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オピニオン

 

先進7ヵ国最低の教育予算引上げを

「部活動地域移行」の問題点

会社員・村山 朗

 十日町市内の中高生の活躍が目覚ましい。十日町高校生物部がシナイモツゴの研究で42校が出場した全国高等学校総合文化祭の自然科学部門・ポスター発表の部で、最高賞に次ぐ文化庁長官賞を受賞しました。そもそも「絶滅危惧IA類に指定されたシナイモツゴ」とはなんぞや? はて、この地にシナイモツゴなる魚がいたのかしらん。もしかしたらあの魚かな? と、たどり着いたのがテッチョでした。筆者の子どもの頃にはありふれた魚で、このあたりの池やため池のどこにでもいました。そのテッチョが絶滅危惧種になっていたとは驚きですが、この小さな魚を池やため池を回って様々な個体を採取し、系統立てて整理分類した研究は高校生離れしているといえるでしょう。

 一方、スポーツでも十高の陸上女子駅伝チームの県大会優勝、全国大会への出場や男子も県大会優勝はできなかったものの、出場25チーム中堂々の3位。加えて南中学校の陸上駅伝チームが男女ともに県大会同時優勝。その上市内の中学校の男子が8位以内に3校、女子が3校という好成績。みな十高に進学して欲しい。十高出身の筆者の妄想ですが(笑)。

 スポーツ部でも文化部でもいわゆる部活という子どもたちの課外活動を支えるのが、放課後や休日に指導に当たる顧問の先生たちです。教員の勤務の過酷さが時に話題になります。授業の準備をする時間も十分ではないのに、さらに部活も指導しなければなりません。特に生徒の部活がほぼ義務のようになっている中学・高校の教員の負担は大変なものと聞きます。 そこで文科省が打ち出したのが「部活動地域移行」と題した制度改革で、令和5年度以降の休日の部活動指導を段階的に地域のスポーツクラブなどに任せる構想です。

 学校単位のチームが組めなくなってきているといわれる団体競技ですが、野球などではスポーツクラブ然とした私立高校があり、サッカーはすでに地域のサッカークラブがあります。

 問題は、学校体育の一環の部活を地域のスポーツクラブが肩代わりできるのかということです。また、休日と放課後の指導者が別々でうまくゆくのでしょうか。スポーツクラブのない地域ではどうするのでしょうか。十高生物部のような文化部の部活はどうするのでしょうか。

 全国一律の構想で解決できるものではありません。部活動による教員の負担を減らすためには先進7ヵ国中最低の教育予算を引き上げ、教員の増員を図るのが先決ではないでしょうか。

正常化への道のりは

コロナ後の金融緩和政策

経済地理学博士・清水 裕理

 世界で新型コロナからの復活を見越した経済金融政策の動きが具体的に始まった。

 注目は11月3日に開催された米国の金融政策を決めるFOMCの会合だ。コロナショック直後の昨年3月に、利下げとともに、米国中央銀行FRBによる月に1200億ドルという大量の自国の国債等を民間金融機関等から買い取り、マネーを市場に供給して景気を良くしようとする、大規模金融緩和政策の実施が決定された。現在まで継続され、この11月から縮小、正常に戻すことが決まったのである。

 日本もコロナショック後に、同じような大規模金融緩和政策を行っている。しかし、日本では、縮小や正常化といった方向の話は全くと言ってよいほど聞こえてこない。

米国の場合、金融緩和政策の目標を、コロナショックで仕事を失った約2千万人の回復など雇用改善に定めたため、それが達成されつつあるとして今回の判断に至った。

 金融緩和政策を続けていると、一般に物価を押し上げる要因となり、既に米国の消費者物価指数上昇率は6%以上と高く、物価の上昇が上昇を生んで人々の生活の支障とならないよう、雇用の目標を達成したならばすみやかに縮小という流れである。

 日本の失業者率は米国や他の先進国と比べて低く抑えられている。それでも金融緩和政策縮小の話が出てこないのは、日本の状況が特殊だからである。 

 何が特殊かと言うと、日本では、金融緩和政策がコロナショック前から約8年の長きに渡って続けられている。目標を雇用ではなく、物価上昇率(前年比)を2%に上げる、としているため、長きに渡っているのである。

 それではなぜ目標を実現できないでいるのか。それについては、様々な要因があり、また実体経済がますます複雑化しており、正しい答えは、おそらく誰にも分からなくなってしまっているのではないだろうか。

