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「いないことにされる私たち」

続く原発事故の後遺症

清津川に清流を取り戻す会・藤ノ木信子

 10年前、福島原発が次々爆発し、記者会見で説明する東電職員の目が泳いでいるのを見た時、「取り返しがつかないことが起きている」と直感した。家から福島原発までは直線距離で200㌔余り、チェルノブイリの記録では危険な範囲内だった。

 まわりの人は気にし過ぎだと笑ったけど、沈没寸前の船から逃げるネズミのように「ここに居てはいけない!」と居ても立ってもいられなくなって私は関西に10日間疎開した。

 渋滞しているに違いないと思った高速道路はガラ空きで、どうしてみんな逃げないのだろうと思った。TVでは政府が「直ちに健康に影響はない」とか専門家が「日本の原発はメルトダウンしない」と繰り返していたが、私は泉田知事がいち早く設置したモニタリングポストの数値を毎日何回も確認した。反原発運動や放射能汚染の知識を持っていた人は、大切な家族を守るために私と同じ行動をとっていたと後で知った。

 「何にでもリスクはある、飛行機だって墜落するリスクがあっても人は利用する選択をしてるんだ。原発も同じ」と言う人がいるが、原発は他のことと違うと私は思っている。原発は電力を使う側と使われる側(首都圏と立地県)の格差を生み人権を否定するからだ。 10年前を思い出したのは、「いないことにされる私たち」(青木美希著朝日新聞出版)を読んだからだ。突然、故郷を追われ家を失い、職を失い、家族を失い、健康を損なう原発避難者の10年を書いている。

 どれだけの人が原発によって人生を狂わせられたのだろう。今も原子力緊急事態宣言が発令されたまま避難者は7万人と言われる。しかし国は実態調査をせず統計に漏れてゆく人も多い。住宅提供を打ち切り、医療費支援を打ち切り「避難者が減った、復興した」という。原発事故により選ばざるを得なかった自力避難も、生きるか死ぬかもこの国では自己責任にされる。

 もし刈羽柏崎原発が同じような事故になったら私も同様に「いないことにされる」側なのだ。本の中で医師は「原発事故は国と東電による国策民営の人災。国が謝罪してきちんと賠償することが必要なのに国は向き合っていない」と言い、避難者は「これ以上同じ思いをしてほしくないと願っているのに、国が再稼働を進めるたびに自分たちが生きてきたことが否定される思いがする」という。避難者には何の瑕疵もない。もしあるとしたら原発を推進する政治を許した間違いだろうか。 だからせめて私は原発を再稼働しない政治を選ぼうと思う。

考えたい、「何のためにやるのか」

東京五輪と尾身医師の言葉

自由人・斎木 文夫

 15日にIOC(国際オリンピック委員会)調整委員会委員長のコーツ氏が来日した。IOCは、どんな形でもいいから開催する気だ。IOCの収入の約7割がテレビ放映権料。無観客でも放映料は入ってくる。

 一方、日本政府は「有観客」をめざす。そのために、現在の緊急事態宣言を沖縄を除き解除、7都道府県についてはまん延防止等重点措置に切り替える。さらに16日の新型コロナウイルス対策分科会の了承を得て、イベント観客上限の最大5千人を1万人とする。

 政府与党が有観客にこだわるのは、「五輪成功」、「ワクチン接種順調」で、9月に衆院解散をしたいから。4月の衆参3つの選挙全敗を挽回するには、無観客ではダメなのだ。

 こうした状況下、注目されるのが新型コロナウイルス対策分科会の尾身茂会長だ。2日の衆院厚労委員会で尾身氏は「今の状況で(五輪を)やるというのは、普通はない」と述べた。『尾身の乱』と命名、政府と分科会の対立をあおるマスコミもある。また、与党の中には「尾身を黙らせろ」の声もあるやに聞く。しかし、尾身会長の発言はまっとうだと思う。

 以後の尾身氏の発言は一貫していて、①今の状況なら普通は五輪はやらない、②こういう状況下で何のために五輪をやるのか、③開催する場合は強い覚悟で、④専門家として五輪開催へ向けた提言を行う、の4点。

