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オピニオン

社会の「血液」の流れを良くする

インフラ技術に思う

経済地理学博士・清水 裕理

 羽田空港から広島空港まで、重要な用事があって、久しぶりに飛行機に乗った。

 飛行機の出発時間に遅れないようにと緊張する。保安検査場で手荷物を機械の中に通し、何もありませんようにと思いながらゲートをくぐり、しかし思いもよらずブザーが鳴り慌てて係の人がやってきて、懐疑が晴れるまでの拘束にドキドキすることがある。

 今回、羽田空港には、今まで見たことのない大きく長い検査機が導入さていていた。能力が高いのだろう、念のためにと呼び止められ、確認を求められる人は以前より少ないように見えた。

 なんてスマートなのだろうと感動したが、帰りの広島空港はそうはいかなかった。同じ服装、同じ荷物で検査場を通ったのだが、方法もスマートさも羽田空港と異なった。ゲートをくぐる時、ジャケットを脱ぐか手で触わっての確認があり、ノートパソコンが入ったカバンは鉄の塊が入っているとしか機械で判断されず、念のためとカバンの中を確認された。

 羽田空港では何事もなくそのまま通過できたのに、その違いは、最新の検査機の導入の有無なのだろう。さらに言うと、羽田空港は利用者が多く資金もあるので最新の機械を購入でき、広島空港は日本の中枢都市の空港なのだが、まだそれができていないということだと思う。

 飛行場の運営は各地域の民間企業が行っており、それぞれの地域に任されている。新技術が行き渡るにはタイムラグがあるということかもしれないが、今「イノベーション」「スマートシティ」の推進が盛んに言われている。

 そうであればなおさら、特に公共的・インフラ的な分野においては、新技術があまねく場所、あまねく人に享受されることが求められるのではないだろうか。特定な場所や特定の人しか享受できないとなると、先ほどの空港の事例のように不自然なことが起きてしまう。

 マクロ経済的な視点から見ても、「人流」「物流」(さらに「情報」「金融」)といった人の体で言う血液の部分の流れをよくする、そのためのインフラを適切に整備(今はコロナ対策も踏まえ)することは、経済活動の活性化につながる。

 公共的・インフラ的な重要な分野で、スマート

で能力の高さを発揮する新技術が、あまねく場所で導入されるよう、またそのような技術が開発されるよう、考えていくべきだと思う。

おーい、おーいと優しく声をかけた

早春に出会った「友人」

秋山郷山房もっきりや・長谷川 好文

 ようやく雪の話題も遠ざかって、ほんの少しの間、桜を探して家の周りを散歩する頃になりました。毎年のこととは言え解放されて楽々としているのです。

 今年の冬は気温が高く、雪解けもずるずると進んで3月の山の斜面から土が顔を出します。今年の冬は少し毛深い友人も出来て遠く、近く垣間見ると世間話などを手振り身振りで親交を温めました。その友人は昨年の末から時々見ておりましたが、どうも前足の調子が悪そうで気にはしていたのです。

 年が明けて1月2月3月とだんだん頻繁に挨拶をするようになりました。

 春の桜の頃にする話ではありませんが、私がその友人を見つけて理解しあったという頃のことを話して見ましょう。

 その日、3月の4日だったろうか、久し振りの天気に買い物に出て郵便局の用事やらを済ませて

帰って来た。リュックサックに食料などを詰め込んで雪の急斜面を降りるのだが、腐った雪がずぼずぼと足を引っ張り込む。重心を低くして尻を着くように下りて来た。そろそろ道を作ってやらないとけが人が出るなと思いながらだった。少し平らなとこまで降りてふと見ると、よく見かけるカモシカがこちらに背を向けて草でも食べている風情だった。立ち止まって見ていると気が付いたのか首を回して私を見た。急斜面の雪は落ちて地肌が出てそこに草やらフキノトウが出始めたのだ。(しっかり食べろ)とエールを送って堰堤まで降りて来ると奴さんがゆっくり斜面を上って歩きだした。 

 雪にぶつかると前足を取られて首まで沈み後ろ足も同じように雪のなかへ消えた。ゆっくりとした歩き方なのだが、見ているとまるで私が四つん這いになって雪のなかを上がるように思えるのだ。奴さんも独行で、私も雪に埋もれてのひとり暮らしを思うと同じところを生きるものとして心が揺すぶられた。多分対岸のどこかから私の冬の作業を同じように見ているのだろうと、共苦者に連帯感を抱いた。足も悪くなっているようには見えなかった。何やかやで小一時間もお互いそうやって見ていた。切りがないので私はもっきりやに戻って、奴さんのいたはずのところを双眼鏡で探すのだが雪の消えたところに上がったカモシカは見つけることが出来なかった。

 雪も解け始めると早く、気温も上がったせいで、友人もここにばかりはいないようなのだけれど、先日やっぱりゆっくりと道を横断している姿を見た。おーい、おーいと優しく声をかけたのだけれどそれだけの話だった。また、厳しい冬が来たらきっとゆっくりと会えるだろう。その時ははね出しのリンゴでも買って挨拶に行ってみることにしよう。「毛深い、親友が出来た」

