オピニオン

 

世間に置いて行かれるー

デジタル? でじたる?

2020.10.31

元ゆずり葉編集委員・松崎 房子

 菅内閣の目玉は【デジタル庁】の新設だそうだ。現代には必需との事だが、私にはどのように関係があるのかさっぱりわからない。年の所為にしたくないが、近頃ミスが続いている。クレジットカードが見当たらなくなった。電話料金の決済にも使っているので、その旨電話会社に申し出た。変更になった番号をちょいちょいと連絡すればよいのかと思ったら飛んでもない。予約を取って店舗に来てほしいという。カード番号変更はほんの一瞬で済み、この際だから回線をまとめた方が便利だとか、お安くなるとか、あれよあれよという間にその気にさせられた。世間では電話で詐欺に巻き込まれて何十万、何百万と騙されたとか毎日のように聞かされてそんな言葉に騙されるなんて、と客観的に見ていた。でもそれは経理の経験があり、対処の方法が少しは解るから偉そうに私は引っ掛からないと思っていただけだった。日本語には違いないが,カタカナがやたら多い。アルファベットの短縮ときたらだんだん頭にカスミが掛かってきて訳がわからなくなる。

 いつの間にか会社が変わり、何とかプランに入る事になった。挙句の果てにカードが見当たらなくなって二ヵ月近くになる昨今、とんでもない所からひょいと出てきた。あーあー‼

 以前藤ノ木信子さんが書いておられたが、マイナポイントの事。マイナンバーカードを全国民に持たせるための餌だとは思っている。藤ノ木さんは「ポイントにつられたわけじゃないよ」との事だったが、私はポイントゲットを狙っている。当初は国民管理の番号振りだと、苦々しく思っていて、私なりに作らないで抵抗したが、昨年パスポートが期限切れになって、五年物にしろ、十年物にしろ、これから取得するのは考え物だと思い、身分証明の替わりにカードを作成した。

 丁度仕事上でも必要になったので、結構な頻度で使っている。ここ迄来たら利用出来る事は利用しようとして、マイナポイントに申し込もうと挑戦しているが、中々たどり着けないで四苦八苦している。近頃は何かにつけホームページを見よ!スマホで検索! で片付けられてしまう。先の電話会社でも、スマホにしましょうよと強く勧められた。変化についていくのは大変で、今は心の余裕が無いからと断った。チャンスを遠ざけたのは自己責任かも。

 

縄文の充実、印象薄い織物の産業史

新博物館を訪ねて

2020.10.24

会社員・村山 朗

 先日、遅ればせながら新博物館を訪れました。「縄文の遺産・雪降る縄文と星降る縄文の競演」と題する特別展が開催されているからです。お目当ては縄文のビーナスで、ともに国宝の火焔型土器と縄文のビーナスを同時に鑑賞できる素晴らしい企画です。

 縄文のビーナスしか予備知識のなかった「星降る縄文」の長野県や山梨県で発掘された国宝級の土器・土偶の数々にも心を動かされました。優れたデザイン・形の縄文土器は「雪降る縄文」火焔型土器だけではなかったのですね。

 また古代に人の行き来があったかのような新潟・長野・山梨からの共通の出土品、ヒスイや黒曜石にも驚かされました。甲信越地域の古代人の交流や共通の美意識を強く感じます。あちこちで美しいものに目を向ける余裕のある生活があり、ムラの工芸作家たちが活躍していたんでしょうね。この特別展は11月8日までとのこと、興味のある方はぜひ足をお運び下さい。

 さて常設展に目を移すと、全体に散漫な印象があった旧博物館に比べるとテーマを「雪と信濃川」「縄文時代の火焔型土器のクニ」「織物の歴史」の三つに絞り、それぞれ展示室を分けて映像や画像を大幅に取り入れた形になりました。中世の生活の展示が縮小され、昔の雪国の生活に重点を置いた民俗的な展示が主体となっています。

