに不安定になる日本のエネルギー、原発反対と叫ぶだけなら楽な話。折しも国政選挙の真っただ中、困難に立ち向かう心ある政治家、現れよ!
もう混乱期の入口に来ているのか
80年ごとの転換期
経済地理学博士・清水 裕理
80年ごとに時代の転換期が訪れるという米国史の専門家の話を聞いたことがあります。
ある時に世の中の仕組みがガラリと変わるという時代の変化が80年ごとに起きるというのです。そして、その変化が起きる前には、必ずと言ってよいほど、停滞期と混乱期が訪れると言います。
それでは、現在の米国はどのような時代かというと「テクノクラシー時代」とのこと。テクノクラシーとは官僚組織などを指し、彼らを中心に様々な政策が立案されてきた時代としています。
その前の80年はというと「工業化時代」で、スタンダードオイル社などが誕生し、石油の発掘や鉄道の建造などが行われ、関連する経営者やグループ会社が活躍しました。
さらにその前の80年は「フロンティア時代」で、米国映画の西部劇で描かれている時代です。米国がアメリカ大陸の東海岸で独立宣言をしたのち、西へ西へと開拓を進めていきました。
このように80年ごとに時代を刻んでいるというわけですが、そうすると、次は果たしてどのような時代がやって来るのかが気になります。
今の時代が終わり次の時代が来るとするならば、80年の節目はあと数年後に訪れるとのこと。どのような時代がやってくるのか、その方向性は、まだはっきりとしていません。断片的な色々な動きの中に見え隠れしているのかもしれません。おそらくIT化や環境問題も包括してしまうようなことだと思います。例えば、ブロックチェーンの登場で浮上した、国を飛び越えて市民同士がつながるような世界を予想する人もいます。
新しい時代が展開する前に混乱期が訪れるとしている点については、もしそうならば、コロナ、インフレ、ウクライナといった不安要素が、今の私たちに立ちはだかって、生活を脅かしている現状があります。思いたくないですが、もう混乱期の入口に来ているのでしょうか。
80年の長さはまるで人の人生のようです。もしも、前述のようなことがあるならば、人類の叡智で混乱を乗り切り、次に来る時代がどのような時代なのか、平和でより明るい時代となりますように、そして、その瞬間はどのようなタイミングで現れるのか、期待と不安が入り混じった気持ちになるこの頃です。
この先の道、どう曲がろうか考える
『仕舞い方の記 其の1』
秋山郷山房もっきりや・長谷川 好文
オピニオンという紙面をほぼ3年の間、預かったのだけれど、このところ考えたり感じたりすることはどうも先に向けての意見と言う訳には行かなくなった。
少しずつ歳を取って、余り先が考えられない現実に困っている。しかし、後から続く人にとっては来る年齢への指針であってもいいのかと気を取り直して今の気持ちを書いてみることにした。
人というのはまず一年の仕事を終え、歳を重ねて、やがて家族に看取られてこの世を去っていければ上々であるだろう。それは心安く大切なことであると思う。農業生産を毎年行って生業とする人にとっては、考えることではなく順々と過ぎて行く日々の延長ということになる。
それでも、この頃の社会はずいぶんと変わってきて、物事の考え方も幅広くなっているようで、この先どうなるのか私には確たる方向を指し示せないことが多くなった。
そのようなことを私の在りように照らしてつらつら考えてみたいと思っている。「仕舞い方の記1」として書いてみることにした。
フォークソングの「神田川」の歌の文句ではないが『若かった〜あの頃の…』と思い返すと恥ずかしいことばかりだが、私だって団塊の生まれで調子のよいときなどは狭い風呂桶に浸かって鼻歌を唄うこともある。ただこの歳になると『あなたのやさしさが〜こわかった』とは顔が熱くなるくらい恥ずかしいことばかりなのだが、どうもあの頃のままにひとりで暮らし続けた「付け」がこの歳になって廻って来たように感じる。来たか!である。
どうも話の枕が長くなったが、秋山に来て住み始めてから四半世紀、そりゃひとりで恐かったり面白かったりしたひとり暮らしだった。ただこのところ色んな歪みが身体を通り抜けて行くのが分かるのも事実になった。
体力が落ち、流行り病の流行で人の流れが減って人と話すことが少なくなり、環境の悪化によって天候が読めず、一軒家の為か役場の援助は受けられず、長い道の管理も難しくなってしまう。みんな愚痴ではあるけれども、そんな思いがゼンマイのように気持ちに刺さって行く。
こうなるということは分かっていたけれどもまだ若い時分は、体力を力にやって来れた。色んな問題が打ち続くようになって自分の中にある力が、日一日と消えて行くように感じるのだ。
昭和24年丑年の生まれで、誰が見ても立派な73歳になる今日まで、健康で元気でここでひとりで暮らしていて、ここがどんなところか悩んだ(考えた)ことはなかった。草が伸びても雪が積もってもそれらすべてを自分で片付けて来れた。楽しいとばかり思うのではないが、それらと対峙していることがここでの暮らしの縁(よすが)なのだと思っていた。だからここで暮らすことが意味を持っていた。それを面白がれた力があったのだ。
人と云うのは問題が出来てひとつ階段を下りたり、例えばバスに乗り遅れたりしたときにその先の在り方を変える必然があるのだと考えている。草を刈って、雪を下ろして、道を直して生きてきたように、何でも良いのだが、ちゃんとやっていないと生きて行けないように感じるようになった。ここまで来た道をどういう風に曲がろうかと思っているのだ。(7月23日号へ続く)
沖縄戦の記事、いま問いかける
昭和20年6月26日の新聞
清津川に清流を取り戻す会・藤ノ 木信子
物を捨てることができない性格だった義母のおかげで、タイムカプセルを開けたように何十年も前の暮らしが体現できる宝物? が倉庫から出てきて感謝している。今回は親戚の金婚祝いの記念品を入れた小箱の底に敷いてあった新聞の切れ端…昭和20年6月26日の新潟日報一面、沖縄戦の記事だ。ロシアのウクライナ侵攻に緊張高まる現世に、77年前のこの20㌢㍍四方の紙切れが投げかける生身の感覚は強烈だ。 リアルタイムの動画がSNSで伝わる今でも、遠い外国での惨事は実感が薄くドラマのように見てしまうが、自国の戦争の新聞記事は、いつ同じことが起こってもおかしくないことを教えてくれる。
沖縄戦は本土決戦に備える時間を稼ぐことが目的だったが僅か3ヶ月足らずで終戦、この記事はその最後の様子を書いている。「我全戦力あげて敵主力に突入」写真の人物は牛島満司令官で、記事では典型的な薩摩隼人でこせこせしない人柄、華々しく闘い自決したことを称えている。
実際の沖縄戦では日本側の死者数は18万8千人、その半分の9万4千人は強制的に学徒隊や少年兵として使われた島の民間人だった。アメリカ連合国軍の死者数約2万人を合わせると、十日町市の面積の4倍ほどの島で毎日2千人以上が落命する計算になり壮絶な状態だったことがわかる。この新聞を読んで「沖縄がやられていよいよ本土か」という頃だ。
ちなみに裏側には「海の忠霊」という欄に新潟県出身の海軍戦没者の名前と住所がズラリと並んでいて、身近な市町村名にザワザワとする。このうちどれだけの人が忠霊などと呼ばれたかったかな、戦争がなければ遠い海に沈むことはなかったはず。普通の人の普通の日常が奪われる日が来ないように、有権者はもっと真剣に為政者を見ないといけないと思う。
バイデン大統領と会談した岸田首相は軍事費を増やすというけど、狂人が現れるたびに増強したらどんどん軍拡する。武器を使うのではなくて、外交によって秩序を守る努力がもっと必要なのでは?