 分かることは、また日本が以前のようなデフレ不況となることだけは避けたいという思いがあること。それから最近は、海外からみると相対的に安い日本で土地や企業などが買われてしまうことを心配する内容の本が話題となっている。

 ではどうすればよいのか。政府や日銀から、物価上昇率を上げるために賃金を上げてくださいと頼まれても、民間企業が、はいそうですね、と簡単にできることではない…。

 金融緩和政策の話をしても、どうしたら安心して住み続けられる国であり続けられるのだろうかと思う。

冬は来て雪も降る、呼吸のように身に付ける

 「山の暮らし 晩秋編」

秋山郷山房もっきりや・長谷川 好文

 暖かかった分、10月上旬の寒さには横っ面をひっぱたかれたように驚いてしまった。こんなこともあるのかと見上げる山にしても、おっとりと秋のなかで季節の余韻を楽しんでいた木々が、それとばかりに色付きを早めたようだ。

 それから10日ばかり過ぎてこれを書いている。29日には私も毎年の紅葉のようにはいかないが冬に移行する準備を急いでいる。薪ストーブの準備までした。11月になると、それこそ私も頬を高揚させるほど忙しくなる。これは毎年のことだが、まずこの冬の雪の心配から始める。

 この秋はカメムシが少なかった。だから少ないという人もいる。そう願っている私だから一も二もなく賛同するけれども、別の人は、今年はラニャーニャが発生しそうだと言う。すると雪は多くなる予想に変わる。つまり今年も個人の期待というものは何の意味もないということになりそうだ。

 そもそもこの辺りの人は、雪は降り積もるものだと覚悟をしている。一喜一憂はしない。その時期になれば春に向けての作業ばかりは順々と続ける。いつものことだ、と腹をくくっている。そこが余所者の私とはちょいと違うのだ。

 そんな寒い天気の悪い日だった。外仕事が出来ないので映画でも見るかとDVDを手にしてテレビの前に坐った。YouTubeという映像配信で色んな映画も見られると云うので、何か探して見るかと器具を使ってみたのだが、あれもこれも見たこともない画面に取り囲まれた。アニメやらドキュメントやら日本映画やら外国映画に巻かれて何を見たら面白いのかわからなくなってしまった。

 チョイと見てはチャンネルを変えチョイとと気になってのぞき込んだりしているうちに1時間が過ぎた。初めに私は何を見たかったのだろうかとDVDをながめる始末だ。事程左様にこの冬の天気や雪の嵩を気にしていてもひとの期待など取るに足らず、冬は来て雪も降るということを呼吸のように身に付けなければ山の冬を見つけられない。しかし25年過ぎても私の体たらくが改まることはないのだ。

 テレビなどは見なければよいのだが、山の中にひとりでいる私にとって、どんな時もテレビの雑音が女房のようなものでもある。

 音というものは怖い。ヘビが屋根裏を這ったり、獣がうずくまったり、濡れた漆喰がバタンと剥がれたり、そんな音に気持ちを冷やさないためにも何か私が理解できる音に接していたいのだ。奥山の一軒家の恐さに25年耐えていたのは、きっとここから何処かへ出ることだけだったのかもしれない。

 でもここで齢を取って友人も出来た今、ここで死んでやろうと決めちゃったのだから、しょうがないだろうと思えるところまで来たのだ。もっともこの春の病気で出来た覚悟なのだけれども…。 晩春や晩夏や晩秋、晩冬と云った終わりごろの季節に心が動かされるようになったのだ。だからこそこれからの世界に「晩」という文字が付くこと無いように、腰を伸ばして見られることは見ておかなければあっちに行った時、親や先輩たちにちゃんと説明が出来なければいかんだろう。

 さて少し雪囲いでもして来るか! おっ ジャンパー、ジャンパー!