 縄文時代の展示も実物の展示だけではなく、重量感のある模型の火焔型土器を組み立てるパズルや自分の顔(デジタル顔ハメ!)を持つ縄文人が集落ジオラマ内を動き回る楽しい映像など体験型の展示がより興味を深めてくれます。

 織物については特に目新しいものは感じられませんでしたが、展示がとても見やすくなりました。 

 旧博物館時代から感じてはいましたが、戦後の十日町市の経済を牽引したきもの産業についてもっと画像や映像を使った展示がなされてもいいと思います。かつて十日町市の出荷額の80%近くを占め、1976年には580億円(現在価値では1千億を超えるのではないでしょうか)の出荷額を記録した前後の時代についての展示が少ないと思います。かつて数百人規模の会社が何社もあった、という織物の産業史的一面が現在の展示からは殆ど感じられません。 一業界の歴史とはいえ、十日町市の大切な歴史の一コマです。現在80代・90代の方がその当時をよく知っている最後の世代でしょう。個人的に所蔵されている写真や映像などを提供していただき、その時代の研究と展示を望みます。

見通せない時代だからこそ、里山求め

憧れの三世代

2020.10.17

経済地理学博士・清水 裕理

 雪深い冬が終わり、裏庭の林にコブシや山桜、カタクリの花が咲き乱れる頃、小学校の運動会に家族総出で出かける。おじいさん、おばあさん、若夫婦に子供たちの三世代に奥さんの両親…大勢でグランドにシートを敷いて、わいわいと楽しそうにご馳走を囲む…。

 コロナ前、或いは数年前の当たり前の雪国の農山村の風景だ。

 農山村では生涯を元気に過ごす人が多い。そこには年齢に応じた活躍の場がある。高齢になっても、枯れ草のそうじ、なめこの収穫、山菜の処理など、家や田畑や林を守るため、力仕事は機械化も進み若夫婦に譲るが、あらゆる仕事がある。

 私の父も、定年後に東京から離れた里山で過ごすようになり、まさにそのとおり、自身はたいへんと言いながら、東京にいる時より生き生きと元気で過ごしている。

 大家族では、忙しいと嫁姑問題も少なくなり、つらいときは、あうんの呼吸で家族全員が協力し合う。若夫婦が勤めで日中いないときは、子供たちと一緒に田んぼに出たり、地元の料理をつくったり、伝統の祭や神楽や歌舞伎の文化を伝授したり。子供たちも小さい時から、それらを自然と身につける。

 里山には広い土地があり、平屋の一つ屋根の下、大家族で暮らすことができる。

 ちなみに、十年前、全国で三世代世帯の割合が最も多い市町村は山形県鮭川村で、全世帯の43%だった。

 それをよくない慣習からと言う人も中にはいるが、鮭川村で会った働き盛りの男性は、「ここでは大家族が多いのは当たり前。それが楽しいし有効なのだと思う」と語った。

 少子高齢化などの問題が叫ばれる昨今であるが、元気なおじいさん、おばあさんが多く、子供たちに知恵と文化を伝えている…それが幸せな地域の情景だと思う。

 コロナにより、東京を離れ里山へ移住を希望する人が増えているという。リモートでの仕事が可能となり、それならば密でない自然に囲まれた環境で生活をしたいと考える人はこれから少しずつ増えるだろう。先が見通しずらい時代だからこそ、家族や地域との絆があらためて重要となってくる。

 幸せな地域の情景に憧れ、それを地域とともに描くことができれば、夢があり素敵なことだと思う。

 

