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オピニオン

(2020年12月26日号は休載)

「核のゴミ」処分の手続きについて」

村山氏の質問に答える

 先々週(12月5日号)本欄、村山氏の「11月21日号の本紙に、文献調査に応じれば歯止めがきかずそのまま最終処分地になる法律の仕組みになっている、とあった。その根拠を教えてもらいたい」にお答えします。

 その記事は「核のゴミ講演会」の報告記事でしょう。講演会主催団体を代表してお答えします。

 まず、経緯を簡単に。

 国は、原発の使用済み核燃料再処理過程で出たゴミを地下深くに埋め捨てる方針で、適地を探しています。場所の選定には、文献調査、概要調査、精密調査の3段階の調査が必要です。このほど北海道の2町村がその文献調査受入れを決めました。受入れると最大20億円の交付金がもらえます。

 報道によると、2町村長とも「概要調査には進まない」と言ったようです。講師はそれについて、「文献調査を受けたら、次の調査、またその次の調査に進まざるを得ない」旨、話しました。

 「特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律」第6条第1項に「機構は、概要調査地区を選定しようとするときは、(中略)文献その他の資料による調査(次項において「文献調査」という。)を行わなければならない」とあり、第2項に「機構は、(中略)文献調査を行ったときは、(中略)当該文献調査の対象となった地区(中略)のうち(中略)適合していると認めるものの中から概要調査地区を選定しなければならない」とあります。

 「機構」とは原子力発電環境整備機構で、核のゴミの最終処分計画を作成するなどの目的で作られた法人。以下、第7条(精密調査地域の選定)、第8条(最終処分施設建設地の選定)でも同様の文言になっています。

 要するに、機構は、文献調査地区から概要調査地区を、概要調査地区から精密調査地区を、精密調査地区から最終処分施設建設地を選定する義務を負っています。それで講師は、自治体から「次に進まない」と言えないと話したのです。

 ただ、文献調査が複数の場所で行われた場合、絞り込み段階でほかに適地があれば、知事や市町村長が「次に進まない」という自治体を外す可能性はあります。講師も、その部分の説明が不十分だったと詫びています。

 また、「特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律」第4条第5項に「経済産業大臣は、(中略)概要調査地区等の所在地を定めようとするときは、(中略)都道府県知事及び市町村長の意見を聴き、これを十分に尊重してしなければならない。」とあります。経産省や機構のパンフレットには「地域の意見を聞き、反対の場合は次に進まない。」とあり、経産相は9月8日の記者会見でそのことを明言しました。

さらに講演会後になりますが、北海道知事の申し入れに対して、経産相は文書で「知事や当該市町村長が反対であれば選定プロセスから外れる」と回答しました。

 第4条の「尊重」の意味するところ、経産相発言の評価については見解が分かれるかもしれません。私は、ほかに適地がなければ、第6条以降の「選定しなければならない」の方が強いように思います。そのための交付金ではないでしょうか。

 

「覚悟のほど」、再度考えねばなるまい

田部井淳子さんの言葉

元ゆずり葉編集委員・松崎 房子

 前回投稿以来、殊の外『覚悟のほど』という言葉に触れたり考えたりした。今でもすらすらと歌える古関メロディーにひかれて、何年ぶりかで朝ドラを見ていた。そのあと始まったドラマも、神戸育ちの私には忘れ得ぬ人「浪花千栄子」がモデルという。今は少女時代を演じる目を見張るほどの子役が、素晴らしい演技で圧倒している。貧しい育ちで自立していく過程が強烈な印象を与える。 

 覚悟をもって日々を生きていく姿に、果たして私は覚悟をもって生きた事があったかと問われている気がしている。

 戦火を逃げ回った時に、いくつかある防空壕に祖父と逃げ込んだが、母や祖母とは違う壕に入ったみたいで、母や祖母とは生き別れたと、覚悟をした。空襲警報が解除されてみれば事なきを得て、無事母たちの元に戻れたのだが、あれが私の覚悟の初めだったか。

 そのあと結婚する年齢になったが時、祖父母や母を養わねばならない身では結婚はできないと覚悟を決めた。それも奇特な人に会えて、人並みに結婚もし、3人の子どもにも恵まれた。そんな覚悟とは言えない決心しか、して来なかったのを顧みて、どこまでも甘いなーと赤面する。

 そんな時、ラジオで田部井淳子さんの事を聞く機会が何度かあった。先日のラジオはご子息のお話だった。子どもの時のお母さんは、特に厳しく話しておられた事があったそうだ。誰が出かけるときも必ず見送れと固く言われた。どんな様子で、そんな服装で出かけたかを見送れとの事だった。女性で初めてエベレスト登頂を果たした人の言葉は説得力が尋常ではない。 