命を守る住民の意思表示が必要

十日町市の住民投票条例

清津川に清流を取り戻す会・藤ノ木信子

 福島第1原発が次々に爆発しメルトダウンした年の春、十日町市ではまちづくり条例を考える会が発足して、市民が一つ一つ条例の内容を紡ぎ始めた。その第10章は住民投票について謳っている。 

 当時、私も会に加わっていて「この住民投票を市民が実行することがあるとすればどんな時だろう…たぶん、十日町市が今よりも大きな合併自治体になるとか、原発のような命や生活を脅かす可能性のある施設について市民の意思表示が必要になる時かなぁ」と思った。 10年が過ぎ、もしかしたら今がその時なのかと感じている。住民投票の結果には法的拘束力がないが、条文には『市議会及び市長は、住民投票が実施されたときは、その結果を尊重しなければならない』とあってアンケートとは決定的に違う。

つまり、議会や市長がOKと言っても、住民投票で住民がNOと言えばそれを尊重しなければならない仕組みなのだ。

 でも今回は問いかけの方向が難しい。単に再稼働をする、しないと問えば必ず「日本は資源が乏しい国だから」とか「CO2の排出を抑えるために」と原発が必要と考える人もあるだろう。私的には2014年の関西電力大飯原発再稼働を巡る福井地裁判決の『人格権は憲法上の権利であり、また人の生命を基礎とするものであるがゆえに、我が国の法制下においてはこれを超える価値を他に見出すことはできない』…人命は電気より大事! という判決文の通りだと思っている。

 でも今の状況は単純に再稼働の是非ではなく、東京電力という会社に再稼働をさせていいのか? という問題だと思う。

 福島第1原発の収束の目処もたっておらず、未だに故郷に帰れない人が多く、離ればなれになっている家族もある。新潟県内だけで放送されている安全対策を強調するコマーシャルを不快に思うのは私だけではないはずだ。「福島第1原子力発電所の事故の反省をふまえ、さまざまな安全対策に取り組んでいます」と言いながら、柏崎刈羽原発はテロリストでも入れるでたらめセキュリティーの核施設だったとは…原子力規制委も安全重要度を最悪レベルの『赤』と評価した。

 私が水問題で関わってきた水力部門でも、超過取水や発電取水の目的外使用などの河川法違反、中津川発電所の導水路破裂事故、雪おろしをしないで湯沢発電所の屋根が崩落するなど発電事業者としての資格が問われることの連続だった。

 発電施設の事故は人災だ。刈羽柏崎原発の30㌔圏内人口は44万人、命を守るために住民の意思表示が必要ではないか。

政治家も有権者も、逃げないでほしい

原発も地方選の争点に

自由人・斎木 文夫

 十日町市の関口市長がようやく4選出馬を表明し、表明が遅れた理由に、自らの体力・気力とエネルギー問題を挙げた。

 福島第1原発事故から10年。テレビの特集番組を見ても、復興どころではない。「復興五輪」の掛け声がむなしい。

 メルトダウンを起こした3機の原子炉内には数万年にわたって高放射能を出し続ける燃料デブリ(溶け落ちて本体と溶け合わさった核燃料)が880㌧残っている。その抜取り方法も決まらないのに、国・東電は「40年で廃炉」の目標を変えていない。

 こうしている間も汚染水は毎日140㌧ずつ増えている。さらに、廃炉作業が始まれば、建物の瓦礫、敷地内の土壌など取り除くべき汚染物質は最大で780万㌧になるという。廃炉経費は当初見積りの2兆円で済むはずもなく、8兆円という試算もある。

 原発は安全、安価、環境に負荷をかけないという神話はすでに崩れた。

 柏崎刈羽原発6・7号機は「新規制基準」に適合、昨年10月に工事認可計画と保安規定が認可されて、残るは地元(県、柏崎市、刈羽村)合意だけとなった。

 それが今年になって状況は一変。東電社員のID不正入室、工事未完了、セキュリティー対策不備などの不祥事が次々と明らかになった。再稼働日程は白紙に戻り、東電の能力を疑問視する声も大きくなっている。

 ここは、再稼働うんぬんでなく、原点に戻って考えるべきではないか。福島原発事故当時の吉田所長は「東日本壊滅」を覚悟したという。核のゴミを出し続け、重大事故が起きれば日本の国土の半分に人が住めなくなる原発というものを容認するかどうか、改めて問われている。

 柏崎刈羽原発の再稼働に必要な事前同意を30㌔圏内に広げるため、圏内議員有志が研究会を作っている。十日町市川西地域も30㌔圏内にあり、市の有志議員も参加している。とりあえず、この運動に行政、議会全体でしっかりと取組むべきと考えるがどうか。

 今回、市長・市議選に出る人は、原発に対する考え、柏崎刈羽原発の再稼働に対する考えをぜひ表明していただきたい。

「政治家の資質」や「有権者の民度」など「上から目線」的な言い方はしたくないが、市民にとって家の前の側溝の修繕も大事な生活課題だが、原発の再稼働も重大な問題なのだ。