「空家バンク全国交流協会」

晩夏の夜話し

2020.10.10

秋山郷山房もっきりや・長谷川 好文

 暑い夏の頃に友人がやって来て、長く逗留した。彼は夏を引きつれて来た。その夏に私は当たってしまった。

 「だからさ、どこか良いところを探して、夏の間は引っ込むのだよ」

 「涼しい、ここに来ているじゃないか」

 「でも、つまらなくないかい?面白みがない」

 「どこに行ったって同じだろう、直ぐに飽きる」

 「だから、海とか高原とか温泉が近くにあって、こう清々しくて何処かにありそうだがな…」   

 「君、金はあるのかい」

 「金があれば何でも出来る、それじゃ面白くない。だから知恵を絞ってるんじゃないか」

 「そりゃちょっと俺たちは十分な年寄りだしな。映画のようには行きゃしないさ。この辺りではどんどん人口が減って、空き家が増えて行くばかりなんだゼ…」

 「東京の世田谷だって空き家は増えているんだよ。どうなってるのかね、今時の奴ら」

 彼の話す、温泉やら海の見えるところでの暮らしは、きっと残りの人生の中で記憶に残るものになるなと頭の遠いところで感じた。

 「でも君は酒も飲まないのだし、どこにいたってテレビを見ているだけじゃ、同じじゃないの」彼はお茶をすすって…

 「それが違うんだよ。例えば散歩に出る、他人とすれ違う。小さく挨拶をする。そんなことが嬉しいじゃないか、街じゃそうはいかない」

 「そんなものかい」

 「いや、分かりゃしないけれど、そう来なくっちゃ面白くない」

 外に出て、帰って来た彼は、何かを思いついたように身を乗り出した。

 「俺は思うんだよ。地方の自治体がさ、空き家を管理して貸し出すんだよ。するとだな、1年は海辺で暮らし、次の年は雪国を体験したりしてさ、現代人の新たな老後の過ごし方を作るんだよ。暮らし方革命だな、地方の役人に、そんなことを企画する人間がいるかね」

 「いや、いないだろう。思ったとしても動けないだろう」

 「そうだろうな、どこかの企業がやりそうなことだし、うっかり乗ったら奴らの算盤の餌食だ。直ぐに金が底をつくしな。でも面白いのにな〜、俺たちはローンも終わっているし、そこそこに余裕もある。子は、出来は悪いが自立もしてるのだし…」

 「それはそうだ、だから通販で膝だ腰だと要らんものを売りさばくのだ。効きもしないものまで。それなら空き家バンク全国交流協会でも作る方が面白いな。今度、偉い人に耳打ちでもするか」

 「おいおい、そりゃ止めた方が良いよ。君はお茶を渡されてする会議には向いていないだろう、そうじゃないかい」

 「ごもっともだ!」

 話はここまでだろうと沈黙が訪れて、一杯飲んで二人して少し笑った。

多くの被害と犠牲、やっと方向転換か

皆で参加、河川防災

2020.10.3

清津川に清流を取り戻す会・藤ノ木信子

 日本は地震・台風・火山と災害の多い国で、国民は建物も田畑も被災するたびに努力して復興することを求められる。菅氏は総裁選の時「国の基本は自助・共助・公助」と言って総理大臣になった。いやいや、災害は自助や共助で乗り越えられないよ、国が命や暮らしを守る行政をしないと…次の世代には安泰な世をと思えど私的には「ダメだな…政治家も官僚も大企業も税金を食い尽くすイナゴの群れみたいで、この国の民主主義はかなりマズイな…」と諦めが混じっていた。

 そんな中、以前いろいろ教えて頂いた河川行政に詳しい弁護士の西島和さんが「日本の堤防はなぜ決壊してしまうのか」という本を出されたので読んでみた。治水には溜める対策(ダム)と流す対策(堤防強化)があり、お金は無限にないので優先順位をつけることが必要。ダムの効果は限定的で費用は莫大。一方で日本の堤防はほとんどが土饅頭で脆弱なため、洪水時に溢れた水が堤防の外面を削って決壊する。溢れる場所はある程度予測できるので、溢れても決壊しないようにその部分を強化することが必要で比較的安価。