 9日の2年ぶりの党首討論で、首相は「世界がコロナという困難に立ち向かい、団結して乗り越えられたことを日本から発信したい」と述べた。

 「乗り越えられた」の過去形は間違いだ。1964年の東京大会の思い出話を長々として時間稼ぎをするあたりは、安倍前首相ゆずりの伝統芸。

何のためにやるのか、具体的にどうやるのか。尾身氏が投げかけ、全国民が知りたがっていることに正面から答えたとは思えない。それでも首相は党首討論後、記者団に「新型コロナ対策、東京五輪・パラリンピックについて、私の考え方を丁寧に説明させていただけた」と語った。

 この人はどこかおかしい、我々国民を舐めきっている。私も「不信任」に1票だ。

 服部、池江、大坂らが堂々とプレーする姿を観てみたい。しかし、新型コロナは国内外の格差を拡大させた。世界の選手たちはちゃんと練習できているのだろうか。金と政治まみれの2021東京大会は「五輪」の名に値するのだろうか。問題の根は深い。

ドイツのように安心度合いを上げたい

我慢・辛抱・忍耐

元ゆずり葉編集委員・松崎 房子

 最近の友人知人との挨拶は『ワクチン接種 どうなった?』が決まり文句。最優先の高齢者ばかりだから。答えは多種多様、我々夫婦みたいに2回目が終った人、1回目は終わって2回目の予定が間もなくの人、予約の電話すら上手くいかない人。何故にこのように地域によって違いがあるのか?

 さらに反応は個人個人で千差万別。お蔭様でちょっと痛かったぐらいで、発熱もせず、頭痛に悩まされる事もなく、インフルエンザと大差なく終わって、携わってくれたあらゆる方々に、感謝しきりである。

 自分が済んでも国民の大部分、世界の大部分の人に行き渡るまでは気を緩めないでおこうと、肝に銘じた筈なのにあやしくなってきた。

 ワクチン接種が終わった同年生と、近隣のコンサートくらいならいいかな、と約束を入れ始めている。

    ☆☆☆

 物心ついた頃は大戦のあとの無いない尽くしの時代だった。ひと握りのお金持ちは、特別な人達。

日本中どちらを向いても貧しいのが当たり前、殊更みじめでも何でもなかった。物はほとんどなく、欲しがっても意味がなく、どこにもなかったのだから。

 父が戦死し、貧しい暮らしだったが、周囲にもそんな家庭は一杯あって、特別ではなかった。小さい時から我慢・辛抱・忍耐続きだったと思い込んでいた。果たして自分が我慢強いかどうか怪しいものだ。

    ☆☆☆

 現代の方が貧富の差が激しく、モノは天下にあふれている。そんな中にあってほしがらず、周囲をうらやまず、自分を見失なわないことが出来るか? 大変な時代であり、こんな時代に自分は我慢強く・辛抱強く・忍耐強くいられるとはとても思えない。ただ、我慢しない、欲しがる事から進展もある。これからの孫をはじめ、次世代の人たちの苦労が大変だと案じてしまう。

 一方で私はいま五輪は無理でしょ! と思い、専門家も普通ではない時代だと断言しているなかで、刻々とカウントダウンをし、聖火リレー風のイベントが日々新聞報道される。五輪開催に有無を言わせぬ政府の姿勢である。

 無観客で競技が行われて世界五輪と言えるのだろうか? 間違いなく歴史にも・記録にも・記憶にも残る、五輪史上二度あるとは思えない出来事だろう。一日も早く多くの人にワクチン接種が行き渡り、ドイツのように安心度合いを上げたいものだ。

献身的な医療従事者に感謝

コロナワクチン接種

会社員・村山 朗

 妻有地域ではコロナ感染予防の切り札となる高齢者のワクチン接種が、相当進んでできているようで一安心です。

 接種を受けた友人や親戚によれば、副反応にはかなり個人差があるようで、全く何ともなかったという人もいれば熱が出たという人もおります。発熱した複数の人の話では、ほぼ一日で平熱に戻るそうで、仕事のある方は、あらかじめ接種直後に1日仕事を休むつもりで準備しておいた方がいいようです。

 県内の他地域で接種に参加した友人の看護師の体験では、一日中ほぼ休み無く100人以上に注射を打ち続けたそうです。一人打つごとに手袋を外し、手を消毒し、また新しい手袋をする、という大変な手間のかかる感染対策を繰り返すワクチン接種、たった一日の消毒で手がぼろぼろに荒れたとのことです。