 政治家も有権者も、それに気づいてほしいし、逃げないでほしい。

老いと共に迫られる生き方の選択

自由な選択と責任

元ゆずり葉編集委員・松崎 房子

 閉塞感の中でもベターを探して 何とか無事過ごそうとしていると前回書いた。編集部が付けたサブタイトル【そんなやわじゃないぞ!】も相まって、友人からは、なにくそ精神で頑張ってるね! と感想が寄せられた。でも本音は些か弱音が出る。元気に任せて興味のある事を見つけては出歩き、行きたい所へはどんどん出かける。会いたい人には可能な限り会い、おしゃべりをし、頭を活性化する。そんな毎日から一変、ひたすらおとなしくしている。そろそろ限界に近づいたかも。

 と言いつつ「地域の問題を考える〈市民懇〉」に出席した。各地区の自治会リーダーの懇談会に一般住民として参加。どの自治会も高齢化し問題が山積とのこと。首都圏のベッドタウンで30年ほど前に人口が一気に増えたが、その後若者の流出が増加、どんどん高齢化、限界集落化している現状だそうだ。

 親世代が高齢になっても地元に職がないので帰られない。ゴミ出しもままならなくなり、サポートの人達も高齢者となり各所に影響が出ている。病院送迎をお願いしたい人が増え、その運転サービスの人がいなくなっている。日本全国どこでも耳にする話ばかりといっても過言でない。

 ここに至る経過を考えてみた。もちろん今も多世代で暮らす方も少なくない。基本は夫婦単位の家族制だが、私が生まれた頃は核家族ではなかった。祖父母、両親と私。三世代5人家族。私が生まれた頃、大家族の一員の祖父が戸主であった叔母の家から分家する事になり、その手続きのため出生届が2ヵ月遅れた。祖父が新しい家庭の戸主に。我が父は戸主になることがないまま戦死、終戦後、法律も変わった。 昔から嫁姑関係が大問題だった。我が家も戦後何とか頑張っていたが、母の細腕に祖父母と私がぶら下がる状態は続くはずもなく、5年生の頃、ついに祖母と母が大声で争うけんかになった。結局それ以来、祖父母は出身の四国の田舎へ帰り、母と私は知人を頼って転居、転校。女学校に出してもらい就職した。

 私の結婚時、会津の義母とは同居しないことが分かり、母はホッとした様子だった。義母の人柄も分からない時から気になっていたようだ。我が子たちが結婚の頃には結婚を機に独立するのが当然で、親と同居は考えることもなかった。核家族化は住宅変化をもたらす。夫婦家庭が基準で大きな家は持たなくなった。いや持てなくなった。高齢の親が独り身になり、病気になり…としても子はすぐに親を引き取れる状態にはない。必然的に、高齢になっても何とか暮らさねばならない。我々夫婦は折に触れ今の状況チェックに余念がない。これは出来るがあれは出来ない、ではどう対応する必要があるかなど話し合う機会が増えた。

 自由な選択には必ず責任が伴う。私が基準とする時代と大きく変わり、どう責任を取ればよいのか暗たんとする。

 高齢の親と同居は難しくも、高齢者サービスが付いた住居が次々に出来ている。安心見守りサービスなどきめ細かく提供している。食事支度が難しいならお弁当がたくさん売っている。契約で届けるシステムもある。

 コロナ禍で元気であっても、さほど遠くない所に住む子や孫に会えないのはつまらないが、これからは出歩けなくなり、そんな状態が続く。それを寂しいと思わない考え方が出来るようにしておくこと。多種多彩のサービスを好んで使う考え方と、ある程度のお金が自由に使えるようにしておくのも大事だ。こんなことを考えていたら、来るものは来い!

 より良い時を迎えるために、これが私の自由な選択に対する責任の取り方かな。実行するためには元気でいる必要がある。何にもまして大事な事だ。そしてこれが簡単ではないのも事実。どこまで頑張れる、かな。

 コロナは思いがけなく、先送りしていた事まで考えさせてくれた。謝謝というべきか!?

女子、若者、出でよ!

市議選、40代以下候補5人だけ?

会社員・村山 朗

 4年に一度の市長選挙と市議会議員選挙が来月行われます。市長選挙は前回と同じ候補者同士で争われるようですが、市議会議員は本稿を書いている時点では、定数ちょうどということで、ひょっとすると無投票になるかもしれません。無投票ということは、出たい人はだれでも当選するということです。議員に向かない人が議員になる可能性もあります。今からでも遅くはありません。立候補する方はいませんか? 特に20代から40代の方、お願いします!