 しかし、局面に応じて研究実施されていた堤防強化は何故か2002年に研究自体が消されてしまった。堤防強化するとダムを建設する理由がなくなるからである。この頃から命を守るという目標よりダム優先の河川行政となり、国民の権利が排除されパブリックコメントもヒアリングも形骸化されて「お願い」でしかなくなる。

 ここまで読んではっと気付いたのだが、旧中里村が国直轄事業の清津川ダム建設計画に反対し、中止答申が出たのが2002年だった。当時、反対派はダムの効果は下流では極めて小さく、堤防強化が有効だと主張した。私たちが署名を集めたり専門委員会で意見発表したことは小さな力でしかなかったけど、ダム推進派にとっては二度と踏みたくない轍となり、後の河川行政に影響を及ぼしたのではないか。

 あれから15年以上も堤防強化は治水工法から外され、その結果が鬼怒川や肱川での水害ではないか…最近、毎年のように相次ぐ豪雨災害でさすがに国交省の政策が変わり始めた。長野県須坂市の千曲川破堤現場では対越水堤防の工事が進められている。多くの被害と犠牲を払ってやっと方向転換のきざしだ。この本では意思決定の初期段階で権利としての国民参加を認めることで、よりよい決定ができると説いている。そう、この国の民主主義に足りないのは権利だよ。もっとみんなで参加しよう。

「アベ政治継承」はコロナ以上の危機

菅政権スタート

2020.9.26

自由人・斎木 文夫

 9月16日に菅内閣がスタートした。新首相は「安倍政権を継承する」という。安倍政権による「アベ政治」とはなんだったのか。それは、一面から見ると「不祥事と隠蔽」の7年8か月ではなかったか。その不祥事を年表にして、ネットに上げている人たちがいる。一部を抜き出してみる。

 ・2013年9月、五輪招致プレゼンで安倍首相が福島第一原発汚染水について「アンダーコントロール」と発言

 ・同年12月、特定秘密保護法を強行採決

 ・14年10月、小渕経産大臣が違法献金で辞職

 ・同年同月、松島法務大臣が「うちわ問題」で辞職

 ・15年7月、安全保障関連法案を強行採決

 ・16年1月、甘利経済再生大臣が「口利き」疑惑で辞職

 ・17年2月、森友学園問題発覚

 ・同年4月、今村復興担当大臣が辞職

 ・同年5月、加計学園問題発覚

 ・同年7月、稲田防衛大臣が南スーダンPKO日報隠蔽問題で辞職

 ・19年4月、桜田五輪担当大臣が辞職

 ・同年11月、「桜を見る会」問題発覚

 ・20年4月、新型コロナ対応で布マスクを全世帯に2枚配布と表明

 ・同年5月、黒川東京高検検事長が賭けマージャンで辞任

 ・同年同月、持続化給付金事業の「電通」中抜き疑惑

 ・同年6月、河井前法務大臣、案里参院議員の夫妻が逮捕

 紙面の関係で、詳細や他の不祥事について書けないのが残念だ。

 これらは、「安倍一強」体制で、官僚の忖度と与党議員の思考停止が起き、権力のおごりと私物化が形になったのだと思う。

 安倍首相は、不祥事のたびに、「責任は私にある」、「真摯に丁寧に説明する必要がある」と繰り返した。しかし、責任は取らず、説明をしたこともなかった。それで押し切れたのは、野党の力の分散と国民の「忘れっぽさ」のせいだろう。

 菅氏は官房長官としてこれら大小の不祥事の全てに関わり、国民に発表・説明してきた。記者会見では「問題ない」、「その指摘は当たらない」、「あなたに応える必要はない」を連発し、安倍首相同様に国民に寄り添う態度ではなかった。これがまた続くのか。