「未来のこどもたちのために投票します」

新しい風が吹き始めたか

清津川に清流を取り戻す会・藤ノ木 信子

 ちょうど選挙の週にこの欄の寄稿順が回ってきたけど、今月から郵便配達は土日休み、郵便で配達される方々にこの新聞が届くのは選挙後の月曜日だろうか。夜中まで開票速報を見て眠い頃だ。終わってから細かいこと文句言うなと言われそうだけど読んで下さい。

 コロナ対策や雇用問題を見ると、この国では国民の命がペラペラに軽くなったと思っていたら、権利も軽々と扱われているのが選挙から見えて、腹が立って書かずにいられない。

 一つ目は選挙日程のことだ。公示から投開票までの日数が短すぎて各自治体の選管は悲鳴をあげている。コロナの影響で郵便の遅れもあり、在外者(特に海外の人)の投票券の送り返しが間に合わない。必要な日数をとらないのは憲法で保障する平等や権利を侵害している。前回衆院選時、最高裁判事の国民審査投票ができなかった在外者が訴訟した結果、地裁と高裁では在外国民に投票させないのは違憲との判決だった。投票権は国民の大事な権利なのにそれを軽んじるとは…(海外の少数票は無視しても政権とったほうが勝ちと思ってる?)

 二つ目は与野党一騎打ちとなった島根1区での同姓同名候補。主婦で無所属の新人候補は、立候補を届出たが第一声もあげていない。つまり対立候補の得票を割るだけの目的らしい。そりゃあね、みんな候補者になる権利はあるし選挙のルールに反してないとは言え、大人として恥ずかしくないの?(なりふり構わず票数多い方が勝ちと思ってる?)立憲主義では国民が政治を注視し自由と権利を不断の努力で保持するのが基本なのに、自ら台無しにする行為に腹がたっている。政策を戦わせて国民に知ってもらい審判を仰ぐまっとうな選挙ができないのだろうか。

 デンマークの総選挙の投票率は80%を下回ったことがないそうだ。子どもの頃から自分の意見を伝え議論して物事を決めていく民主主義教育で、国民の幸福度は世界2位とか。ミャンマーや香港では自由と権利を守るためにどれだけの人が声をあげたか。それでも手に入らない民主主義を、この国ではいとも簡単に踏みつける。

 そんな中、小栗旬さんやローラさんなどタレントや著名人らが「僕らのできる第一歩みたいなものが投票」「未来のこどもたちのために投票します」と投票を呼びかける動画が注目を集めている。…今度の選挙は少し新しい風が吹き始めたかなと思う。自分で考え行動する彼らはカッコイイ。国民一人一人が責任ある主役だ。今後の選挙にもこの波は拡がってほしい。

それでも、投票に行こう

与党も野党もダメ?

年金生活者・斎木 文夫

 マスコミの過剰な「自民党総裁選ブーム」に辟易していたが、岸田新総裁誕生が見えてくると、熱がすっかり冷めてしまった。さらに、幹事長をはじめとする党内人事、閣僚人事が報道されるにつれ、国民の関心は皇室方面に移り、発足時の岸田内閣支持率はご祝儀相場とは言えない40〜50%台となった。

 そんな状況で首相は、衆院議員の任期満了の21日を待たずに、14日に衆議院を解散。内閣発足からわずか10日で解散、公示から投開票まで17日間というのはどちらも戦後最短だ。理由は「岸田内閣の信任」というが、3日間の衆参代表質問で国会を打ち切り、閣僚はひな壇で顔見せをしただけだ。これで信任もへったくれもないものだ。自民・公明でボロが出ないうちに選挙へと走ったことは見え見えだ。

 選挙の最大の争点は何か。新型コロナ対策と、経済再生というのが一般的だろう。ここで思い出してほしい。日本の経済がうまく回らなくなったのは新型コロナのせいではない。

 アベノミクスで一部の企業や資本家・投資家は潤ったものの、それが下々にしたたり落ちることはなく、多くの国民の賃金は上がらず、格差は広がり、消費は低迷した。

 岸田首相の「新しい資本主義」がよく分からない。8日の施政方針演説の「成長と配分の好循環」とそのための「大胆な金融政策、機動的な財政政策、成長戦略の推進」は、2016年1月の安倍首相施政方針演説、アベノミクスの「3本の矢」とまったく同じ。

 だから、安倍・菅政権の評価も大切な争点だろう。それは経済だけではなく、国会軽視、国民分断のアベ政治そのものだ。

 選挙戦に入り、与野党とも国民に分かりやすい政策をどんどん出してきている。新型コロナからの復帰に向けての給付金やら減税やら、このバラマキの財源はどうする気だろう。「財務次官、モノ申す」のももっともなことだ。