 立候補予定者24人の中で40代以下の方は5人しかいません。郷土の将来を考えると、やはり筆者のような高齢世代よりも若い年代の議員が増えるべきだと思います。知識経験豊富な60代以上の候補者をないがしろにするつもりありませんが。

 市会議員に立候補できる被選挙権は、日本国民で満25歳以上であること、その市区町村議会議員の選挙権(日本国民で満18歳以上であり、引き続き3ヵ月以上その市区町村に住所のある者)を持っていること、と規定されています。投票日に満25歳になるのであれば立候補が可能です。その他に供託金を30万円用意しなければなりません。供託金は有効投票数÷定員数(十日町市は24)×1/10未満の得票数で没収されます。十日町市の場合、前回平成29年選挙の没収点は約139・7票、最下位得票が308票でしたので没収された候補者はいなかったことになります。落選した上に供託金まで取られれば踏んだり蹴ったりですが、意外に立候補のハードルは低いようです。 

 気になる年間報酬ですが、令和2年度は議員期末手当の月数3・35ヵ月を含めて、議長602万円、副議長485万円、議員461万円です。そのほかに一人当たり年間15万円の政務調査費と10万円の行政視察費が認められています。年間24日の定例・臨時本会議(定例4回、臨時1回で会期中の休日、休会日を除く)15日前後の委員会に出席する義務があります。報酬の割には出席しなければならない日数は少ないような気がします。もちろん議会や委員会出席以外に地元の会合、協議会、請願、陳情、視察などもあるので決して暇なわけではないでしょう。

 どうですか? この地域の給与水準からすると十分ではないにしてもそう悪くはなく、共働きなら子育て世代でも何とかやっていけそうではないですか? 現職議員24名のうち兼業議員が19名と多数を占めることからわかるように、自分のやりたいことに使える時間もありそうです。女子、若者、出でよ!

分からないという感覚を麻痺させてはいけない

株価の乱高下を読む

経済地理学博士・清水 裕理

 3月に入り、日本と米国の株価が乱高下している。先週末に、一日で日本の日経平均株価が1200円下げ、米国のダウ平均株価が2日で1000ドル以上下げた。

 米国では、新型コロナの感染者数がやや減り、ワクチン接種が進むことから、経済回復の期待がみえ始め、それならば、普通は株高になりそうである。 

 ところが今回は、長期金利(米国10年物国債利回り)が急ピッチに上昇し、そのような急激な上昇は、企業や株価にとってはマイナスあるいは逆相関であるとして、高水準にあった株価に冷水をさしたというのが大方の見方のようだ。

 国債の金利が上がることは、国債の(将来固定の償還額に対し変動する現在の)価格が下がった、分かりやすくは、買いたい人が少ない、発行量が多く需給が緩む状況を示している。

 米国では、民主党政権が議会の上院と下院、大統領のトリプルスリーをおさえたことで思い通りの政策ができ、新型コロナ対策に超大型の200兆円の経済対策を打ち出した。しかし、それにより、資金源となる国債の発行量が増えると予想され、今回の金利上昇につながったとされる。

 また、景気回復の期待が出て、今まで景気対策として、中央銀行が国債を買い金利上昇を抑えるなどしていたが、そのような麻酔を打つような対策はいつまでも続くはずがない(いや、もしかしたら、続くのだろうか…)。

 米国の中央銀行はそのような観測を一旦否定するだろうが、リーマンショックの時と同じように、いま経済に関わる金融機関や投資家は、本来経済にとって大事である働く人の努力やそれに基づく企業の成長よりも、中央銀行の介入がいつ縮小するのか、その一挙手一投足に、固唾を飲み神経をとがらせているように感じられる。

 日経平均株価の乱高下に影響を与えているのは、主に特定の大企業の銘柄という現実もある。でも、国債は国の借金であり、ほとんど日本人が買っているとはいえ、借金が増え続けることにより、今後、私たちの生活に具体的にどのような影響が出てくるのか…。

 日本で既に積み上がっている多額の額を目の前に、考える余裕さえなくなる気持ちになることもあるが、今回の株価の動きのように、普通に考えたらピンとこない、分からないという感覚を麻痺させてはいけないと思う。

真冬、追悼の山旅に来たカナダ人

 「涙の時限爆弾」

秋山郷山房もっきりや・長谷川 好文

 対岸の和山温泉にはよく入れてもらったものである。42度ほどの温泉で、ここで暮らす私にはひとつのよすがでもあった。殊に冬場は訪れる湯客も少なく、鳥甲山に降る雪を眺めながら、よくひとりで浸かっていたものである。

 その和山温泉で何年も前の冬のことになるのだけれど、仁成館の亡くなったご主人がこう言ったことがあった。

 「昨日、ベトナムの留学生がバスに乗って4人も来た。何か食べられないかと問われた」と話した。ネットで雪の多い所を探してここまで来たようなのだ。ところが何処の家も鍵がかっかっていて入れなかったと。長岡の大学で春にはベトナムへ帰る思い出旅行だと留学生は話した。

 早朝に長岡を出たのだろう。寮の朝食は早すぎて食べられず、津南でも時間がなくバスの終点和山にも何もない。「お腹が空いているので何か食べられないか?」手を合わせるのだと…

 ご飯を切らしていたので温泉に彼らを入れてその間に食事の用意をしたという。それじゃ足りないからとカップ麺も出してやったと笑いながら話した。帰りのバスを確認して、お金は幾らですかという留学生に手を振っていらないと伝え、バス停まで送ってやったのだという。