 菅首相は数々の不祥事について再検証するつもりはないという。「菅氏によるアベ政治継承」はコロナ以上の危機と言わざるを得ない。

語り継ぐ戦争体験、語り継ぐ難しさ

長崎のAさんの体験

2020.9.19

元ゆずり葉編集委員・松崎 房子

 8月9日、仲間入りしている九条の会の、年度総会で閉会の挨拶に立った世話人(Aさん・女性)が、「今日は私にとって大きな意味のある日です」と切り出した。長崎に原爆が投下された日。5年以上付き合っているのに初耳だった。もっとよく聞いてみたいと思ったがその日はそのまま終わった。8月20日、月一の定例学習会にAさんの話を聞く事になり、最年長の私にも体験談を語って、と言われた。聞いてくれる人があることは嬉しい。

 Aさんは長崎出身で原爆投下当時は平戸近くの島に疎開をしていて長崎にはいなかった。昭和18年生まれで3歳位だったのであまり覚えていないと言いつつ、当時の長崎の地形や主要な建物の事など話した。彼女にとって一番強く記憶に残っているのは、著書【長崎の鐘】を残された永井隆博士の事やそのお子さん方の事だった。

 年齢も近いので学校では先輩後輩という関係であったようだ。白血病に侵され余命少ない博士が病気と闘いながら、被爆者を支援し続けた事や近所の人が、小さな住まい「如己堂」を建ててあげたとか…断片的だった。最後はもっとよく聞いておけばよかったと締め括った。

 次は私の番で、昭和15年生まれの5歳の時に敗戦だったこと。3歳の秋口から4歳夏まで満州に行っていた事があり、19年春先に父の部隊はどこかへ転戦した。戦後2年近くたって沖縄で戦死したと知らされた。役所へ遺骨を受け取りに行ったが、その中には石ころしか入っていなかった事、かろうじて記憶に残っていることを語った。

 当時の満州ではハルピンやら長春に行っていた人は多いが私共が行っていたのは、ハイラルといいモンゴルに近い程奥地だった。父が転戦前に手配をしてくれた船で19年8月に何とか帰国出来たが、そのあとでは残留孤児になっていただろう。戦後の暮らしも戦中以上に苦しかった事は省略した。

 聞き手は戦後派とはいえ60代後半の人たちだ。

 結婚後、十日町へ転居し、十日町公民館で太平洋戦争の講座に参加し、後学習を続ける若者たちの仲間に入れてもらった事。その仲間と沖縄戦跡巡りをしたことや、その後ミニコミ誌活動で戦争体験をまとめた事等々話した。

 戦争当時の話は母に折に触れて聞いたつもりだが、話したくない時期の方が長かった。私も聞いてはいけないような気がしていた。語り継ぐのも困難がある。

小中一貫・中高一貫・特別支援・小中高、多彩な妻有に

津南中等教育学校を考える

2020.9.12

会社員・村山 朗

 先週の本紙1面で取り上げられ、卒業生の寄稿も掲載された県立津南中等教育学校の閉校問題、ここ3年は募集定員の半分しか志願者が集まらず、募集停止との県教委の決定がなされました。(すぐに覆されましたが)春先には難関校に複数の在校生が合格し「ほーっ、津南中等もやるなぁ」と思った矢先でしたので何故だ!と思いました。

学校教育の目的が難関校に入学させることではないのは重々承知ですが、意欲溢れる地元の子どもたちの進学先を減らすのは本当に勿体ないことです。 

 子どもたちの意欲はもちろんのこと、それに応える教職員の皆さんの努力も並々ならぬものがあるのでしょう。本紙の報道によれば定員割れは5年前から続いていたようですが、入学する子供たちの約8割は妻有地域からです。十日町市は小中一貫教育を推進していて、その影響が出ているのではないかとの見立てもなされていました。筆者は津南町民ではありませんが、津南中等の英語教育を重視する教育方針には共感を覚えます。全くの私見でありますが、津南中等を閉校した場合の県の経済的な利点はどこにあるのでしょうか。