 同じ会場の医師は、問診を休み無く続け200人以上に対応したとも言っておりました。問診後の判断は、医師の資格を持った人でなければならない決まりです。こうした方々の献身的な努力に支えられて、今回のワクチン接種が行われていることをしっかりと肝に銘じたいと思います。

 各自治体にゆだねられたワクチン接種、初めてのことなので必ず失敗や不首尾があるはずです。一部のメディアは失敗をあげつらい大ごとのような見出しをつけますが、中身はというと殆ど針小棒大であきれます。政府の大規模接種は、承認したワクチンを一日も早く接種しようという試みです。

 短日時に予約の仕組みを作ったことで欠陥があったにせよ、一部のメディアが偽予約をしてみせたのは品のない行為でした。ある野党は新ワクチンの特例承認は安全面で不安が残るから慎重にするべきだ、と昨年の国会で注文を付けていたくせに、今になってどうしてこんなにワクチン接種が遅いんだ、と言い募ります。

 またアストラゼネカのワクチンは承認したけれど、血栓の可能性がわずかにあるという理由で、政府の大規模接種には使わないと決定。誰に忖度?実に不可思議です。 先行しているアメリカの研究では血栓が起きる確率は飛行機事故をはるかに下回るもので、接種に際して年齢や基礎疾患の有無をしっかり管理すれば問題はないといいます。喜ばしいことに、政府はそのワクチンを中国の妨害でワクチンを輸入できず困っている台湾に提供するとのことです。大賛成です。一日も早く届けてほしいものです。 それにしても日本人のゼロリスク症候群につける薬はないのでしょうか。

市区町村で予約システムが異なる疑問

コロナワクチンのネット予約

経済地理学博士・清水 裕理

 生活の役に立つようになるには、老若男女だれもが使えるようになること、課題解決のために速やかに活用されることが重要だと思う。

 しかし、今回のコロナワクチン接種の予約を取るうえで、システムの提供方法が練られていない面があると感じた。

 ネット予約は、市区町村のホームページから行う。複数の方の予約のお手伝いをして、市区町村によって、分かりやすいところと、分かりにくいところがあった。

 例えば、分かりやすいところは、画面上に接種会場の一覧があり、そこから希望する会場を選ぶとカレンダーが出て、予約可能な日に丸がついている。自分の希望する日を決めて丸の部分を押せば、スムーズに予約ができる。

 しかし、分かりにくいと感じたところは、どの会場、どの日が可能かがまず分からない。説明書を読み返し、それを確認してから再度予約システムに戻る。時間切れでログアウトになっているのでログインをやり直す。先のカレンダーのような一覧がなく、会場名と希望日(期間)を入力し検索する方法である。結果が出て空いていなければ、また同じように別の会場と日を入力する…。

 操作に慣れている人は、そのようなものと思うかもしれないが、慣れていることが偉いわけではない。いかに分かりやすいものにすべきかだと思う。

 そもそも、市区町村により、予約システムの異なることはいかがなのかと感じた。予約後の接種は地域の特性に合わせてそれぞれの方法があると思うが、予約システムは同じ方が、情報互換性を有し、開発コストも抑えられる。今、国の大規模接種会場で接種を終えた5人に1人が、地元市区町村で別にとった予約をそのままとし、自治体職員が手作業で確認をしているというニュースが聞こえてきた。同じシステムであれば、その手間は防げたはずだ。そのようなことがなるべく起きないよう、よく考えておくべきだと思う。

 今回の私の経験では、大都市より、農村や中山間地といった地域のシステムの方が分かりやすいものが多かった。ITの専門家も、課題解決、緊急の場合などは、現場に近い方が優位な傾向があるという。そして、優秀なシステムが出来上がったとして、それを共通のもの(プラットフォーム)として全国に速かに広げることが大事だ。そこは大手ネットワーク会社や国の役割だと思う。

 ここに書いたことは、決して特別なことではなく、むしろ当たり前のことのような気がする。しかし、それができていない現実がある。なぜなのだろう。改善され、改善していけたらと思う。