反撃能力(敵基地攻撃能力)保有というが、それは専守防衛ではなく憲法違反だ。ロシア軍がウクライナ国境付近に集結している情報はオリンピック前からあったが、だからと言って先に撃ってたら戦争を始めたのはロシアでなくウクライナにならないか? 首相がおっしゃってるのはそういうことですよ。
そうでなく、国際社会全体で戦争回避に知恵を絞り尽力するのが日本の役割なんじゃない?

原発問題は、その存在が暮らしの争点
選挙は民主主義の原点
年金生活者・斎木 文夫
新潟県知事選が明日、行われる。現職の花角候補は、「災害に強い県づくり」を筆頭に7つの公約を掲げて「住んでよし、訪れてよし」の新潟県を目指すと言う。しかし、一番怖いのは原子力災害のはず。もう一言ほしい。
片桐候補は、争点の第一に「柏崎刈羽原発再稼働問題」を上げる。
花角氏はこの問題になると、4年前の「県の3つの検証委員会の結論が出るまで議論しない」のまま。前回選挙では、再稼働の争点化を恐れ、検証委員会にかこつけ、逃げたことは明らかだ。
東京電力側の相次ぐ不始末で、柏崎刈羽原発再稼働は見通せない。が、全て再稼働すれば、世界最大級の原発が生まれる。
原発が安全で安価な発電所という迷信は崩れ、「核のごみ」が今も出続け、その処理を次の世代に押し付けている。
片桐候補はさらに原発再稼働の争点化を強めてほしいし、現職候補はもう逃げないでほしい。
「選挙は単一争点ではいけない」という人には、「原発一つ語れない人に、県政を任せられるか」と問いたい。
この新聞が読者に届くのは知事選前日。郵送による読者はもう選挙結果を知っている。このタイミングでなぜこれか、言い訳をさせてほしい。
1つは、「原発」は、この選挙一つで片づく問題ではないこと。原発は、それがある限り、選挙だけでなく、暮らしの争点になり続けるやっかいものだ。このことを強調しておきたい。
次に、もし県内に原発がなかったら、最大の争点は「人口減少」だったということ。2020国勢調査で、県の人口減少数は過去最多、減少率は過去最大となった。
19日、BSNテレビで人口減少対策について両候補に聞いていた。花角氏は、「魅力的な教育機関や働く場、起業・創業の場を整備しU・Iターン促進やIT企業誘致を行って、人口の社会減を抑えたい」。おい、中学生でも思いつくぞ。
片桐候補は「女性が生き生きと活躍できる教育と子育てナンバーワンの県をめざす。子育て支援をしなければ、女が子どもを産む気になれない。」と話す。うーん、「一点突破、全面展開」か。やってみる価値はありそう。何しろ、めざすは「ナンバーワン」だ。
民主主義を破壊するのは、戦争だけではない。公正な選挙が定期的に行われ、民意に沿った政治が行われることで民主主義が守られる。
争点をはっきりさせて、明日も、これからも選挙に行こう。
突然襲う不幸、じわじわ迫ってくる不幸
あの頃を想い、いまを考える
元ゆずり葉編集委員・松崎 房子
ロシアのウクライナ侵攻が始まってまもなく三カ月になる。映し出される映像を見ていると、いやでも幼い頃体験した戦時中が思い出される.尤も当時は、警戒警報、空襲警報があってやっと頭の上に何が起こるのかが判り、恐れおののき逃げ惑った。現代では、今遠い外国で起きている事も、差ほどの時間差なく、見聞きすることが出来る。戦争は標的にされる国には突然の不幸であり、侵攻した側も勝利を信じたつもりが、我が身にも不幸が降りかかってくる。そしてじわじわと世界中を不幸に巻き込んでゆく。
それぞれに意に沿わぬことが多少はあったにしても、何とかバランスをとっていた各国間の均衡が、少しずつ崩れていく。
76〜7年前世界を相手に戦い、甚大な被害を受け、甚大な被害を世界中に与え、孤立した。
おりしも昭和歌謡コンサートが近くの市民会館であり、出かけた。前奏・間奏もしっかり覚えていてリズムもちゃんと取れる。最近の音楽はリズム(調子)も取れずどこから始まるのかもわからない。
ところが昭和歌謡は歌詞もしっかり覚えている。自分が生まれてもいない頃の歌も、一緒に歌っている。
歌と共に当時の様子が思い出され、つい胸がいっぱいになる。みじめな貧しい生活だったが、今日よりは明日は、よい日になるような気がして、大人も子供も一生懸命だった。その日々・時代を支えてくれたのが、たくさんの名曲の数々だった。
東京空襲を記録する会の早乙女勝元さんが亡くなった。東京江東区に東京大空襲・戦災資料センターを設立し長く館長を務められた。4年位前に九条の会で見学させて貰ったが館長としてお名前はあったもののお目にはかかれなかった。何年前になるだろう、十日町公民館の青年大学講座【太平洋戦争を知っていますか?】に講師として来てくださった事があり、私も青年ではなかったが出席させた貰った。
戦中派でありながら、太平洋戦争を知っているとは言えなかったからだ。その時受講した青年を中心に【水曜会】が出来、平和を求める草の根運動に発展した。オブザーバーであるはずの我々戦中派3、4名ものめりこんだ。昭和も水曜会も今の私には、必要不可欠であった。
戦争はひょっとしたきっかけで始まってしまい、一度始まってしまうと容易には止められない。世界中が平和な日々を希求していても、国連はじめ諸国が一日も早い停戦を働きかけても、不幸な日々が続いている。
きものへのこだわり、企画に知恵を
きものまつりに街を歩く
会社員・村山 朗
寒くはありましたが好天の中、3年ぶりに開催されたきものまつりに出かけてきました。コロナ禍でイベントが自粛、自粛と中止されてきた中での開催は、喜びを持って迎えられたと思います。人出の多さがそれを証明していました。
振り返ってみるときものまつりは、1970年代終わりごろ、十日町の織物組合主催で求評会の一環としての開催が始まりだったように思います。その後織物組合は、きもの振興を目的に「着物姿があふれる街」というコンセプトのもとに振袖姿で集う市の成人式に時期を合わせ、商店街に協力を仰いで本町通りを歩行者天国にし、さらに着物姿がまちなかを回遊するよう着物を着た人だけが参加できるスタンプラリーを企画しました。
当初、スタンプラリーは軽自動車や海外旅行、振袖、訪問着、紬絣などが当たる豪華景品が呼び物でした。まつりのフィナーレに華々しく抽選会をやっていたことを覚えています。
大げさではなく当時は着物姿が街にあふれていました。十日町のきものまつりのノウハウを提供して、ほかの地域でもきものまつりができるようにという目論見もあったようですが、結局は普及せずに終わったようです。
バブルがはじけた1990年代以降、一時レトロ着物ブームが起きた時に「着物を着て街に出よう」という愛好家のグループがいくつも参加するようになって、盛り上がった時期もありましたが、今や着物姿はめっきり少なくなり、いつごろからか現在のようなきものまつりの形になりました。
着物姿が少ないのにきものまつりとは? とお嘆きの方もいらっしゃると思いますが、時計の針を元に戻すのは難しいです。着物へのこだわりを残し、企画に知恵をしぼって市外の人も呼び込むイベントになって欲しいものです。
記憶違いでなければ、十三参りがこれまで同じ日に行われていたと思うのですが、今年はなかったようですね。子供たちの着物姿はとても愛らしい。是非復活を! また今回は大地の芸術祭の開催期間中ですが、その大地の芸術祭に誘導するような仕掛けがあまり見られなかったように思います。一方、火焔型土器国宝№9の展示は良い企画でした。大勢の人に国宝を目にしていただくことは大切です。