 もう一つはトイレットペーパーが無くなった時に、放置してはいけない。必ず後の人のために準備をしておきなさいと、それはそれは厳しく叱られたとか。そんな事は自分でなくても誰かがやればいいと反論したが、その準備の甘さがとんでもないことを招くと、もっと叱られたとか。一歩一歩・一秒一秒に命をかけて事を為す人の覚悟なのだろう。

 最近はコロナ騒動が再燃して、医療崩壊が目前だと報道が危機感を伝えている。ひとたび家を出たら無事帰る保証などない戦時中ではないのに、それも覚悟をしておけということか。

 せっかく弾の飛んで来ない時代をやっと手にした筈なのに、ウイルスという目に見えない敵に怯える時代が来るとは。覚悟のほどを再度考えねばなるまい。しかし覚悟だけでは乗り切れそうもないウイルスは不気味だ。

 

放射性廃棄物にほっかむりはできない

文献調査に応じた二つの自治体

会社員・村山 朗

 先月のこの欄でも紹介されていましたが、北海道で目を見張るニュースがありました。二つの自治体が高レベル放射性廃棄物の最終処分場の文献調査に応じたのです。 

 2007年に初めて高知県東洋町がこの調査に立候補を表明しましたが、地元の反対で撤回したことがありました。国が2017年に候補地を記した「科学的特性マップ」を公表後、初の応募です。筆者は、原子力発電はないほうがいいと思っています。さりとて1966年に我が国で原子力発電が始まって以来、半世紀の間にたまりにたまった廃棄物処理の問題は自前で解決するべきだと考えます。

 日本が締結している国際条約「使用済燃料管理及び放射性廃棄物管理の安全に関する条約」には、原則発生した国で処分されるべき旨が規定されているそうです。かつて我が国の電力需要が増大し、火力発電の割合が多くなる中、石油資源はあと数十年で枯渇するので石油を燃やす代わりに原子力で発電する、と習ったと記憶があります。

1970年代の二度のオイルショックで原油が高騰し、原子力発電の比重はさらに増しました。一方で石油資源の採掘技術が進み、油田は世界各地で開発され、今や石油資源枯渇の話はほとんど聞かれなくなりました。 

 東日本大震災後、原子力発電所がほぼ稼働を停止した今、我が国の発電に必要な燃料はほぼ輸入に頼っています。たまたまこのところ輸入原油の殆どを頼っている中近東に大きな紛争が起きず、原油の輸入が断たれるという悪夢のような出来事は起きていませんが、いずれにしろ脆弱な基盤の上に我が国のエネルギー供給体制が成り立っていることには間違いがありません。

 いずれ原子力発電ではなく再生可能エネルギーで電気を賄える日は来るでしょう。しかし廃棄物処分はエネルギー政策の欠かせない一環です。これまでの廃棄物にほっかむりすることはできません。先々週の本紙に、この文献調査に応じれば、歯止めがきかずそのまま最終処分地になる法律の仕組みになっている、とありました。

 もし、本当にそうなら具体的な根拠を是非お教えいただきたいと思います。かつて特定秘密保護法が成立すると、集まって噂話をするだけで拘束されると訴えた方たちがいました。そうなったでしょうか?金目当てと揶揄する向きもありますが、自分たちの住む自治体がどうやったら消滅しないで済むかを真剣に考え、その逆になる可能性もある政策を選択した首長達の決断は重要な第一歩だと思います。

 

人命と経済的プラス、考え方転換必要

ウィズコロナ時代

経済地理学博士・清水 裕理

 ニューノーマル時代という言葉を最近よく聞く。意味としては、新しい(ニュー)常態(ノーマル)ということだそうだ。

 さらに、サステナブル(持続可能性)やSDGs(持続可能な開発目標)という言葉も、よく耳にするようになった。

 どちらの言葉も、具体的なことを尋ねられても正確に答えられる人はいないように思う。言葉の概念は大事だが、まだよく分からないので、これから考えていくのかと漠然と捉えていた。