 それを聞いたときに、真冬の厳しい頃の秋山はお金の通用するところではなくて、気持ちの通じるところなのだと感じて嬉しくなった。ベトナムの彼らが何年かして、このことを子供や友人に話すときに宿の主人の暖かい対応が時限爆弾のように彼らのなかでさく裂して涙を流すのだ。

 そう云えば私も数年前の3月、中津川をスキーを履いて渡って来た二人の外国人をバス停まで送ったことがあった。彼らは、前年に鳥甲山を滑って亡くなったカナダ人の友達で同じコースを野沢から山中2泊して追悼の山旅をして来たのだと言った。その時はバスが運行を止めてしまっていて、小さな軽自動車に大男二人を詰め込んで見玉まで送るしかなかった。その時、亡くなった友への、仇討のように足跡をたどる外国人に変わらない人間の情を感じた。

去年の3月の初めにも右岸の雪を片付けていると後ろにオーストラリア人のカップルが立っていたこともあった。きっとその二人も亡くなったカナダ人スキーヤーの友人なのだろう。事故があったと思われる斜面を見つめていた。

 困っている人を助けるというそんな些細な事だとしても、秋山の自然の厳しさを体感しに来る人たちを支えながら、人のつながりという小さな涙の時限爆弾を与えてやれるのだと思う。

 人間は疲れると浩然の気を養うように旅に出る。コロナ後の世界を生きる人に、ここからどんなヒントを伝えられるだろうか。平時に戻った時、新し時代を生きる人に、小さな地方は思いを巡らさなければならない。新時代の交通手段や止まってしまった温泉の復活をいまこそ祈るのだ。

「一体誰のために税金納めてるんだろう?」

COCOAの失態から見える

清津川に清流を取り戻す会・藤ノ木信子

 先週号で斎木さんも書かれていたが、政府のコロナ対策は及第点に遠く、国民にばかり努力が求められる毎日だ。何が問題なのか…コロナ対策の切り札として昨年6月に始まった接触通知アプリCOCOAを一例に書いてみる。

 これは厚労省の施策でコロナ陽性者と一定の接触があるとスマホに通知が来て注意喚起を促すもので2500万人が利用している。このうちアンドロイド版(770万人)のスマホが昨年9月から5ヶ月間も「接触なし」と機能していなかった。ちょうどコロナの第3波で感染者が増えていた頃だ。菅首相は「お粗末なことだ」と陳謝するが、利用者の中には通知が来ないから安全と信じ、かえって感染の危険にさらされていた人もある。利用者から「家族に感染者がいるのに通知がない、不具合があるのでは?」と指摘されていたのに、何故長期間放ってあったのか…。

 このCOCOAの受注について情報公開請求をした人が開示された公文書を公開してくれている。これが凄まじい。厚労省が発注したパーソルプロセス&テクノロジーとの原契約額が2億9448万円、ここから元請けと再委託された3社(株FIXER・株エムティーアイ・日本マイクロソフト)が中抜きし、再々委託の2社はたったの396万円でアプリ開発したらしい。ぼったくりに遭ったような気分になるのは私だけ? 多重下請けの結果、実際に仕事をした人には発注額のわずか1・3%しかお金がまわってない。これじゃあ保守運用も無理、責任の所在もどこにあるのか解らなくなる。 

 一昨年の「キャッシュレス決済で5%ポイント還元」も、昨年の「アベノマスク配布」や「GoToキャンペーン」も公平性や透明性に欠けた契約で、始めから根拠を明らかにして「こういう理由で○○会社にこういう仕事を△△円でやってもらいます。多重下請けはダメです。」とできないのかなと思った。

 そもそもこのアプリの開発にはいかほどかかるのか、IT人材不足の厚労省は判断できないのではないか? デジタル庁をつくっても中の人材がなければ、言いなりで受けて丸投げする新庁になるのでは?

 確定申告が始まった。個人事業者は今年から電子申告しないと青色申告の満額控除が受けられない。「高齢者予備軍のおばちゃんにはハードル高いなあ」と私もマニュアルと睨めっこしてパソコンに向かっている。そうやって少額でも納税に頑張っているから、杜撰な使い方に「一体誰のために税金納めてるんだろう?」と遠い目線になってため息をつく。

首相の思い、国民に伝わらない

政府の新型コロナ対策

自由人・斎木 文夫

 昨年2月の安倍首相による唐突な学校休校要請、4月の非常事態宣言、総額260億円のアベノマスク。菅首相になってからは、収束前の7月に「GoToトラベル」開始、10月の臨時国会開会、12月に「GoTo」の休止、今年1月の通常国会開会、第2次非常事態宣言…。

 安倍氏の新型コロナ対策はとんちんかん、菅氏は後手後手。唯一早かった「GoTo」開始には、何か事情があるらしい。

その間にも、首相を含む国会議員の会食、夜の銀座クラブ出入り、「コロナ五輪」を仕切るはずの組織委員会の森会長による女性蔑視発言、恥の上塗り会見、陽性者との接触確認アプリ「COCOA」不具合の長期放置。本当に、与党・政府の本気度が見えない。