十日町市の謳い文句が「きもの」から「大地の芸術祭」に代わって久しいですが、着物姿で出かける方が誇らしくなるような、着ない人でもわくわくするような、そんな雪国十日町の春の祭典に発展することを願っています。
インフレ助長、通貨価値下落、ロシア経済打撃
ルーブル回復に驚く
経済地理学博士・清水 裕理
ゴールデンウィーク中にもかかわらず、世界経済の動きが慌しい。
今年になってから、コロナに加えて、世界的なインフレ懸念とロシアのウクライナ侵攻という不安要素が私たちの目の前に現れた。一刻も早くウクライナに平和な日が戻ってきてほしい。
ロシアに対して、欧米諸国などは、貿易や金融機能の停止といった経済的措置を行っている。その場合、ロシア通貨のルーブルは下落するものと考えたが、逆に以前の水準に回復したと聞いて驚いた。経済の動きは複雑で、グローバル化や各国政策の多様化により、予測がますます難しくなってきている。
石油ガスの決済をルーブル建てにしてしまうといったロシア側の奇策はあったが、ルーブルが回復した要因は他にもあるのか。
4月27日発表の日本の貿易統計を見てみると、今年3月の日本の対ロシアへの輸出額は対前年同月比で減少したものの、輸入額は大幅に増加している。輸出は一般機械、電気機械、輸送用機械などが減り、輸出規制が実行されていることが読み取れる。
一方、輸入はエネルギー、海産物などが増えており、それらの輸入は継続され、価格の高騰や駆け込みによる需要の増加があったとの見方がある。
同じことが日本以外の国でも起きていれば、ロシアの貿易黒字が大きくなり、ルーブル回復につながったことが考えられる。しかし、問題なのはこれからの中長期的な動きがどうなっていくかである。
今後、欧米諸国などがさらに協調して制裁を確実に進めていけば、石油ガスのエネルギーに関しては色々な駆け引きがあろうが、おそらくロシアの輸出と輸入の両方は減っていき、さらに戦費の膨らみで財政赤字となる予想が成り立つ。
さらに、すでにロシアでは、自国通貨を守るため、国内企業に対して貿易で得たドルやユーロなどの外貨の80%をルーブルに変換することを義務づけたり、政策金利の引き上げから引き下げを実施したりしているため、国内での通貨供給量が増え、インフレが助長され、通貨の価値は下がり、それがロシア経済に打撃を与えるといった予想が成り立つ。
今回のような大規模かつ世界的な経済制裁が行われるのはおそらく近年で初めてで、まず戦火が収まることを祈り、ルーブルと世界経済の動きを短期と中長期の両方から見ていく必要があると思った。
戦争をしない決意を家族で、教室で、地域で
「今年の重い春」
秋山郷山房もっきりや・長谷川 好文
戦争で破壊された街の映像を毎日見ていると、無力を思い知って何もやる気が起きず鬱々している。あ〜人類は進化しないんだなあ…有史以来ずっと戦争を繰り返している。もっと賢くなれないのかなあ…でもね、もしかしたら日本にこそ進化のヒントがあるのかも…と思う時がある。
ゼレンスキー大統領は各国の議会にリモートで参加しウクライナを助けてくれと訴える。各国はこれに応えて対空ミサイル砲や大型兵器など武力支援に応じている。
でも彼は日本にだけは武力をねだらない。日本もウクライナに支援できるのはヘルメットや防弾チョッキや生活用品など武器ではないものだけだ。そう、日本国憲法は平和主義を謳っているからだ。
現行憲法を変えようとする人たちは憲法9条では国を守れないという。「そんなお花畑思想では攻められても何もできないぞ、日本も軍隊を持たねば」と。
そうだろうか…憲法の前文には日本の安全保障について「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とある。これは国際的に中立の立場からの平和外交と国連による安全保障を指していて、自国の安全を他国に守ってもらうという消極的なものではない。
平和構想を提示したり、国際的な紛争・対立の緩和に向けて積極的に提言を行って、平和を実現する行動をとることが日本を守ると言う意味だ。だからゼレンスキー氏は「既存の国際機関が機能できないので、新しい予防的なツールのために日本のリーダーシップを」と言ったのだ。日本国憲法が謳う平和提言をしてくれと。
ベトナム戦争の最前線で軍令で民間人を殺害してきた海兵隊のアレン・ネルソン氏は、帰国してからPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しみ続け、日本国憲法に出会ったとき立ち上がるほどのショックを受けたという。「憲法第9条を読んだとき自分の目を疑いました。あまりに力強く、あまりに素晴らしかったからです。9条はいかなる核兵器よりも強力であり、いかなる国のいかなる軍隊よりも強力なのです。日本各地で多くの学校を訪れますが、子どもたちの顔にとても素晴らしく美しくかけがえのないものが、私には見えます。子どもたちの表情から戦争を知らないことがわかるのです。それこそ9条の持つ力です。平和憲法は私たちが進むべき未来を示しています」。氏の言葉に人類の進化はある。
この憲法を積極的に活用する人を選出することがウクライナを救う初めの一歩だと思う。
「子たちの表情は戦争を知らない。それこそ9条の持つ力」
平和憲法とウクライナ
清津川に清流を取り戻す会・藤ノ木信子
戦争で破壊された街の映像を毎日見ていると、無力を思い知って何もやる気が起きず鬱々している。あ〜人類は進化しないんだなあ…有史以来ずっと戦争を繰り返している。もっと賢くなれないのかなあ…でもね、もしかしたら日本にこそ進化のヒントがあるのかも…と思う時がある。
ゼレンスキー大統領は各国の議会にリモートで参加しウクライナを助けてくれと訴える。各国はこれに応えて対空ミサイル砲や大型兵器など武力支援に応じている。
でも彼は日本にだけは武力をねだらない。日本もウクライナに支援できるのはヘルメットや防弾チョッキや生活用品など武器ではないものだけだ。そう、日本国憲法は平和主義を謳っているからだ。
現行憲法を変えようとする人たちは憲法9条では国を守れないという。「そんなお花畑思想では攻められても何もできないぞ、日本も軍隊を持たねば」と。
そうだろうか…憲法の前文には日本の安全保障について「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とある。これは国際的に中立の立場からの平和外交と国連による安全保障を指していて、自国の安全を他国に守ってもらうという消極的なものではない。
平和構想を提示したり、国際的な紛争・対立の緩和に向けて積極的に提言を行って、平和を実現する行動をとることが日本を守ると言う意味だ。だからゼレンスキー氏は「既存の国際機関が機能できないので、新しい予防的なツールのために日本のリーダーシップを」と言ったのだ。日本国憲法が謳う平和提言をしてくれと。