 しかし、ウィズコロナとなってから、これらの言葉の持つ意味あいが、前より重く感じられるようになった。

 冬の到来を前に、コロナ第三波の拡大が不安視され、人命優先か経済優先かの議論が再燃している。

 議論の結論を言うならば、人命も経済もどちらも両立する道を見つけなければ、将来的にうまくいかないということなのだろう。

 それが可能となるニューノーマルな時代を我々はこれから築いていけるのか問われている。

難しい局面を一つ一つ乗り越えなければならないのだと思うが、例えば、いまGO TOトラベルの運用見直しについて対応が分かれている。

 この紙面が出る頃にまた違う動きがあるかもしれないが、札幌市と大阪市は一時停止が決まり、東京は現時点ではそれを見送った。

 テレビ等の報道や会見を見る限りでは、小池東京都知事は、できればGO TOトラベルの一時停止を東京でも直ちにしたいが、簡単に出来る状況にないという様子に映った。

 北海道と大阪の首長に判断力があり、東京の首長に判断力がないといった単純な話でもないような感じを受けた。

 東京は、都市の規模が他に比べてかなり大きく、経済への影響が大きすぎる(コロナ感染の影響も大きいのだが)ため、身動きが取りにくい状況にあるのだろうか。そうだとしたら、規模の大きさは、経済的にはプラスという考え方があったものが、人命との両立においては難しい状況をつくり出しており、持続性の観点からは、今後も難しい局面が続く可能性がある。考え方の転換が必要になってくるかもしれない。

 目の前は、医師会が医療崩壊の危機感を訴える緊急事態で、現場と施策が一体となり、不安の少ない時代をいかに築いていくことができるか、大きく試されている。

 
 

『月桃』のようなカンフル剤を心の奥深く

病気と薬

秋山郷山房もっきりや・長谷川 好文

 山に3回雪が降って、ここにも2日続けて雪が来た。カレンダーは11月11日を廻っていた。やることが沢山あり、その一つひとつを天気を見ながらやるのだが予定通りには出来やしない。重機を津南に下げたり、飯米や冬季の食糧や燃料をしまい込みたいのだが天気ばかりは思い通りにならない。冬の準備も大変だと感じる歳になった。毎年のインフルエンザのようなものである。

 そんな大忙しの頃、兵庫からお客さんがやって来て仕事が止まった。

 お客は癌を持っていてここ数年闘病を続けている。力が入らないと言いつつも私には元気そうに見えた。医者は「良くはない!」と言ったという。

 昨年は投薬療法で頭髪が抜け、ウィッグを幾つも買ったという。その一つを私の頭に載せ「似合うわ」と云うのだ。冬になると寒い私の頭用にもらうかと思うのだが、お互いにゲラゲラと笑うだけしか出来なかった。

 病と医師と薬は日々暮らす人間にとって切っても切れない関係を持っている。生きるということは病を生きるということでもある。今年のコロナ禍を見ても人間は病と共存していることを学んだのだ。外国でワクチン開発が進んでいるという。だが、それだけで全てなかったかのように人は暮らせるのかと頭をひねる。

コロナにしても癌にしても、人間に係わる病は心臓や脳や歯痛や指の棘まで、いつもついて回るものであるのだろう。

 兵庫の彼女はこう言った。「病気は病気として、残りの時間を病院ではなく、長い間思い描いていたことに向けて過ごそうと…」。女性らしい感性で『お茶の店』を開いた。病が教えてくれたということだと。店の名は「月桃」(げっとう)と名付けた。

 そうなのだと気が付いたとき、病や医師や薬だけではない人間の本来の力が加わらなければ、人は病を越えられない。自己の中にある薬をカンフル剤とするのだと…。私にはまだ立派な病名の病はないけれど、この冬へ向かう時期に怪我だとか事故が一番の重い病になるだろうと気が付いている。だとすれば平時、なんでもないような顔をして暮らしていたとしても、私の場合は病=死ととらえて、何もない今だからこそ『月桃』のようなカンフル剤をこころの奥深くに打ち込まなければならないだろう。

 面白きこと、やるべきことを掘り起こして向かっていれば元気になれるだろうし、やって来た「老い」とも付き合って行けるように思うのだ。それが私の人生の薬なのだと考えることにした。

 

「田舎には田舎の静かな光がある」

山尾三省の詩

清津川に清流を取り戻す会・藤ノ木信子

 春の頃のスティホームや一斉休校、リモートワークなどのコロナ自粛はいったい何だったんだろうというほど、秋の観光施設は賑わって、ベビーカーのちびっ子から杖をつく高齢者まで密になっている。この国の政策、大丈夫? と換気や消毒に毎日忙しい。