 1月27日の参院予算委員会で蓮舫議員から「国民に首相の言葉が伝わらない」と詰め寄られた首相は、「私自身は精いっぱい取り組んでいる」と答えた。それが伝わらないと蓮舫氏は言っているのだ。それにしても、首相が「精いっぱいやっている」では困る。結果責任をどう考えるのか。

 また、同日の参院予算委員会での石橋議員の「(要約)新型コロナで困っている人に政府の支援策は届いているか」との質問に対する首相の答弁は、「最終的には生活保護という仕組みもある」というものだった。

 「最終的には」としながらも、突然、生活保護というのは乱暴だ。石橋議員が首相から引出したかったのは、もっときめ細かな生活支援策だったのではないか。

 例えば、緊急事態制限下で飲食店は休業、時間短縮を強いられている。これに対する政府の補償は店舗の規模に関係なく1日最大6万円。カウンターだけの小さな店はいいかもしれないが、中規模以上の店舗にとっては家賃や光熱水費といった固定費にも届かない。

 飲食店だけではない。飲食店に毎日、食材、飲み物、氷、おしぼりなどを納める店もまた苦境に立たされている。これらには補償なしだ。

 確かドイツではそれまでの売上げの75%を補償している。日本でも、国は税金を取るために各店舗の売上げを補足している。個々の店舗に見合った支援ができるはず。

 すでに、政府要請で休業した店や関連業種でパートさん、アルバイターが失職しているかもしれない。つぶれた店だってあるだろう。店主、従業員ともども「生活保護」とはあまりに無責任だ。首相の「精いっぱい」はやはり伝わってこない。

「そんなやわじゃないぞ!」

ベターを探して

元ゆずり葉編集委員・松崎 房子

 一年前の中国武漢市の都市封鎖・続いてクルーズ船の騒ぎ、他人事だった。今やコロナが大挙して、じわじわと首を絞める様に迫ってくる感じ。圧迫感・閉塞感に押しつぶされそうだ。これでは免疫力がますます低下してしまう。そんな中でも,上手くいっている事もあるのではないか? ベター探しをすることにした。

 ※日々の健康※

 幸い二人そろって支障なく元気でいる。一番有難いことだ。高齢者夫婦故、子供たちもハラハラしているに違いない。

 ※仕事※

 大好きな事務仕事をさせて貰って四年目に入った。千葉県庁に出向き、資料を貸し出して貰って、求められている会社の決算書等を閲覧・転記してくる仕事。当初は好きな日に自由に行って、必要な時間仕事ができた。

 第一回目の緊急事態宣言以来、閲覧室に入室するのは完全予約制で、一人一時間限りに制限された。与えられた件数をこなすのに、毎日予約を入れ、一時間のカウントダウンをされながら、せかせかと転記している。逆に毎日予約を確実に得られれば、一時間規則正しく日が過ぎてゆく。

 ※変形性膝関節症※

 人並に持病を得た。座卓に着くことは不自由だが歩行にはほとんど支障がない。健康寿命を延ばそうと、色々心掛けていたが、出来なくなった事も多い。出来る事を探して少しずつでも続けている。

 ※ワクチン※

 ワクチンの話題も多くなってきた。いつ順番が回ってくるかは見当もつかないが、世界中がコロナ撲滅に力を合わせているように見える。実際はともかく、一歩一歩前に進んでいると考えたい。甘いかな?

 ベターな考え方をと想いつつ、思い通りにいかないのが、妻有地方をはじめ豪雪の報道。妻有の人々は強靭な心の持ち主、少々の積雪はあちこたねぇー精神で、一笑に付すことができる人達。

但、雪の片付けが出来ないほど何日も降り続けば、参ってしまう。先週の村山様の投稿を見て、ため息が出た。どう応援すればよいのか、思案に暮れる。電話をしようかとも思うが、雪片付けに追われている時に、却って手を止めてしまう時間泥棒になるのではないか…ためらってしまう。皮肉なものでこちらの空は

「♪こよなく晴れた青空を 悲しとおもう切なさよ…慰め励まし、妻有の友よ…と口を突いて出るだけ」。そんなやわじゃないぞ! とお叱りを受けるかも。

56豪雪以降、40年間で最大積雪深の平年越えを上回ったのは18回

ここ40年間の雪模様

会社員・村山 朗

 久しぶりの大雪になりました。いわゆるドカ雪です。小雪だった昨年よりも2週間余り遅い初雪で、それもそのまま根雪になるというめったにない降り方です。12月の半ばから降り始めて3週間余りで3㍍近く積ったのは殆ど記憶にありません。屋根の雪下ろしや毎日の駐車場の除雪でいい加減くたびれた上に第4波、第5波が来るのではと身構えていたのですが、ここ2週間ほとんど降雪らしい降雪がないのでほっとしています。