ベトナム戦争の最前線で軍令で民間人を殺害してきた海兵隊のアレン・ネルソン氏は、帰国してからPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しみ続け、日本国憲法に出会ったとき立ち上がるほどのショックを受けたという。「憲法第9条を読んだとき自分の目を疑いました。あまりに力強く、あまりに素晴らしかったからです。9条はいかなる核兵器よりも強力であり、いかなる国のいかなる軍隊よりも強力なのです。日本各地で多くの学校を訪れますが、子どもたちの顔にとても素晴らしく美しくかけがえのないものが、私には見えます。子どもたちの表情から戦争を知らないことがわかるのです。それこそ9条の持つ力です。平和憲法は私たちが進むべき未来を示しています」。氏の言葉に人類の進化はある。
この憲法を積極的に活用する人を選出することがウクライナを救う初めの一歩だと思う。
権力の行使、個人の野心ではない
さあ、選挙だ
年金生活者・斎木 文夫
ロシアによるウクライナ侵略戦争は東部で新たな局面に突入しそうだ。連日の現地報道に目をそむけたくないが、何もできない自分を責め、気持ちは日々重くなっていく。この「共感疲労」のことは改めて書きたい。
6月19日投開票の津南町長選挙で前副町長の小野塚均氏が出馬を表明した。これで、現職の桑原悠氏との選挙戦となる。
平成30年7月、31歳で町長に就任した桑原氏は当時、全国最年少の町長だった。本紙もそのことを興奮気味に伝えている。しかし、「若いこと」は首長にとって大切なことなのだろうか。
その後の桑原町長の議会での態度、保育園再編の進め方、最近ではひまわり保育園増築工事の不落の説明や責任の取り方を見ていると、人生経験、行政経験の浅さが出たか、と心配になる。
興味深いのは、こうしたときに必ず「若い町長を助け、育てることが大事」と訴える人が現れること。町が抱える諸課題を見たとき、そんな悠長なことでよいのか。
「町政は町民のためにのみある」は、小野塚氏が、小林三喜男元町長の言葉として紹介した。当たり前なことだが、プーチンを見ていると、また説得力が違う。権力を持つ者は、個人の野心や、偏狭な思いの実現のためにその権力を行使してはならない。そのあたりは、候補の2人、大丈夫なんだろうね。
とはいえ、町民の声を聴き、町民の幸せを実現する町をつくるのはそう簡単なことではない。2人の政策の比較や争点の分析はまだこれからだ。
5月29日投開票の県知事選は、残り一月半を切った。現職の花角英世氏と新人の片桐奈保美氏が立候補を予定している。
最大の争点は、原発、特に柏崎刈羽原発再稼働の是非と言われている。片桐氏は以前からはっきりと反対の立場だ。
一方の花角氏は4年前の知事選では「原発の再稼働にあたっては県民に信を問う」と言っていた。これは、具体的にどういうことを指すのだろう。柏崎刈羽原発の相次ぐトラブルで再稼働の見通しが立たないことをいいことに、態度を保留し続けているようにも見える。
初め「原発一本」に見えた片桐氏は、各地での集会で具体的な政策や提案を出してきている。
2つの選挙とも、選挙民が正しい選択ができるよう、候補者はしっかりと語ってもらいたい。これからが、候補者にとっても、民主主義にとっても正念場だ。そして、1票を持つあなたも民主主義の担い手の一人です。
四度目にして我が身体験
「目まぐるしい世」
元ゆずり葉編集委員・松崎 房子
名を変え姿を変え、全然衰えないコロナで、行動が制限されている筈なのに、ここ2〜3ヵ月の世の中は目まぐるしい。よくこんなにいろんな事が起きるなと思うほど。
世界の警察をやってられないとばかり、アメリカがアフガニスタン駐留から撤退した。懸念されていた通り戦争状態になり、人命が心配だった。 ここの所そのニュースが気持ち少なくなったかと思うや否や、ロシアのウクライナ侵攻が激しく目を覆いたくなる状態のニュースが毎日報道される。どんなに正当な大義名分があっても、結果がもたらす人命の損傷、国土の破壊、何所から考えても戦争は許されない。ダメだ。
東日本大震災から11年と言っていた間もなく、福島震源の地震がまた起き、当時を思い出し緊張した。新幹線が止まり、計画停電を思わせる状態になった。
気温が一気に高くなって花見を思わせたり、その翌日は真冬に逆戻り震え上がったり、忙しい。
我が家では5人の孫の末2人が大学合格と、うれしいニュースもあった。我慢ならず久しぶりに皆で集まった。クラスター発生を覚悟したが、幸いその恐れもなく皆無事だった。
無事でなかったのは私で、救急車騒ぎを引き起こした。友人と出かけてあと少しで家に到着という所で転倒したらしい。瞬間の記憶は全くなくて、気が付けば隊員さんと会話し、病院へ搬送された。幸い手も足も打撲はあるものの無事。ほほ骨が骨折しているとの事だったが、部位の関係で固定も、手術もできず、入院もなく家に返された。時間が経つにつれ左目の周りがはれ上がり『お岩さん』状態。その週末に集まったので、子や孫に隠しようもない姿で、久しぶりに会う羽目になった。
救急車にかかわったのは53年前、息子がまもなく1歳という時「熱性痙攣」で搬送入院した。二度目は友人と講演会に出かけ、夕食中、友人がのどを詰まらせて苦しみだした。同席しておられた女医さんの勧めで救急車が呼ばれ、車がつく頃は彼女も落ち着いたのでもう大丈夫という事だったが、そうもいかず同乗して付き添った。
三度目はつい最近。我が家の車の横を颯爽と追い抜いて行った若い女性が、自転車ごと吹っ飛んだ。右前頭部から一回転し、かなり出血し「痛い、痛い」と泣いている。放っておけずに救急車を呼び到着まで付き添った。まさか自分が同じ立場になるとも思わずに。
県教委、主要3教科教員、ここ数年採用ゼロ
高校現場の教員の実情
会社員・村山 朗
親しい友人のお子さんは県立高校の教員をしています。そのお子さんが、最近体を壊して休職したそうです。以下はその友人から聞いた話です。
勤務する高校は担当する教科の教員が2人配置されている小規模校です。昨年の新学期が始まってしばらくして同じ教科の先生が体調を崩し休職し、残ったそのお子さんは、その日から2人分の仕事を1人でこなさなくてはならなくなりました。県立高校ですので、当然県の教育委員会が休職した教員の代わりを直ちに配置しなくてはなりません。そのお子さんの再三の訴えにもかかわらず、代わりの教員が9ヵ月近く配置されず、ついに体に変調をきたし休職に至りました。
結局、その高校にはその教科の教員が誰もいなくなったのです。
現場を預かる校長や教頭は一体何をしていたのでしょうか。友人と一緒になって「ナーシテランダテ、県教委テヤンは!」と憤慨し、許しを得てここに書いています。
教員の採用倍率が下がってきている、ということを聞きますので、ネットで調べてみました。それは義務教育の教員採用試験の話で、驚いたことにこの数年間、新潟県は主要3教科、国語・数学・英語の高校教員を1人も募集していません。その直前の募集時もせいぜい数人という単位の採用で、競争率も20倍前後だったようです。夢と意欲を持って挑戦し、教員になった若者達の努力は並大抵ではなかったでしょう。
先に休職した先生は結局、職場復帰できず、退職してしまったそうです。難関を突破して教員になった若者が体を壊し、ついにはやめてしまうのです。全くの偶然ですが、最近知り合った20代の方も県立高校の教員を昨年やめてしまったとのこと。3人は、主要3教科で最後の1〜2年に採用された若者達です。何と残念なことか!