 「願わくば花の下にて春死なんその如月の望月の頃」

「最後への予行演習」

秋山郷山房もっきりや・長谷川 好文

 4月の末、ぐらっと身体が揺れて、ろれつが廻らなくなってしまった。左手に力が入らなくもなった。30分程で治ったのだが、友人の強い勧めで救急車を要請し、萌木の里まで下り、そこで乗り換えた。意識は戻って来ていて、救急隊員が十日町か斎藤かと話す声を聞きながら、私を乗せた救急車はサイレンを鳴らし一気に走り抜けた。MRIで頭部に白い陰が見つかり(一過性脳虚血発作)脳梗塞だった。

 その夜、電灯が消されると、ふと映画「東京物語」のシーンが浮かび上がった。

 尾道の老夫婦(平山周吉・とみ)が東京に出た子供たちに逢っておこうと東京へ向かう映画なのだが、皆一応に忙しく相手をして貰えない。困った子供たちは、お金を出し合って熱海の温泉に行ってもらおうと計画をする。翌朝になって熱海の海岸を散歩する母親が、立ち眩みがして尻もちをつく。「昨夜宿が混んでいて、うるさかったからだろう」とその時は二人で納得して東京へ帰った。翌日、尾道に帰る夜行列車の中でとみは再び気分が悪くなって大阪の三男の所へ泊り、子供みんなのところに泊まれたと笑っていた老夫婦だったが、数日後、東京へ「ハハ キトク」の電報が届く。皆一応に驚いて尾道へと向かった。甲斐もなく母とみはそのまま帰らぬ人となる。

 この物語は家族と暮らしを考えさせるが、夜の静かになったベッドで病を得て、私は初めて人の死に方のひとつを感じた。とみの病は今回の脳梗塞の症状と同じだった。

「あぁ、こうして死ぬのだな」と感じて、涙がひとしずく流れるような気がした。

 分かったつもりでいたひとの終わりも、身体が沈む感じや、物がつかめない感覚、言葉が伝わらない虚しさはひとつの現実の「死」と云うものを体験させてくれた。「東京物語」の母とみが熱海の岸壁でへたり込んだり、尾道の暑い夏の夜、氷嚢を吊って、軽いいびきをかきながら旅立つ姿は、スクリーンの向こうではあったが、ひとの穏やかな死を感じさせてくれた。

 今回の病は私の最期への予行演習になったのだ。

 歌人西行はこう歌った。

「願わくば花の下にて春死なんその如月の望月の頃」。思えば折しも、桜が咲く春の最高のロケーションでもあった。

 その後18日間の治療後に帰って来ると、すっかり落ちた筋肉とやらなければならない仕事を考えるだけで疲れてしまい、なんとなく、この先のことを考えられないようになった。

 どうもこれでは尾道のとみのように穏やかにはいけそうもないなと思ってしまった。その分、壊れた脳細胞を補うべく使っていない部分を活性化させて、ゆっくり再生していくよりしょうがないと思った。(4月26日斎藤記念病院にて)

あぁもう世の中の変化に追いつけない

どうなっているこの国は

清津川に清流を取り戻す会・藤ノ木信子

 走っても走っても追いつけないと思うことがいっぱいある。まずはコロナワクチンのこと。アメリカの製薬会社ファイザーから日本に到着したワクチンは2800万回分、このうち接種が完了したのは400万回で、約2400万回分が使われないまま残っている。消費期限が長くないのでもうすぐ多くが無駄になる。河野ワクチン大臣は1日1万人に摂取をめざすと言うけど、大規模摂取センターをやれと丸投げされた防衛省はどれくらいの医官、看護官が確保できるのかによって決まってくると言う。

 1万人ってバス何百台? 密になるだろうなあ…いやいや、それ以前に高齢者摂取だけでも予約の電話回線がパンクする国だから、とても消費期限内にできると思えない。そもそもこの競争はウイルスが変異するスピードとそれに対して有効なワクチンの開発・接種のスピード戦で、今の日本は最初の一歩でもう周回遅れだ。

 そんな中、原稿まる読みの壊れた機械みたいな答弁の国会では、憲法改正(改悪?)のための国民投票法改正案が衆院可決、高齢者の医療費2倍法案が強行採決されて、ちょっと待ってよ。いま急ぐことはそれじゃない…と私はニュースに追いつけない。