 40年前の56、59豪雪、近いところでは中越地震直後の大雪が思い出されます。今回のドカ雪は冬型の気圧配置で等圧線がタテに密に並ぶと大雪になる、いつもの新潟県山沿いの降雪パターンとは違い、日本海寒帯気団収束帯という聞きなれない気象現象が原因だそうです。日本海から本州沿いに雪雲をともなった寒帯気団が連続し、山陰や北陸に大雪を降らせます。今回の福井、富山から上越にかけての大雪はこの寒気団がもたらしたものです。

 森林総合研究所十日町試験地(測候所といったほうが自分にはなじんでいますが)の資料によれば、平年値(30年間の平均値を平年値と呼び10年ごとに更新され、現在の平年値は1981年から2010年までの平均値)の最大積雪深は214㌢です。

 記録によれば56豪雪後、一年置いて4年間は3㍍前後の積雪でしたし、平成22-23年から3年間は連続して3㍍前後の積雪、一年おいて平成26-27年も3㍍近い大雪でした。ここ2、3年小雪だったのですっかり忘れていましたが、決して雪が降らなくなったわけではないんですね。

この平年値を基準とすると平年超えの大雪はこの10年に限って言えば6回あり、56豪雪以降40年間では18回、その前の40年間が24回でした。小雪傾向ですが、温暖化によって目立って降雪量が減ってきているということでもなさそうです。大雪は連続することが多いので、来年の冬も心構えをしておく必要がありそうです。

 現代では車が通行できる道路の確保が最優先です。今回のドカ雪では消雪パイプや流雪溝の能力を超えてしまう町内があちこちに見られ、我が町内でも消雪パイプの井戸が一時的に枯れ、排雪のため一日通行止めにしました。

 町内によって雪処理への住民負担にかなりの差があります。空き家、高齢者世帯も含め地域の実情に応じた行政の応援を期待します。今回は災害救助法の適応を受け、要救助世帯1400世帯弱の屋根雪除雪が行政の手配によって行われたとのこと、誠に頼もしい限りです。

地域課題の解決は、地域主導で

本物のスマートシティ

経済地理学博士・清水 裕理

 スマートフォンを利用した都市サービスは、様々なアプリが開発さていて、日本は世界的に高品質、高レベルなサービスが提供されている国だそうだ。

 具体的に、我々が簡単にアクセスでき、利用料のかからないものにどのようなものがあるか、専門家に聞いてみた。

 その場合、生活者にとって便利であるとともに、社会課題の解決に結び付くことが重要だ。

 よく使われるサービスには、公共交通運行情報がある。東京であれば、東京都交通局やジョルダンのアプリを覗くと、運行状況や乗り換え情報が分かる。神奈川県横須賀市のAI運行バスの実証実験も注目された。

 自動車を運転する人には、例えば、ヤフーのカーナビ、グーグルマップの渋滞情報などは、既に一般的なサービスである。

気象情報も充実している。雨マップを見れば、自分のいる建物といった狭いレベルで10分ごとの降雨量予想が見られ、それがよく当たる。Windy は、日本列島及び世界の現在の風の流れや海流が一目で分かる。現在の動きということでは、FlightradarやTrackaShipで、飛行機や船の位置が分かる。

 お勧めのアプリは、まだ沢山あると思う。

 アプリには、全国共通のものと、地域の特徴に合わせたものの両方がある。地域の特徴にあわせてつくられたものは、世界中の多くの同じ規模や特徴を有する地域やまちと、サービスを共有することができる。

 日本の大手ITベンダーは、何千万円という大きな仕事を受けて利益が出る体制になっており、比較的規模の小さい地域課題に対応した仕事は、なかなか受けられないのだという。

 だが、一つ一つの額は小さくても、地域には対応すべき課題やニーズが多くある。様々な工夫や高品質なサービス(アプリ)が出来上がれば、世界に広げる時は、大手ネットワーク会社の協力を得れば良い。

 そのようなビジネスチャンスがあると気が付いたGAFAなどのグローバル企業が、地域や都市の分野、スマートシティの分野に参入しようとしているのではという話も聞こえてくるが、地域課題の解決は、地域主導で考えるのがよく、ビジネス的にも地元企業が活躍できる余地がある。いま、まさに本格的な動きに向けてのゴングが鳴ろうとしている。

「一人見捨ラレタ感アリ」

冬の始まり日記

秋山郷山房もっきりや・長谷川 好文

 12日:歩行器ニモタレ歩ク友人、見舞ウ。外ハ氷雨。コノ分デハ山ハ雪カ! 車エンジンヲ掛ケル。

 13日:大雪ノ予報。出ラレナクナルカ? 食イツナゲルヨウニ大量ノ鍋ヲ作ル。フワット積モッタ雪ハ絵画ダ。

 14日:15㌢積モル。索道ノロープニ着雪。凍ッテ動カナイ。対岸ヘノ道ガ閉ザサレタ。

 15日:30㌢ノ積雪。予報ヨリ少ナイ。明方アオゲラ来ル。ヒステリックニ外壁タタク。

 16日:大雪ダ。100㌢ノ積雪。軒カラ30㌢出ブッテイル。マダ大丈夫!