将来結婚や出産を控える若い人材が、産休・育休を取ることは当然予想されるはずです。体調を崩す人もいるでしょう。何という余裕のない人事でしょうか。本紙に連載を持たれているN氏は小学校校長や当市の教育委員長を歴任し、功成り名遂げた方のようですが、地元高校の国語の講師をなさっていると書いています。勿論ご本人の能力に不足はなかろうと思いますが、70代の方が現役で講師をなさっているとは、なんとも嘆かわしい状況ではありませんか。 文科省はタブレット端末に巨額な予算を投じる余裕があるのなら、その一部を現場の教員の拡充に使うべきです。友人のお子さんの一日も早い回復を祈っております。
「エネルギー」「情報通信」「IoT・AI」「デジタル空間」「ドローン」
先進技術の現場での活用
経済地理学博士・清水 裕理
「日本の先進技術と地域の未来」という本が、今年2月に出版された。
東京大学と日本政策投資銀行の研究会成果をまとめたもので、日本の地域社会の実態と課題、地域の現場で先進技術が活用されている実態を明らかにするとともに、先進技術によって、今後地域がどのように変わっていくか、地域の未来の展望と課題を示そうとしている。
ここで紹介している未来技術は、「エネルギー」「情報通信」「IoT・AI」「デジタル空間」「ドローン」の5分野で、筆者である各分野の第一人者が、世界トップレベルの研究に携わるとともに、地域活性化の取組を重視していることが書かれている。以下、本の内容を引用しながら、紹介する。
エネルギーの章の筆者である瀬川浩司教授は、次世代太陽光電池であるペロブスカイト太陽電池の開発をリードする研究者であるとともに、国内外のエネルギーマネジメント戦略に詳しい。
情報通信の章の筆者である中尾彰宏教授は、5Gの特徴と具体的な実証実験の事例を紹介し、「実際にどういうところに地域課題があるのかが見えてこないと、そこに専門の技術だけを持っていっても無益であり、学際的な知見と、継続的なヒアリングによる課題理解が必要である」と指摘している。
IoT・AIの章では、計算機科学を専門とする越塚登教授が地域活性化に関心をいだく話が興味深く、そして、データ駆動型スマート農業と養殖業、電気使用量を計測するスマートメータを使った宅配サービスの効率化と高齢者のフレイル自動検出についての事例を紹介している。
デジタル空間については、越塚登教授は都市OSの共通化について言及し、関本義秀教授は、携帯電話のビッグデータなどを活用した人流などの空間データを、必要とされる社会インフラや民間サービスの需要供給の予測にいかに利用するかについて述べている。
ドローンの章の筆者である鈴木真二教授は、ドローンの前史を紹介し、まずは過疎地や離島での物流で利用し、過疎地や離島等での人の移動に展開し、最後に都市での利用を進めるべきではないかというロードマップを示している。
このように、日本では、先進技術の研究者が現場の課題に向き合い、試行錯誤しながら実証実験を続け、そこから生まれようとしている地域活性化への新たな芽を、この本から感じられるのではないかと思う。
「湯の桜」「開拓の桜」「薬師堂の桜」
「自分の木を探して」
秋山郷山房もっきりや・長谷川 好文
もう少しすると桜前線の報道を目にすることになる。
この冬の長い雪に疲れ切ったここの住人にしてはまだ先の話ではあるけれども、毎年の長い雪との格闘が終わりつつあるこの頃だからこそ、五感を研ぎすまして、来る「春」を感じ取っている人が多いと思う。
風に吹かれて散る、幾万の花びらを見たいと思っている人がドキドキしながら盃を舐めていることだろう。
昔、住んでいた近くを流れる多摩川に沿ってよく歩いていた。春のあの時も上流に向かって歩いていた。広い河原の景色に飽きて、心細い道の角を曲がった。不意に大きな桜の木と出会っておどろいたことがあった。納屋の屋根に隠れて高く伸びた大きな木で、その時は桜の木だと気づかなかった。長く続いて来たと思える大きな農家の庭先に立つ桜は立派な山桜だった。
それ以来、毎年桜の頃になると山桜に逢うのを楽しみにしていたのだが数年後、桜は切られ、古風な農家もなくなって、「郷土の森公園」となってしまっていた。幕末この辺りに生れた近藤勇や土方歳三が眺めただろう大きな山桜だった。そのような地域の秘めた歴史を断ち切って何が郷土の森公園だと憤慨したことがある。
私は今でもその大きな古木や農家の佇まいが心の中で生きていて春になると決まって思い出す。その後、秋山へやって来てからやはり気持に残る山桜を見つけた。
「湯の桜」「開拓の桜」「薬師堂の桜」と言われている山桜で紅大山桜だと教えられたことがある。その後、道路工事で切られた「薬師堂の桜」を含めて、一様に朱が強い残雪に映える見ごたえのある古木である。
ただ、誰も手を入れていないようで今年のような大雪の時には太い枝が折れたりしてその痛々しい姿が気になっている。今の私の「春」はその湯と開拓の桜なのである。
人は誰でも気にしている樹木がある。桜であろうと山毛欅だろうと楢だとしても、自分のこころに植えつけられる樹木がある。何時もその木を見てサインを送っているとその樹木が大きく手を広げてそれに応えてくれるように、私には感じられる。
雪深いこの地では樹木は薪として切られ利用されてきた。それだけ巨木は少ないのだろうがそれでも誰もが切らないで残した村の守り神のような樹木も確かにある。そう云った樹木を管理、育てて次世代に残すことが大切でそれこそ観光というものの土台であるはずである。
コロナ禍で経営が厳しくなった観光施設に補助金を与えることだけではなく、地域の姿を洗い直しそれにあった工夫をしなければならない。登山道を維持したり、傷ついた樹木を治す樹木医を養成したりすることが本来の観光となるはずである。
切られた薬師堂の桜や津南見玉の道脇の何本もの大きな桜のことを思うにつけ、残った湯や開拓の桜達にこの先何十年、何百年、ここに暮らす人たちを見守ってもらい、平和に暮らせることが本当の観光になると思う。
一本のそれぞれの自分の木に心を通わせて春を感じ、夏を知り、秋に浸って、冬を耐え抜く強さを教えてもらうのだ!
「核に言及。唯一の被爆国の役割は明確」
「ロシア侵略を思う」
清津川に清流を取り戻す会・藤ノ木 信子
第二次世界大戦や中東紛争などによって計り知れない犠牲を払った後に、多くの人が尽力し、追悼と平和の願いを紡いでつくった決め事・枠組み・秩序が、一握りの狂人の権力によって一気に崩れ落ちそうで暗い気分になっている。日本の敗戦から77年、世界では途切れなく紛争が起きているが、この国では戦争で命を落とした人はいない。「敵を作らず、平和な信頼関係を築くことが一番の安全保障だ」と生前の中村哲医師は言った。安倍→菅→岸田総理と戦後生まれの政治家ばかりになり、戦火の記憶は薄れて戦争は姿を変えていないか。戦争は殺し合い・飢餓と略奪・報復の連鎖だ。犠牲になるのはいつも国民で、ウクライナの子供たちの表情を見ると胸が痛くなる。経済制裁効果と外交による早期解決を願っている。
ロシアのウクライナ侵攻があぶり出したことは、戦争犯罪と国際法の効力・国連決議の意味と支援の方法・SNSによる情報拡散と言論統制など多くあるが、私的に一番リスクだと感じているのは、核の傘を実弾にすりかえる現実と、真っ先に原子力発電所がターゲットになる戦略プロセスだ。核抑止力は対立する国家関係で互いに核兵器の使用が躊躇される状況を作り出し、結果として重大な核戦争を回避するという考え方だが、核をちらつかせて恫喝する今回の状況は核の傘は破綻していることを突き付けている。日本は核禁止条約を批准し、非核三原則をもとに核のない世界をつくるために身を削る立場ではないか? また福島原発4基の事故処理すらできていないこの国には、他に16か所36基もの原発があり、有事になればこれらが標的になるのは不可避だ。いくら対空ミサイル砲を並べても戦闘機を買っても全部の原発を防衛することはできないだろう。不適切事案が次々出てくるような安全性に疑問のある刈羽柏崎原発などは、直接原子炉が狙われなくても攻撃で想定外なことが起こるだろう。エネルギー転換を加速し、一刻も早く原子力依存率を下げることが原発事故を経験した国のやるべきことでないか?