 ところで皆さん、平日が休日になったり、休日が平日になったり、内閣府が祝祭日を変更するのご存じでしたか? ボンヤリしている私は、昨日やっと黒と赤のサインペンでカレンダーを書き直したところです。7月19日の海の日が7月22日になって、10月11日のスポーツの日が7月23日に変更、8月11日の山の日が8月8日に、翌9日は振替休日。オリンピックの開会式や閉会式に合わせての変更だけど、今よりずっと感染者数の少なかった昨年がダメで今年は開催OKってどういう基準なんだろう…もし今よりコロナ感染が拡大して中止になってもカレンダーはこのままですよね。小売店のうちは平日と祝祭日は仕事量が違うから、知らないでいるとたいへんなのよ…あぁもう世の中の変化に追いつけない。

 十日町・津南地域の新型コロナ感染、あっという間に罹患者数3桁になり、10万人あたりの感染者数は県内トップクラスだ。みんな手洗いだ、マスクだと精一杯気をつけているのに、防疫がコロナ拡大に追いつけない…でもここで追いついて食い止めないと、ケガや他の病気で病院にかかりたくても受け入れられなくなる。お茶飲みしておしゃべりしたくても、ご馳走囲んで仲間で楽しみたくても、いまはじっと我慢してコロナ拡大を止めたい。

新しい力で議会改革を

市議選の総括

自由人・斎木 文夫

 十日町市の市長・市議会選が終わりました。ともに一時は無競争かと思わせる事態で、特に市議選では「だから議員定数を削減しておけば」という声が聞かれました。

 全国市議会議長会調査によれば、人口5〜10万人の市の議員実数は平均20・3人で、十日町市の24人は確かに多い。

 削減論には「市が経費削減を進め、市民も影響を受けているのだから、議会も身を切れ」という考えが強いようです。「少ない方が何ごともすぐ決まる」、「地域や業界の利益代表だけでは当選できなくなり、市全体を考える議会になる」、「定数削減により1人当たり議員報酬を引き上げて人材確保する」などの考えもありましょう。

 一方で、「直接民主制が無理で仕方なく代議制にしているのだから、議員はできるだけ多く選ぶべき」という筋論があります。ほかにも、「近くに議員がいないと声を届けにくくなる」、「投票率が下がる」、「委員会を組織できず活動がにぶる」、「現職有利で新人が出にくくなる」、「少数だと行政とのなれ合いが起きやすい」など削減反対意見もあります。

 議員定数の基準や理論的根拠はありません。国中が何となく削減の方向に歩みがちですが、難しい問題だし、自治体ごとの事情もあります。今回選ばれた議員さんは、真っ正面から取組んでほしいと思います。

 それにしても、定数問題をきちんと議論できなかった今までの議会には、少子高齢化・人口減少、雪対策、市の財政問題といった歴史的課題に加えて、最近の病院・高校問題、市立学校学区「適正」化、社会教育施設有料化、原発再稼働の地元同意といった大問題は手に余ったことでしょう。

 「3ない議会」という言葉があります。首長提出議案を修正・否決しない「丸のみ」議会、議員提案の政策条例がない「無提案」議会、議員個人の議案への賛否を明らかにしない「非公開」議会のことです。十日町市議会も、「丸のみ」、「無提案」については改善の余地があります。

 今までの議会の罪は、定数問題を先送りしたことより、行政の監視を怠り、ほぼ「丸のみ」、ほぼ「無提案」の「面白くない議会にした」ことだと考えます。それが市民の市政参画への興味を失わせ、政治をめざす新しい力をそいだ。立候補者の減少、投票率の低下はその現れというのが、今回の市議選の私なりの総括です。

 新しい議員さん、議会改革をお願いします。

カウントダウンするが…

二つのオリンピック

元ゆずり葉編集委員・松崎 房子

 先日、地続きの学習センターで千葉市消防音楽隊のコンサートがあった。

 年に数回演奏会があるのだが、昨年、今年はコロナの影響で中止になったり、人数の制限で抽選になり、なかなか招待して貰えない事が続いた。久しぶりで入場でき、大喜びで行って来た。

 昭和39年の東京五輪のファンファーレと、オリンピックマーチで始まった。朝の連ドラで詳しく知った古関裕而さんの作品だ。結婚した年で記憶は鮮明だ。しかしまだ戦後19年、暮らしに追われて余裕はなく正直五輪どころではなかった。