 国と地方の借金は合わせて1166兆円だという。財務省のホームページを見ると、今年度の国の予算案の一般会計歳出106兆円の10倍以上になる。国の債務残高は、主要先進国の中で群を抜いて最も高い水準にある。財源を考えずに新たな支出を増やしたり、減税を続けたりすれば日本は破産する。

 最近のマスコミによる調査によるとどれも「選挙に行く」人の割合が増えている。よいことだ。「どの党に入れても変わらない」、「誰がなっても同じ」という考え方は間違っている。政治だって何だって、人がやるのだから、人が変われば必ず変わる。

 もう一つ気になるのが、マスコミでもしばしば見られる「与党は悪い。野党もダメだ」論だ。それは正しいのかもしれない。だが、「だから選挙に行かない」のは間違っている。ほとんどがオジイサンで、ほとんどが人相が悪いという政治家に完璧を求めてもダメ。

 選挙の争点はまだある。必ずしも「日本の」でなくたって、今の自分にとって大事なことは何だろう。外交・防衛、福祉・生活保障、教育、環境、原発、ジェンダー、年金、働き方、人口減少、雪対策、結婚したい、子どもを産み育てたい、スケートボードやりたい……。自分の力でできることもあるし、社会の力でできることもある。自分の夢の実現のために、力を貸してくれそうな人はどっちだろう。「よりましな方に投票する」、「よりダメな候補が落ちるように投票する」ことしかできなくても、投票に行こう。

 民主主義は私たちが守らなければお題目になってしまう。今の政治はそうなってやしないか。

「苦手はぜんぶ伸びしろだ!」、今更ではない

久しぶりの新幹線で思う

元ゆずり葉編集委員・松崎 房子

 不要ではなく必要,不急ではなく当日限定の所要があって、子ども・孫と一緒に久しぶりに新幹線で出かけた。

 以前、新幹線車内の電光ニュースがなくなると聞いた覚えがある。確かに列車内の案内とか到着駅や通過駅などの案内・JR広告は流れたが、新聞ニュースなどは一切入ってこない。

 世間では殆どの人がスマホを持っていて、下ばかり向いているので、費用対効果が望めないという理由だった。ごく少ない文字数で、的確に状況を伝える電光ニュースが大好きだ。当オピニオンに投稿したり、時折チャンスを見つけては応募することもあって、大いに勉強になる。スマホは持っていないので、下ばかりは向いていない。ニュースを見たり、通り過ぎる景色を見たりして列車の旅を楽しむのが常だが、叶わなくなった。こうして世間から切り捨てられて行くのだなーと思う。

 確かにあの小型のケースの中に際限もなく情報が詰め込まれているのは事実だ。大学生の孫はサクサクと疑問に答えを見つけてくれる。孫よりは生きている年月が長いので、多少なりとも経験もあり知ったかぶりをしようとした。が即座に正解が出てきて、沈黙・感心するばかりである。子どもは多少花を持たせるかのように、ああでもない、こうでもないと、私が少ない知識をひけらかすのを待っていてくれる。

 片やITを駆使して新しい社会を作っていこうとしている孫たちは日々新しい勉学で、新しい世の中を作っていってくれるのだろう。高齢者も切り捨てないでね。

 新幹線の中は、椅子を回転させ向かい合っての会話はご遠慮ください。

出来るだけ会話はお控えください。とのアナウンスがしょっちゅう流れる。

 非日常の新幹線の車中で久しぶりのおしゃべりを控えるのは骨が折れた。

 そういえば東京駅に向かう在来線の中で、広告を見ていた。学習塾の広告のキャッチコピー【苦手はぜんぶ伸びしろだ!!】にひかれた。苦手ばかりが一杯ある。しかし今さら苦手を頑張って克服しようとは思わない。でもその中の一つでも克服できれば残りの人生変われるかな!?差し当たりスマホに挑戦してみるか?一瞬ワクワクして、しばらくその気になっていた。

 落ち着いたらあのキャッチコピーは、若い受験生向けで、可能性にあふれた人達へ向けたもので、八十代が参考にするのは問題外だよね!でも、もう少しハードルを下げて苦手を乗り越えてみるのも悪くないかも。

遊休体育館を全天候型スケボー施設に

五輪金のスケートボード

会社員・村山 朗

 この夏はもっぱら「ステイホーム」でしたが、東京オリンピック・パラリンピックをテレビで連日楽しませてもらいました。良く知られている競技はもちろんのこと、あまり目にすることのない新しい競技にも興味を惹かれました。