TBS報道特集でウクライナで現地取材をしているキャスターが「唯一、戦争で核兵器を使用された経験を持つ日本の政治家がアメリカと核兵器をシェアすることも議論すべきと言っているが、はっきり言って論外!」と厳しく論じていて「そう! 今、日本のすることは核兵器を使ってはならない、核施設を巻き込んで攻撃してはならないと全力で世界に発信することだ」と呟いてしまった。
今世紀最悪の暴挙を許すな
ロシアのウクライナ侵攻
年金生活者・斎木 文夫
2月24日、プーチン・ロシア(以下「露」)大統領は、露軍をウクライナに侵攻させました。
アメリカ(以下「米」)は露によるウクライナ侵攻の危険性を予告してきました。露はそれを否定し、西側の政治家も懐疑的だったと思います。
侵攻の理由をプーチン(呼び捨て失礼)は、「NATOは1インチも拡大しないと約束したのに、それを破った」と説明しています。NATOは、北大西洋をはさむ西側諸国の軍事同盟で、1949年に12ヵ国でスタートし、確かに現在、旧ソ連邦に属していた国を含め、30ヵ国に拡大。
この約束があったのかどうか。ネットには「口約束があった」と解説する記事も、それを否定する記事もあって、戸惑うばかりです。
しかし、どんな経緯があったにしろ、他国への武力侵攻は許されません。3月1日のハリコフ攻撃の映像は、市民を巻き込む無差別攻撃のように見えます。これを書いている2日、ウクライナ側発表で、民間人死者は2千人超です。首都キエフ侵攻が現実となったらどうなるのでしょう。
2月28日、露とウクライナが初の停戦協議を持ちました。露側は「ウクライナの非武装・中立化」などを、ウクライナ側は「即時停戦、露軍の撤退」を求めてかみ合わず、3月2日中に再協議することになりました。
西側諸国、「中立国」は、露に停戦を求め、侵攻をやめない露に対して重い経済制裁を課すことで一致しています。
この経済制裁は、露の経済だけでなく、全世界に大きな影響をもたらします。日本でもそれは覚悟しなければなりません。停戦協議の落としどころはまだ見えず、影響がいつまで続くか分からないとしてもです。
プーチンは、彼なりの理由があったにせよ、なぜ暴挙に至ったのか。露の最高権力の座に20年いて、本人も取り巻きも劣化したのでしょうか。米の有力政治家からは、プーチンの精神状態を疑問視する声も出ています。
そんなプーチンが、侵攻前から核の使用を示唆しています。「核抑止力」とは何なのでしょう。核を持ちたがる者は使いたくなるし、追い詰められた者による偶発的な核の撃ち合いもあり得ます。
2月24日以降、テレビを見ては胸が痛みます。救いは、露国内でかつてない規模の反戦デモが起きていること。日本政府は、人間の尊厳と民主主義を守るため、世界市民と連帯して最善を尽くしてほしい。ウクライナを見捨ててはなりません。
国連は日本時間の3日、ロシア・プーチンへの非難決議を141ヵ国が賛成し圧倒的多数(反対5ヵ国)で決議した。
『父祖の地なれば、住み継げり』、なのだが
「旅のしょなんね!」
元ゆずり葉編集委員・松崎 房子
今年の冬は殊の外寒い。雪も多く 御地の皆さんのご苦労が切ない。一方当地は 極ごくわずか雪も降るには降った。天気予報は降雪の情報よりも、雪道の歩き方の解説の方に、ウエイトが置かれている。
正反対の空のもとで、降雪の日々の映像を見ながら後ろめたさに、責めさいなまれる。そして50余年前、十日町市に転入した頃に言われた言葉を思い出した。『旅のしょ』である。
雪国の人は言葉が重く、転入して何ヵ月も季節の挨拶しか交わしたことがなかった。子どものおかげで保育園の母の会でのお付き合いが始まり、親しくおしゃべりが出来るようになった。
お家にお邪魔し、ご家族とも顔見知りになった。当時の十日町は殆どのお家で、織物に何らかの関連した家業があり、一家総出で仕事をしておられた。ご隠居さんである大奥様に言われた言葉である。『えーそうやんかの!旅のしょなんね!』。
それから30余年、私共の仕事が一区切りするのを待っていたように、一人暮らしを頑張っていた母がおかしくなった。一人っ子である私が看るのは当然。当時はまだ介護施設を探して「入居を考える」という状況ではなかったので、関東へ転居することになった。自分でもそう思わないようにしていた部分があって、仕方のない選択であったと言い聞かせた。しかし心の隅っこに、これを〈渡りに船〉と思ったのも正直ばなし本音である。
それが、雪空が何日も続く雪国の映像を見ると奥にしまい込んだ本音が自分を責め、〈逃げ出した〉感で一杯になる。
ゆずり葉に取り組んでいる頃に出会った言葉もある。『父祖の地なれば、住み継げり』、どなたの言葉か? 言い回しか覚えていない。生まれた時から『旅のしょ』である私にはない感覚なのであろう。
戦前の昭和の頃は、仕事を務めあげて頂く退職金・恩給でやっと家を建てるのが大方の生き方であった。しかし祖父も父も戦争でそれは叶わず、私は生まれた時から、借家暮らしがその後もそのまま続いている。正しく『旅のしょ』なのだろう。
江戸っ子も三代続かなければ「江戸っ子」とは言わないとか。敗戦後から現在に至るまで、暮らしていける所、身の丈に合った所を探して生きてきた。いつの間にか都合の悪い所は避けることが身についてしまった。
心のより処を故郷とするならば、出生地、神戸より、十日町のほうがより強くいつも気がかりだ。
父祖の地なれば、住み継げり、とする雪国の方々には頭が下がる。敬意を払い続けている。
商業主義に染まり切ったオリンピック
北京五輪で流れた「イマジン」
会社員・村山 朗
この原稿を書いている2月16日時点では、冬季オリンピック北京大会は終盤に向けて盛り上がっている真最中です。一方、日本選手の活躍と共に不可解な失格騒動やドーピング問題で揺れています。競技はさておき、開会式でジョンレノン(ポールマッカートニーと共にビートルズの創設者)のイマジンが流れてきたのには驚きとともに、開いた口がふさがりませんでした。
ジョンレノンはこの歌でこう歌っています。『さあ想像してごらん みんながただ今を生きているって… 想像してごらん 国なんて無いんだと そんなに難しくないでしょう? 殺す理由も 死ぬ理由も無く そして宗教も無い さあ想像してごらん みんながただ平和に生きているって… 僕のことを夢想家だと言うかもしれないね でも僕一人じゃないはず いつかあなたもみんな仲間になって きっと世界はひとつになるんだ』(許諾和訳抜粋)。
ジョンレノン自身も簡単に世界が変わる、などという幼稚な考えではなく、世界を見渡してやむにやまれぬ心情が、この歌を歌わせたのでしょう。
この曲が発表された当時、ジョンレノンは音楽家であるとともに平和運動の熱心な推進者でした。
ジョンレノンの理想とはあまりにもかけ離れた中国という国。現実には香港で一国二制度の約束を破って自由な言論を封殺し、南シナ海や尖閣列島で他国の領土を脅かし、台湾併合の野望を隠さず、チベット、南モンゴル、ウイグルで人権を蹂躙する共産党専制国家。イマジンはその国家像とはあまりにも隔たりのある歌ではないですか。臆面もなくよく使ったものです。
国家ぐるみのドーピング疑惑で国として出場資格のない国の元首を招いたりするなど、今大会ほど政治的なオリンピックはかつてなかったのではないでしょうか。
IOCという任意団体が王侯貴族のようにふるまい、大手広告代理店が仕切って商業主義に染まり切ったオリンピックを至高の存在としてあがめるのはもうやめにしませんか? 過日の東京オリンピックでもテレビ中継のために、とんでもない季節や時間帯に競技を設定して顰蹙を買ったのも記憶に新しいことです。
ドーピング問題でも健康を引き換えにしても強くなれば、その結果、名誉と経済的な成功(本人とその取り巻きも)が得られるからです。筆者にとってオリンピックは楽しみではありますが、熱狂して観ることはなくなりました。
ジョンレノンのイマジンが流れるのにふさわしい大会になるのは、いつの日でしょうか?