県内の公立学校の教職員は、政令指定都市の新潟市立の学校を除いてすべて県の費用で賄われています(学校の管理運営は各自治体)。つまり県立の津南中等を閉校して県が得られる経済的な利点は、たぶん建物の管理費用と管理職教員の人件費でしょう。仮に津南中等の生徒が地元の中学校や高校に通うにしても、その人数分の教職員の経費はかかります。

 教員異動の新聞報道を見ても、市立学校と県立学校の相互異動は普通に行われています。十日町市の小・中学校も統合が進められているようですが、かなり小規模な学校も存在します。妻有地域の子どもたちに、小中一貫校、中高一貫校、特別支援校、従来型の小・中・高校など選択肢があるということは素晴らしいことです。

 津南中等の生徒の半分くらいは十日町市から通っているのですから、十日町市も市の方針から外れるから駄目だ、などとは言わずに、本気で存続に力を入れてもらいたいと思います。

少子化で仕方がないと紋切り型の理由で切り捨てるのではなく、少子化だからこそ、子どもたちの適性に合わせ複線化した教育に力を入れ、一人ひとりの能力を引き出す必要があるのではないでしょうか。同様の立場にある佐渡中等教育学校は、今春募集定員が半分の40人に減りました。地元の知恵と熱意が試されています。

AI通報、経験豊富な人の判断も

9月の嵐に備えて

2020.9.5

経済地理学博士・清水 裕理

 9月となり、少し暑さが和らぐ日がでてきました。しかし、これから、特に9月のお彼岸の頃、夏の疲れがたまり、同時に冬に向けて体調が変化するため、用心しなくてはなりません。今年は未経験のコロナ禍における緊張も続いています。

 さらに、9月となり、安倍首相の辞任で、政局に嵐がやってきました。本当の嵐、台風も既に日本列島に接近しており、大きな被害にならなければと、心配されています。

そのため、年々、危機管理の重要性が叫ばれるようになりました。避難指示が出たら、或いは避難指示が出る前でも〝適切な判断と行動を〟ということだと思います。

避難指示が出されるタイミングは、以前より早まっているように感じます。何かあってからでは遅い、予測できないこともあると、早めに避難指示が出される傾向にあるのだと思います。

 さらに、最近は、避難指示などの判断をくだすのが、人から機械に置きかわってきています。それにより、どのような変化が起きるでしょうか。 例えば、今までは、実際に人が河川の近くに行き、状況を確認していました。洪水の恐れがある時など、危険な状況を目の前にすることもあったと思います。

 それがカメラやセンサーやAIなどの機械に置きかわると(全国全ての現場で置きかわるのは時間がかかりますが)、確認に行く際の危険は減るものの、経験豊富だった人のその場での判断を機械が上回ることは、専門家に聞いたところ、まだ難しい点があるとのことでした。

 機械においては、確実性を担保するため、避難指示などを出す基準の範囲が広めに設定されることが考えられます。

 近年、災害につながる自然現象の数が増え、それも観測史上最大級といったニュースが続いています。警戒を怠たならない心構えが求められ、そして、前述のように、早めに情報が伝えられ、機械の影響もあり、災害情報に接する頻度が高まるでしょう。

 スマートフォンの通知機能を使っていれば、通知が朝も昼も夜も、食事中や仕事中も、日常当たり前にやってくるようになるかもしれません。

 そもそも、災害がなぜこれ程に増えているのかという問題がありますが、今を生きる私たちは、これが世界的に起きていることを把握しつつ、正しい判断・対応を行っていくことが、より重要になってきていると思います。

妻有新聞タイトル2-1.png

株式会社 妻有新聞社

津南支局  〒949-8201新潟県津南町下船渡丁2461-2 TEL.025-765-2215 FAX.025-765-5106

十日町支局 〒948-0051新潟県十日町市千歳町2-3-5 サンタクリエイトビル2F TEL.025-755-5227