 特に日本の若者たちが大活躍したスケートボードには驚きとともに、懐かしさを覚えました。私事で恐縮ですが、70年代半ば、東京で暮らしていたころ、アメリカの若者文化がどっと日本に入ってきてブームになったことがあります。スケートボード(スケボー)もその一つです。ネットも何もない時代ですので、筆者はそういう若者文化を紹介する雑誌を読み漁りスケボーを手に入れ、休日になると仲間と代々木公園のホコテンで滑ったものです。

 日本と違いアメリカでは水を抜いたプールで滑るのですが、動画も簡単にみることのできない時代、写真だけでは中々ピンときませんでした。アメリカのプールは側壁が直角に切り立っているのではなく若干斜めになっていて、壁から底へは料理用のボールのように丸まっています。その形を利用して滑るようでした。現在のスケボー、パーク競技の原型でしょうか。

 当地でもスケボーを持って歩いている若者を見かけることがあります。以前城ケ丘のピュアランドでコンパネやべニア板を使って造作されたスケボーのできる施設を見かけたことがありましたので、過日再訪いたしました。

 週末の朝だったせいか利用者はいませんでしたが、十日町スケートボード協会なる団体が管理していて、利用規則や利用簿(殆ど記入がされていませんでしたが(笑))なども置いてありました。ごみが散乱しているのではないかと危惧していたのですが、空のペットボトルが数本ころがっていただけで、荒れた様子はありませんでした。

ただ経年変化というか、雨ざらしにされているためか、設備そのものがやや傷んでいる様子です(あくまで個人の感想ですが)。冬にはブルーシートなどで覆うのでしょうか。または分解してどこかに格納するのでしょうか。東京オリンピックで金メダルに輝いた競技の場としては、まことに寒々しい光景でした。

 旧市内には元県立テクノスクールの体育館、中里地区には閉校した倉俣小学校や貝野小学校の体育館があります。十日町市は前述のスケボー協会や地元と連携し、それらの体育館を活用して若いスケートボーダーに安全な全天候型のスケボー施設をぜひ提供してほしいと思います。

大規模な経済対策を明言したが…

新総理誕生と今後の経済政策

経済地理学博士・清水 裕理

 9月29日に岸田文雄自民党総裁が誕生し、第100代内閣総理大臣となる。

 菅総理が応援していた横浜市長候補が負けるなどして総裁戦不出馬を表明、それからの1ヵ月、4人が立候補することになり、自民党国会議員と党員によるフルスペックの総裁選は最後まで大混戦、注目が集まった。

新リーダーへの役割と期待は、感染症、災害、東・南シナ海での防衛など、私たちが目の当たりにするリスクが多くなるなか増すばかりである。

 経済政策は、前安倍総理が掲げた、①金融政策、②財政政策、③成長戦略の三本の矢の基本方針は教科書通りの取り組みでもあり、おそらく継続されるだろう。

 ①の金融政策については、低金利と量的緩和(日銀が金融機関が保有する国債などを買い取りお金の量を増やす)が現在行われており、『非伝統的』金融政策や『異次元』緩和と言われている。

 それにより前年比で物価上昇率2%を目標にしているが、8年以上達成されておらず、当政策を始めた黒田日銀総裁の任期は残り1年半で、それまでの達成は難しいとされている。

 物価安定と資本主義の発展のためには、2%の物価上昇が適切であることが世界のコンセンサスとなっている。人々が欲するモノやサービスが存在し、需要が増して価格が上がり設備投資がなされ、それによって所得が増え経済が回るというのが幸せなシナリオだと思う。

 しかし、気をつけなければならないのは、必ずしも幸せなシナリオになるとは限らないことである。本来は、景気がよくなるから物価が上がるのであり、心配すべきは、不景気での物価上昇(インフレ)である。最近じわりとガソリン代や電気代、加工食品などが値上がりし家計を圧迫しているように感じられる。

 ②の財政政策については、景気対策に効果的という意見がより聞かれるようになっている。岸田総裁は就任会見で大規模な経済対策を明言したが、どの分野にどれだけの財政出動を行うのか、財政健全化維持なのか、増税の可能性はあるのかなどの論戦が、早々に実施される衆院選でなされるだろう。