「貯金より消費」「雇用維持よりリストラ推奨」応じる
インフレ退治と経済の矛盾
経済地理学博士・清水 裕理
いま米国では、継続的な物価上昇(インフレ)が人々の生活に支障が出る状況になってきたと、赤信号に近い黄色信号がともっている。
物価の不安定さは、通貨価値の不安定さとイコールで、それは全ての商取引の非効率につながるため、通貨の番人である中央銀行はインフレが加速する前に退治しようと躍起になる。
一昨年前からのコロナ対策の金融緩和で資金が借りやすくなったこともあり、不動産の購入や株式などへの投機が増えているという。それも米国の物価を押し上げている一因だ。実体経済以上に市場が膨らみ、いつかバブルとなり弾けるのではないかと心配する声も出てきた。
日本でも、食品や衣服などの値上げがここのところ相次いでいる。この値上げの原因は、モノを作るために必要な原材料やエネルギーや人件費などのコストがかさんでいることによる。コロナによる影響が大きく、世界の活動が停滞し、生産や流通が減少していることと関連している。
賃金の高騰もコロナの影響が大きいとされ、感染を恐れて仕事に復帰しない或いはできない人が増え、米国では高い賃金を払えなければ働く人が集まらず、事業活動の持続が難しくなっているとの報道がある。
日本での懸念もあるが、特に米国は深刻で、日本は不況時にすぐに解雇をせず休業や一時的な賃金調整で対応するケースが多い。一方、米国はすぐに解雇が行われるため、新たに人材が必要になると一から募集を行わなければならず、前述のような状況になりやすい。
日米にそのような慣習の違いがあり、どちらかというと、日本の慣習はマクロ経済的に労働市場の流動性が低く、自由な経済活動を阻害するとして、今迄はマイナスの言れ方をされることが多かった。
翻って考えてみて、個人や企業が良いと考えて行動をしても、それらがマクロ経済的な視点や金融マーケット的な視点から、よくないことになってしまうという矛盾が生じることがある。
例えば、個人が将来のことを考えて貯金をしようとしているのに、マクロ経済的には貯金より消費が奨励されたりする。
他にも、地域の中堅中小企業の経営者が従業員を解雇することがないように一所懸命に頑張っているのに、金融マーケット的にはリストラが支持されたりする。
このように存在する経済の矛盾を可能な限り解きながら、経済政策を考えていく必要があると思う。
「ひとりぽっちか! と声が出た」
厳冬期鳥甲山下にて
秋山郷山房もっきりや・長谷川 好文
いや寒い日が続いて困る。おまけによく降り積もって困る。
町場と違ってここは鳥甲山の下、中津川左岸の一軒家になる。勿論道はなく旧仁成館へはカンジキと索道がそれこそ命綱ということになる。以前は右岸の旧仁成館が拠りどころとなったのだが廃業されて何年にもなる。そこの屋根に積もり、嵩を増してゆく雪を眺めながらため息をつくことが日常となった。淋しいと感じる。殊に今年のような荒れた冬になればなるほど、亡くなった奔放なご主人を思い出すことになる。
「もう歳だから冬のもっきりやでの暮らしはおめなさい!」というお言葉を受けてこの冬は近くにひと部屋、お借りすることにした。年末から年始までの大雪に避難場所で安閑ともしていられず、年始回りにやって来た大家さんに頼んで二人でどうにか雪を下すことが出来た。しかし大雪になると索道にかかるカゴを引くロープが雪に埋もれたりそのロープが凍結したりで使えなくなることも多々ある。そうなったらしょうがない中津川に下りて川を渡らなくてはならない。これは面倒でひとりでは気が引ける。参ったなーと嘆くわけだ。実際、雪のなか川を渡るということは、川中島の戦でもあるまいし、令和の時代としては如何なものかと、誰でも二の足を踏むのだ。今年は前日、晴れたせいもあって無事にもっきりやに着くことは出来た。そこで私は思った。雪が降り、その年の冬が落ち着くまでは避難所に逼塞していてはいけないと。
帰って来て家を暖めると家がよろこんでいるのか、私がホッとしたのかようやく手足が伸びた。ただ問題も多く、まず流しの排水が凍りつき、洗濯機も凍ている。便槽から泡が上がって来たりで、翌日は落した雪を掘り出す始末だった。いや、冬は面倒なものだ。この先何回冬を越せるかと悩んで指を折った。やはり出来たら人並みに布団の中で逝きたいと思っているのだと気が付いた。その前にここでひとりの冬をどうするのかと考えて、イヤになってしまった。「もう歳だから冬のもっきりやでの暮らしはおやめなさい!」と頭の中で言葉が回っていた。
大寒の日のことだが昼になって降る雪の姿が、だんだんいかり肩のように変わって16時を過ぎる頃夕立がそのまま雪になったような景色になった。ちょいと怖いと感じたが索道は動かない。ひとりぽっちか! と声が出た。
鳥が単騎で悲しい声でひと声鳴いて過ぎて行く。キツツキがトトトと思い出したように、力なく樹木を叩く音が響いた。この時を生きる者達がみんな困って耐えているのが見える。先日再会したあのカモシカもそれこそ単独行で雪のなかを往生しているのだろうと思い描いてみた。
朝鮮半島の東を吹き抜ける等圧線は細かく、私は穏やかではない夜を過ごして、なんだか樽の底にいるような、味気ないシ〜ンとした朝を迎えた。
「世界的にも例のない完全な政策ミスの貧困だ」
神社で両替? 令和の金融事情
清津川に清流を取り戻す会・藤ノ木 信子
コロナ感染第6波の急激な拡大や大きな火山噴火、地震など何だか不穏な年始めの月だなぁと思っている。予測不能な世上なれども庶民の一人としては、暮らしに必要な食料品やガソリンの値上がり、年金支給額の減額など細かい勘定でため息つく毎日。そんな世知辛い巷で、え? と思う金融ニュースがあった。
マイナス金利時代になって久しく、金融機関ではお札を小銭にするのも小銭をお札にするのも両替に手数料がかかる。商売をしている人はわかると思うけど、売り上げの少ない小売店では、この手数料分の目減りは結構切実だ。備えていても急に釣り銭用の小銭が不足することもあるし、キャッシュレス決済が多い時は小銭が残り、仕入れや経費の支払いを小銭でするわけにもいかない。
硬貨を店の口座に預金するのも一定枚数を超えると手数料がかかる。去年まで郵貯だけは無料で預金できたが、今月17日から大幅な料金が必要となった。
これに一番困っているのが賽銭の小銭を扱う神社仏閣らしい。そこで、ある神社が「小銭の必要な商店さん、手数料無しで両替します。どうぞお参り下さい」と両替宣伝を始めたというのだ。金融機関以外で両替していいの? と思ったら、目的が参拝での両替サービスはOK、帰りに賽銭をあげて商売繁盛をお願いすればいい。神社と商店双方に利があるが、歴史に出てくる中世の荘園を連想する。
冷静に考えれば、国の政策ミス状態継続中で金融機関のサービスが低下し、苦肉の策ということではないか。「低金利で企業の資本投資を促し雇用を拡大する」と言ったのは何代前の総理だっけ? 職を失って生活苦の人は増えて、年末の炊き出しは長蛇の列になっているけど、日銀の金融政策大丈夫?