 国が補助する1枚千円の地域共通クーポン券はお釣りが出ないので、ツアー客は買い物ゲームのように丁度千円にしようと頭を使う。電子クーポンはデジタル化を推進する国なのに使い勝手が悪く、QRコードがスキャンできないことも多く利用者はスマホを手に奮闘している。全国でコロナ感染者数がじわっと増えて地方に拡がっている。第3波はGoTo効果か?…ああ、でも文句言えないよ、うちもGoToに巻き込まれてクーポン券の恩恵受けている家業だし。 

 しかしコロナで雇い止めになったり、失業した人達はこんな政策で助かるのだろうか、本当に困っている人にお金が回らないといけないのに… GoToトラベルを使って旅行に出られるのは、お金と時間に余裕のある人だけだよねと、毎日悶々としながら仕事に追われている。

 Withコロナで経済を回すと言う建前の後ろには大きな勘違いが隠れている。経済を重視し過ぎると大事なことを見失う。GoToキャンペーンを企画した政策担当には、防疫対策を国民まかせにして、目先の損得で釣って命や暮らしを蔑ろにするなと言いたい。私もGoTo騒ぎにまんまと乗せられている一人だから、自分への警鐘として次の二つの言葉を載せておく。

 一つ目は「自分が生きた証を残したい」という意見に、仏門に帰依する人が答えたものだ。「雪かきは残りません。明日にも雪が降れば元通り、春になればリセットです。でもやらないと道は通れず家は潰れます。大事な仕事ですね。それに、家も道も千年後は多分ない」。そう、この価値観は大切だ。

 損得でなく、名前を残すこともない仕事を広く評価すること。でもその評価も千年後には形がない。雪かきのように、経済視点で見ると意味がなく生きた証も残らないことも、「やる」ことに意味があり、命や暮らしを繋ぐために大事なことだ。

 もう一つは詩人山尾三省の詩で、まるで GoToキャンペーンの浮かれ騒ぎを戒めるような冷静な言葉だ。「田舎には田舎の静かな光がある。権力を望まず経済力を望まず知力さえも望まず、ただいのちのままに日々しっかりと努力によって暮らしている人達の静かな光がある」…国がどんなに浮かれても見失うことなかれ、この地の静かな光。

 

「立候補」の2町村、核のゴミ問題も

原発再稼働問題を探る

 新政権が「脱炭素」を言い出した。原発の新設も考えているのだろう。

 10月30日、原子力規制委員会は東京電力・柏崎刈羽原発の保安規定を認可した。これで同原発7号機の再稼働に必要な3つの審査が全て終了。今後は安全対策工事、事業者検査が順調に進めば、技術的には来年4月に再稼働が可能となる。

 こんなにトントン拍子に行っていいのだろうか。そもそも東電に、福島第1原発事故を起こした当事者としての自覚や反省があるとは思えない。

 残るは、再稼働に必須とされる、東電と安全協定を結ぶ柏崎市、刈羽村、県の事前同意である。

県は、東電福島第1原発事故の「三つの検証」をまとめる県の「三つの検証委員会」および検証総括委員会の議論がまとめるまで再稼働の議論はしないと言ってきた。

 10月27日、検証総括委員会の池内了委員長のインタビューが『朝日新聞』に載った。池内委員長はインタビューの中で、報告書について、「住民の意見を無視して結論を急ぐのは良くない」と述べ、取りまとめ前にタウンミーティングなど県民の声を反映させる場が必要との認識を明らかにしている。もっともなことであろう。

 もう1つ、周辺自治体の動きにも注目。事前同意を、立地する柏崎市と刈羽村だけでなく、30㌔圏内に広げることをめざす地元議員らの研究会が8月30日に設立された。茨城県の原電東海第2原発と周辺自治体が結んでいる安全協定と同じようなルールづくりをめざす。原発がらみでは、10月初めに北海道の2町村が核のゴミを埋める最終処分地に選んでほしいと「立候補」した。

 高知県東洋町の町を二分する騒動以来、受け入れ表明はなかっただけに、北海道の話で済ますことができないように思える。

 2町村はどうしてこのような選択をしたのか。

核のゴミを地下に埋め捨てる「地層処分」は地震が多い日本で可能か。地層処分地の適否を色分けしたという「科学的特性マップ」とは何か。

 「今、知りたい」人のために基礎から学ぶ学習会を用意しました。ぜひおいでください。

 ▼「核のゴミ」の地層処分を考える学習講演会

〜「科学的特性マップ」の問題点〜▽11月15日(日)午後2時〜▽十日町情報館▽講師・大野隆一郎氏(元高校教師)▽定員90人▽参加費500円▽マスク必ず着用▽主催は十日町・津南地域自治研究所(齋木文夫代表)