 ③の成長戦略については、中長期的に最も重要な取り組みで、効果はすぐに見えにくいが、技術開発やものづくり・サービスの漸進的改善が大切と思う。 

 国際的にも各国で新型コロナからの復活も見越した経済対策が日に日に進められている。新しい日本のリーダーの舵取りが試される。

平安時代からのDNA、さらに感性豊かに

コロナ対策と禊ぎ祓い

経済地理学博士・清水 裕理

 今年も、もう年末。肌をさすような寒さの感覚と、太平洋側では透み渡った空がこの季節を物語りますが、妻有は雪雲の多い日が増えているでしょうか。私たちの生活がウィズコロナとなってから2年が過ぎようとしています。

 歴史学者の磯田道史博士によると、日本人が病原体の存在を最初に想像した痕跡がうかがえるのは、735〜737年の天平パンデミックではないかとのこと。

 当時の日本人口の30%前後に当たる100〜150万人が亡くなったとされます。平城京を発掘すると、この時期の地層から大量に破棄された食器類が出てきて、これはパンデミックで病や死の穢れ(けがれ)を感じて廃棄されたものと考えられ、「食器を通じて感染症がうつる、目に見えない何かがある」そう人々が感覚的に気づいていた可能性があるとのことです。

 また、その後の平安時代ほど日本人が穢れ観を持った時代はなく、目に見えない疫病を恐れてやたらと手を洗い、人との隔離をはかり、家にこもる「禊ぎ(みそぎ)、祓い、こもり」という日本の文化的な背景をつくっていったのではないか。それで江戸時代までいき、江戸後期に西洋医学の影響が強くなった段階で、新しい科学的な疾病対策が生まれてきた。

 大局的に見れば、日本の感染症対策の流れは、そんな感じでしょう、としています(「現代化学」2021年11月号の記事参照)。

 この話を聞くと、平安時代のことが急に身近に感じられてきます。約1400年前に生きていた人たちと現代を生きるわれわれとで、日々感じていること、幸せに感じること、不安に感じることは同じで、同じ思いを抱き、その時代時代を生きてきた…。

 平安時代に、目に見えない何かがあると感覚的に気づいた日本人の豊かな感性、そして、それが現在の感染症対策の基本である手洗いの習慣へとつながっていることは、あらためてすごいことと感じます。

 私たちはお正月になると神社にお参りをし、手水(てみず)をとって心身を清めてから、禊ぎや祓いを行います。当たり前のように意識することなく、それを普通に行っているのは、そういうことなのだろうと思います。

 それから、私たちは、地球の大きなサイクルのなかに生かされ、大局的に物事や出来事を見ることの大切さを知るようになりました。

 来年はどのような一年になるでしょうか。現代科学の発展とともに、私たちのDNAにある感性を豊かにしてゆきたいです。

「人間至る処青山あり」

「ブームは作られる」

秋山郷山房もっきりや・長谷川 好文

 春に病気になり、真冬の「もっきりや」では心もとないと云うので屋敷区のひと部屋を使わせてもらう算段を取り付けた。用事で来ていた家主の方とひと晩、共に過ごそうということになった。

 私のもっきりやは以前「川西荘」という民宿だった。昭和30年代の民宿ブームに開業した。夏になると大阪の塾が40人もの生徒を連れて10日余り合宿したという。大きな収入になったし、それでひと息ついたと亡くなった信一さんから聞いたことがあった。 戦後日本が落ち着いてきたころアンノン族やディスカバー・ジャパンと云ったブームが企画され、ここにもその波がやって来たのだ。

 そう云えば私がここで暮らし始めた25年ほど前でも紅葉の頃ともなると多くの観光客が訪れていた。ひとつの宿に40人、50人の客があふれた。秋山郷が観光ブームの頂点だった頃のことだ。その温泉宿や民宿のほとんどが代替わりしたか後継者不在で閉まりつつある今、二人して さてこの先どうなるのだろうかと頭をかしげた。しかし、これは秋山だけのことではないのだし考えても仕方がないことだった。それで話は進まず、私は医者から止められている酒を舐めるしかなかった。

 少し前に絶滅集落、限界集落と云った話が新聞やテレビニュースに載ったものだが、現在ではコロナウイルスの流行で都市から地方へと移り住む人が増えているという。そんなドラマや番組も増えているようだ。私には、作られたブームのように思えてしまう。