 最近のTVでも当時の世論調査の結果が、五輪に感心がある人の割合は2〜3%だったとか。我が家だけではなかったんだ。ただ開会式の朝、前日までの土砂降りの雨が見事に晴れ上がり、雲一つない青空だったのが、あまりにもドラマティックだった。テレビも買えない生活で、今までと同じラジオと翌日の新聞で結果を知るしかなかった。

 違っていたのはラジオに雑音やウェーブがなく、時間も真夜中でなく,リアルタイムだったのが、東京が現地だと確認する事になった。

 終わってみれば世界中に、戦後の復興を果たした日本を印象付けた。身重だったこともあって,競技は何一つ見には行かなかった。それよりも新幹線開通の方が、思いが強かったかも。

 そして今回の2020の五輪が東京開催に決定し、競技にレスリングが採用されるかどうか決定される頃は ゆずり葉の同好会の集まりで十日町にいた。皆さんから色々アドバイスがあった。

 せっかく東京にいるのだから〈行ってきなよ!〉〈行かない〉〈なんで?〉〈8年後だよ、79だよ!それに10月じゃなく8月だよ、死んじゃうよ!〉にみんな絶句し、それ以上の会話はなかった。

 そして今回の五輪が1年延期され、それでも3ヵ月を切るカウントダウンが始まった。それよりもコロナのニュースの方が声高だし、強烈に思える。聖火リレーが福島から始まり全国を走り始めている。東京五輪に積極的な表現をしなかったのが、いけなかったのではないかと後ろめたさを覚えている。1940年にも立候補したが、戦争開戦が理由で中止になったことがある。

 コロナに打ち勝って、世界にアピールする五輪にすると、政府は何かにつけ声を大にしている。本当にそうなれば良いなぁーとは思うが…。

有権者もボーッとしていられない

市長選・市議選

会社員・村山 朗

 ぎりぎりまで無投票になりそうだと気を揉ませた市長・市議会議員選挙、結果が出るのも残すところわずかになりました。 3月に私は小欄で無投票はなんとか回避してもらいたいと無責任な希望を述べました。無投票はならんと、直前に立候補を決断したお二方の勇気に心から敬意を表したいと思います。

 無投票になれば政策や人柄などに触れることもなく、市政をゆだねる市長や議員が決まるわけですから、大変なことです。当然競争にさらされなかった市長や議員にはその正当性も問われることになります。

 いかに少数激戦とはいえ、ただうるさいだけの街宣車(個人の感想です笑)は別として、各候補者の街頭での演説を目や耳にすると、広報や後援会チラシでは分からない候補者の声の調子や立ち居振る舞いに人柄があらわれ重要な判断材料になります。

 市議会議員候補者の方々について言えば、先週の本紙アンケート「私の人口増加策」は大いに参考になりました。いくつかの質問を投げかけるアンケートも悪くありませんが、テーマを絞ったことにより候補者の考え方がはっきりします。

 現在の少子化は、結婚した夫婦から生まれるお子さんの出生率が少ないからではなく、結婚をしない人たちが増える未婚率の上昇が主な原因とされています。1980年代には5%くらいだった生涯未婚率は増え続け、現在では男性20%、女性10%と言われています。

結婚を後押しするにはまず出会いの場を広げること。近ごろスマホのマッチングアプリで巡り合ったなどという話も耳にします。新しいやり方が登場しているわけですね。 移住しやすい環境、経済的な応援、仕事場の拡充、子育てしやすい環境作りや援助も大切でしょう。答えは一つではないと思います。設問に答えた諸氏には1年後、2年後、自分の語ったことがどれくらい達成されたか、あるいはしなかったかの振り返りを是非していただきたいと思います。

 本紙をはじめとした地元メディアには議会が単なる行政の追認機関にならぬよう議員たちに定期的に振り返りを迫り、市民に知らせる使命と責任があります。「ボーッと(4年間)生きてんじゃねぇーよ」と尻をたたいて下さい。

 市長選挙、H候補は当初、大地の芸術祭の延期とコロナ対策を訴えていましたが、告示直前に芸術祭実行委員会が延期を発表したため、肩透かし(泣)。コロナ対策と絡め現職との争点の目玉だったと思いますが…何がともあれ、まずは投票ショゼノ!