カナダの大学の経済学講義では「日本の貧困層は薬物もやらず犯罪者の家族でもなく移民でもない。教育水準が低いわけでもなく、怠惰でもなく、労働時間も長くスキルが低いわけでもない。世界的にも例のない完全な政策ミスによる貧困だ」と取り上げられたそうだ。海外の視点にその通りと納得してしまう。
一方、国内では岸田首相は、「緊急事態において国会の権能をいかに維持するのかは重要な論点だ」と、緊急事態条項を創設する改憲に前のめりで、疫病や災害に絡めて権力を集中したいらしい。
いやいや、聞く耳を持つ首相さん、日々の生活の中で国民は憲法を変えてくれとは言ってない。ちゃんと政策を検証して見直し、安心して暮らせるように賃金や年金を上げてほしいのですよ。
沖縄県民の心に寄り添って
沖縄の復帰50年
年金生活者・斎木 文夫
沖縄は、今年5月、本土復帰50年を迎える。1945年の日本降伏後も米軍は占領を続けた。51年の講和条約(1952年4月発効)で米施政権下に置かれ、72年5月15日に日本復帰。
「72年・核抜き・本土並み」の復帰で、米軍基地は残された。
「核抜き」といったが、佐藤・ニクソンは、沖縄への核兵器の再持込みを認める密約を結んでいた。
「本土並み」はどうか。国土面積の約0・6%しかない沖縄県に、全国の米軍専用施設面積の約70%が集中している。1人当たり県民所得、高校進学率、大学進学率は全国最下位だ。
目の前の大きな課題は、1月23日投開票の名護市長選の焦点にもなっている米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設である。沖縄は、移設反対の民意を何度も示してきたが、政府はしっかりと応えてこなかった。
沖縄戦犠牲者の遺骨が眠る沖縄南部の土を埋立てに使う計画に、県民感情は穏やかでない。
昨年11月、政府が申請していた辺野古移設計画の設計変更を沖縄県知事は不承認とした。県と国との攻防はまだ続く。
もう一つは、新型コロナ感染の急拡大である。
米軍側は昨年9月から出入国時の検査をしておらず、日本政府も知らなかった。入国後の米兵の行動制限が守られず、昨年末以降、全国の基地周辺で新型コロナの爆発的感染が起きた。
林外相も1月13日、「在日米軍が要因の一つ」と認めたが、日米地位協定は「見直しは考えていない」と説明した。
一方政府は、来年度の沖縄振興予算を2684億円とすると閣議決定。今年度より326億円少なく、10年ぶりに3千億円台を割り込む。今秋の知事選の前に玉城陣営を揺さぶるためだろう。
ただ、予算減額は県民の反感をかうかもしれない。今年は知事選、18市町村の首長選がある沖縄「選挙イヤー」だ。
予算と言えば、今年から5年間の「思いやり予算」を合計約1兆550億円で日米両政府が合意した。前回より年220億円近く多い。本来、米側が負担すべき駐留経費を日本側が「思いやりをもって対処する」なんておかしくはないか。
沖縄の現実を皆さんに伝えるには、私の能力も、紙面も不十分だ。
これを書いている20日、沖縄の最高気温は18度になる見込みだ。ずいぶん遠い所のお話のように感じられるだろうか。でも、空はつながっている。沖縄の人たちの痛みを少しでも感じたい。
世の中、捨てたもんじゃない
スマホじゃなくても
元ゆずり葉編集委員・松崎 房子
長々と続くコロナ禍で顔と顔を合わせ話すことに飢えているのかなぁ、そんな出来事が続いた。 千葉市と習志野市で行っている同じ業務で、柏市と流山市へ、応援に出かける事になった。市の名前は知っていても、用があって行った事はない。事前に地図を印刷して、何度も予習して行ったつもりだが、地図は平面。駅を降りればまっすぐに見渡せるはず、だが実際はそうはいかない。 まず交番で訊いて歩き始めた。陸橋があるのでそれを渡ってと言われた。JRの線路を渡るのだと思い込んでどんどん進んだ。でもおかしい? 通りかかった女性に聞いた。「あら、こっちに渡ってきちゃったの? 進行方向に渡るのよ」と丁寧に教えて貰って、方向を改めまた進んだ。
やっとの事で辿り着いた庁舎のガードマンにまた訪ねた。第2庁舎だという。別館とか分館とかの案内は書いてあるのに、第2庁舎はない。なんと建物を通り抜けて、更に6車線もある大きな道路の跨線橋を渡って更に行く事になった。何とか業務を終え駅まで戻るのにまたまた人に尋ねた。流山市へ行ってからは降りるバス停を確認しただけで、とにかく仕事を終わらせる事ができた。計7人の方にお世話になった。皆さん恐縮するほど親切だった。
さらにある日、夫と上野方面に出かけた。案内状を頂いていたので、分かるだろうと思っていたが、そうはいかない。案内状の向きを変えたり、矯めつ眇めつ、ああでもない、こうでもないと二人で話していると、「どこへ行きたいのですか?」と落ち着いた年代のお二人が声をかけてくださった。案内状を見てもらうと「ああ! 254の近くね」とその場所まで案内してくださった。ところで254ってなんですか? と尋ねると、手作りにこだわった職人さん達のお店が、JRの線路下に集まっている、素敵な・こだわりを持った店店が並んだ一角の事だった。その254もじっくりと見て、楽しませて貰った。そう言えばそのお二人が「近頃はスマホ時代で、あまり地図を見て、ああだこうだと言っている人はいないので、お困りかなと思って声をかけました」とおっしゃった。頭の白い年寄りがとても困っているように見えてほっとけなかったのだろう。
スマホに挑戦しろと勧めてくれる友人が多いが、この度私はお世話をかけたけれど、皆さんの暖かい声かけに、ギスギスした世の中だと思い勝ちだが、まだまだ捨てたもんじゃない。ほっとけない人が居てくれていることが嬉しかった。
車対策、パーク&ライドの電動自転車も
今夏は大地の芸術祭
会社員・村山 朗
明けましておめでとうございます。筆者の拙文に目を通して下さる読者がどれくらいおられるか分かりませんが(笑)、編集部から「ヘー、イイテ」と言われるまで続けたいと思います。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
相変わらずのコロナ禍ですが、昨年秋には重症者・死者が極端に減り、新変種のオミクロン株もデルタ株からの置き換わりが進んでいるものの、重症者・死者数は相変わらず低位で安定しているようです。昨年8月の第5波の感染爆発は何となく収まったという感じは否めませんが、周回遅れと揶揄されながらもワクチン接種率が先進国一番に躍り出たことが、鎮静化の背景にあるのは間違いないところです。ニュース映像などで諸外国のマスク着用の様子を見ると、我が国の抜群の着用率も功を奏したのでしょう。
こうしたコロナ感染状況の中で、今年は延期された大地の芸術祭が開催される予定です。昨年一年はメディアで大地の芸術祭が取り上げられる回数が以前に比べ、飛躍的に多くなったように感じました。美術系のテレビ番組をはじめ、旅番組、ファッション雑誌の特集、ロックバンドのプロモクリップ、はてはお笑いタレントのD川が出演するお笑い? 番組にまで登場しています。いま日本の様々な場所で行われている野外芸術祭の元祖とまで持ち上げている番組もありました。中でも清津峡トンネルは必ず紹介されていました。
昨年10月に清津峡を訪れました。土曜日の午前中でしたが車を止めるのに大変時間がかかり、本番では一体どうなるんだろうとの不安が頭をかすめました。野外の芸術祭は、コロナ禍でも比較的参加しやすいイベントですので、芸術祭本番になれば桁違いの方が来場するでしょう。それも密を嫌って、車での来場が予想されます。ネットの予約で入場人数は制御できても、車の入込みまでは難しいと思います。
前回、清津峡だけではなく、東川や鉢でも駐車に大変時間がかかったことがあった、とも聞いています。単なる思い付きですが、入場予約に際して混雑のピークが予想される日や時間帯には乗車人数の制限をする。電動自転車の発着場所をあちこちに設置して、パーク&ライドのライドを電動自転車にする。大型バスを作品から離れた場所に駐車して作品まで歩く、鑑賞と健康の一日一万歩ツアー。どうでしょうか? 知恵や工夫を凝らして「来てよかった」と思ってもらえる芸術祭になることを切に願っております。