 人は50年という歳月をかけてひとつ所に根付くということは自明である。地方から都市へ出た者、都市から地方へ移る者も同じである。皆一様に一生をかけて慣れて行くのだ。

 「人間至る処青山あり」という諺があるがそれは何処で死んでも同じだから希望に向かって努力しろということだとものの本には書かれている。昔の人ならいざ知らず現代の人にはどうも通用しそうにない話だと思う。かく云う私にしても大望なぞありゃしないし、強い信念もありそうもない。だけれども歳を重ねて、来た道をふり返ると、どうも諦めを身に付けてここで終わっても良いと思える年齢になっただけなのかもしれない。そして何処で終わっても同じことだという感覚も持てるようになった。ただそれだからこそ何処にでも行ってみようという気持ちも出て来るのだ。矛盾だとしても、人間はそんなものだろう。若かろうが老いていようが行きたいところには行って、よく見て学びたいというものだろう。

 地方、それも僻遠の地だとしても、大都会だろうがそこで生きる強さを持ちさえすればそれで良いはずだと思える。意図的に作られたブームに乗ったとしても、長い50年を生き切る強さ、知恵を携えて何処ででもやって行くしかない。それこそ現代における「人間至る処青山あり」の意味となるのだろう。世の中がどう転んだとしても、そこで失敗したとしても立ち上がる。それが自分の人生となるのだから…。

「民衆の自然観」が大切

清津川堰堤の問題

清津川に清流を取り戻す会・藤ノ木 信子

 先日、大熊孝新潟大学名誉教授の著書の受賞記念講演会で久しぶりに大熊節を拝聴して、清津川の「民衆の自然観」って何だろうと考えた。「国家の自然観」では発電のために川を利用することは当り前で川と人の生業は二の次になる。

 清津川は大正時代から上流での発電事業の影響を大きく受けた。地名学の音では「きよつ」は急流で渡り難いという意味で、後に「清津」という漢字が充てられた。 

 十二峠旧道の土倉から角間への急峻な山道は今でも地元では「きょっとげ」と呼ばれていて、そのまま「きよとうげ」は急な峠の意味だ。

 急流である清津川は自然環境の攪乱が起こりやすく、それが故に多様な生き物が棲み漁業資源となっていたり、切り出した木材の搬出も急流を利用して行われていた。桔梗原が原頭首工からの灌漑取水も川が急こう配だから、長い導水路を緩いこう配で引いて広く耕作に利用できた。

上流の発電取水や揚水発電ダムによって下流の環境は変わり人の生業も変化し、今は観光資源としての価値が大きくなったが「民衆の自然観」は大切にしないといけないと思う。

 さて、そんな清津川では湯沢砂防事務所(国交省)が数年前から清津川渓流保全工という河川改修工事を計画していて住民意見交換会が行われている。津南町下足滝での検討会の取り組みは、行政と住民が同じ席に着いて進めている素晴らしい取り組みで、本紙でも取り上げられているが、清津川の保全工も是非そのようであってほしい。

何回かこの欄で書いたが、清津川は急流な上に土砂流出の多い川で堰堤を造るとたちまち満砂となる。だから護岸を守るために流れを緩くする堰を本流に造る計画は、デメリットのほうが多いと住民は感じている。もちろん住宅のあるところはしっかり護岸整備する必要があるが、今まで護岸が壊れた時は二居ダムの放流が大きく関わっていたことも住民は体験として知っている。

 令和元年の台風19号の時も、日本列島がすっぽり隠れるくらい大きな台風が関東攻めコースで近づいて、気象庁は「今までに経験したことのない災害が起きる、命を守る行動を!」と呼びかけ、国交省は各地の多目的ダムを予備放流し治水容量を増やして台風に備えた。 

 しかし二居ダムでは事前放流がなく、雨が降り出してからの放流+降雨の増水だった。清津川下流はダムの排水溝ではない。ずっと昔から集落があって人が住んでいる。 「民衆の自然観」に基づくならまず発電ダム運用の法改正が必要なのではないか。

10万円相当給付に967億円の事務費が

岸田内閣始動だが…

年金生活者・斎木 文夫

 先の衆院選挙では、もっと野党共闘の成果が出ると予想していました。不明を恥じるばかりです。

 立憲民主党の枝野代表は引責辞任し、今日(30日)、泉健太氏が新代表に選ばれました。マスコミは、野党共闘、特に立民が共産と組んだことの是非にとらわれすぎではないでしょうか。そのせいか、泉氏の訴えがよく分かりませんでした。