 17日:屋根ニ何カイル音スル。テン、サルカ?朝ニハ、アオゲラダ! 降リ続キ200㌢ニナル。マイッタ。マダ屋根ハ危ナイ。上ガラナイ。 18日:晴レ間見エル。雪落チ着ク! 梯子ニ取リ付キ足場ヲ作ル。長靴ツ込ム。30㌢ハ潜ッテ、トタンノ上デスベル。ヤメル。マズイ。道作リニカンジキヲ履ク。索道モ寒サデ動キガ悪イ。手袋滑リ軍手ダ。右岸ハ一歩一歩スコップデ這イ上ガル。1時間半。汗ダクダク。車ハ150㌢雪ノ下。

 索道はワイヤーと固定ロープ、籠を引き寄せる行って来いのロープで4本あるのだがロープが雨と雪、冷え込みで凍る。そうなると籠に付いたロープが滑車に入らなくなり、先へは進めなくなる。孤立する。

 

 19日:今日モ雪。風呂水ガ細ル。直ス。栄村デハ多クガ停電。飯山線ハ走ラナイ。屋根ノ雪、沈ンデ200㌢!

 20日:今朝モ70㌢ノ雪。4時ニ目ガ覚メタ。眠レナイ。起キ出セナイ。雪ハ煙突ヲ巻キ込ムヨウニ積モリ、池ハ雪ノ山ダ。一人見捨ラレタ感アリ。小サクブルルト震エタ。

 21日:止ンダ。予報ノ外。万歳、良カッタ。

 

 日帰りで手伝いに来ると言う方があり、ひとりでする作業とは違う。屋根の張り出した雪だけでもと下ろして回った。

 それから少しづつひとりで下ろして友人が来てくれた28日に、全て下ろし終えた。いや、困った1週間だった。

 

 昨年亡くなった見玉の高橋さんが、こんなことを言っていた。「秋山の娘は、たとへ一寸でも町に近いところに嫁に出す」と。こんな大雪にあうと「さもありなん」と秋山と津南を引き比べてしまう。いくら雪に慣れていたとしても、秋山のことに一軒家の冬はまるで昭和30年代のままなのである。津南に向かう405号は雪も消えて、ローマにでも届きそうなのにと僻んだ!

「人は野に遊び田畑を耕す人間本来の暮らしに戻れる」

AIが作る社会とは

清津川に清流を取り戻す会・藤ノ木信子

 すっきり晴々した気持ちになれないコロナ禍での新年になった。どうして感染者数の少なかった10、11月のうちに、徹底的な検査と隔離策をしてウイルスを減らしておかなかったんだろう、GoToキャンペーンなんて真逆のことやって…。寒くなったらウイルスが活発になるのは解っていたことでしょ? 医療崩壊するのは当たり前よ、と私は思っている。コロナ禍でさえ利権争奪をやっている国はバーチャルゲームのようだ。

 この正月に読んだのは「AIの壁」(養老孟司著)。人工知能が人間と共存する未来についての対談本だ。今でも車の自動運転や癌診断は既にAI(人工知能)が担っていて、囲碁や将棋の盤上ではAIが人間に勝つ。もうバーチャルではない現実だ。

 将来、人間に取って代わると言われるAIは格差社会を拡げ人工都市を造っていくと言われている。それでも著者はAI化によって、「人は野に遊び田畑を耕す人間本来の暮らしに戻れる余白ができる」という。そのためには五感を鍛える教育が大事だと。AIは雇用を生まない。いろいろな仕事の中でもデータの蓄積で処理しやすいホワイトカラーの分野から人→AIに置き換わると。人は1次産業に戻っていく。

 なるほど、コロナ禍によって都市での仕事はリモートになり、人が都市に居る必要はなくなった。同じようにAIが人に代わる分野は、脳化された都市の仕事ではないだろうか。

 そうか、AIが苦手とするのは蓄積データでは答えが出せない想定外が起こる自然の中の作業…まさしく農業・林業ではないか。だから五感を磨き、人にしかできない仕事を人がする。…これ、なかなか面白いなと。おーい、子ども達よ、ゲーム漬けになって視覚と聴覚だけで遊んでいる場合じゃないよ、外に出て身体を動かして触覚、味覚、嗅覚も鍛えて思考力をつけよう!

 さらにAIを追究していくと、知能とは何か、AIには芸術がわかるか、幸福を感じるかという人間の根源的なものが突きつけられる。経済的・合理的・効率的にAIというツールをつくったけど、反対に、じゃあ知能って何? 芸術って何? 幸せって何? 人間って何?  を問われることになる。 

 私たちは既に架空の世界に住んでいるのかも知れない。今でも統計や資料は信用ならないし、TVやSNSの情報は偏っているし、美味しいと食べている物も添加物や香料漬けのバーチャルだよね。

 おーい、若者よ、スマホの中の情報でなくて、自分で歩いて動いて考える練習しようね。どんなにAI技術が進んでも、暮らしているのは生身の人間だから。