 まあ、岸田氏が自民党の総裁に選ばれたときも同じようなものでしたけど。その後、岸田氏は安倍氏の言うことをよくきく人だと分かりました。

岸田氏は「ハト派」と言われる宏池会の代表です。元々は改憲、在日米軍への思いやり予算の増大、敵基地攻撃能力の保有に前のめりではないと見えました。それが、一気に「花開き」ました。

 一方で、モリ・カケ・サクラは散ってしまったようです。総裁選前哨戦の9月2日に岸田氏は森友学園問題についてテレビで「さらなる説明をしなければならない課題」と言っていたのが、同6日には再調査しないと変わりました。

 さて、政府は19日に新たな経済対策を閣議決定しました。新型コロナ対策と「成長と分配の好循環」が中心です。

 26日、この経済対策分31兆円余を含む約36兆円の補正予算案を閣議決定しました。財源の大半22兆円余は国の借金である国債で、21年度末の国債残高は1千兆円を超える見込みです。国民1人当たり800万円超となります。

 この補正予算のなかで、今話題となっているのが、所得制限つきで子ども1人あたり10万円相当を配る給付金です。

 第1に、世帯収入が少なくても世帯主の収入が多い世帯には支給されないこと。次に、半額の5万円をクーポンで支給することで967億円もの事務費用がかかること。10万円を現金で一括支給すれば、事務費用は約280億円で済むそうです。第3に、クーポンの支給が来春に遅れること。

 政府・与党がクーポンにこだわるのは、現金支給だと貯蓄に回って買い物に使われないという懸念からです。しかし、貯蓄したい人はクーポンで必需品を買い、浮いた分を貯蓄に回すでしょう。

 潤うのは、いつものように、政府からクーポンの印刷や発送を請負い、中抜きして下請けに出す業者なのですね。

 補正予算案では、困窮世帯や学生への給付金、中小企業支援金など真に必要としている人に届くのか心配だし、軍事費のことも気になります。軍事費については後ほど。

4分の1に引きずられる4分の3

衆院選に学び参院選へ

元ゆずり葉編集委員・松崎 房子

 衆議院選が終わってほぼ1ヵ月。安倍政権・菅政権と続いて、もういい加減に変わってほしいと大半の人が思っていると、願っていたがそうではなかった。

 選挙権を得た昭和35年頃は、労働者と資本家の格差は大きく、労働者階級を守ってくれる革新派にかける期待も大きかった。成人したとはいえ、さほど判っていなかったので、新聞・ラジオより母の判断を信じて投票したと思う。家庭を持ち、日々の暮らしが政治に直結している事が判ってくるようになると、せめても唯一の権利である投票には欠かさず行った。特に期待に値する野党の候補者を、精力的に応援したことがあった。

 すぐには結果に結びつかなかったが、12、13年前政権が変わった。これから徐々に世の中が変わっていくに違いないと期待した。そこへ千年に一度の大災害『東日本大震災』に襲われた。経験不足もあり、何より不運だったと思う。

 政治に運・不運は通用しないので当然だが、自公政権に戻ってしまった。

森友・加計・桜を見る会

等々問題が次々と起きて

いるのに、不信感で一杯

いなのに、一向に変化がない。不満を抑え込むために菅政権に変わった。が代わり映えしない中に任期終了。投票率は50%そこそこ、その半分を辛うじて手にした与党は、国民の大半のの信任を得たと胸を張る。4分の1でしかないのに。

 何とか政治を良くしたいと望み投票した人、残り4分の2は自分一人が行っても何も変わらないと、思い込んでいる人、そもそも自分には関係がないと見向きもしない人。それではよい世の中になる筈がない。

 私が理想とするのは、二大政党が最長8年任期で交代するアメリカ的政治の在り方。どんなに良い政権でも、ましてよろしくない政権なら尚更、見直しをし、より良い在り方を見極める。バランスが取れる政治であってほしいと願う。アメリカの政治も昔とは違ってきているのだろうが…。

家庭環境がそうなのだから当然だが、二世・三世の議員が多い。世襲ではないのだから有名政治家の子・孫で選ぶのではなく、資質や言動を注視して、より良い人物を選びたいと思う。

次は参院選。国政に直結の衆院選とは少し意味合いが違うが、よく考えて投票しよう! 若い人に託したい気持ちもわかるが、経験豊かな少し年配の議員さんもいてくれないとね。