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雪国妻有今昔物語

シリーズ連載

八角形の「わく・ころがし」。この間隔により、苗を植える間隔が決まる。貴重な農具であるが、今はインテリアに使われている。

「わく・ころがし」

奥越後風土記、中丸幸太郎氏撮影、昭和50年6月、津南町で

 田植えシーズン真っ盛り。この田植え用具の名称をご存知の方は、一定の年代以上だろう。機械化農業が進む「AI農業世代」の人たちは、何に使うのかも、分からないかもしれない。だが、この写真は明らかに田んぼであり、その用途は「田植え用具」であることが分かる。

 「それにしても先人たちは、よく考えたものだ。いったいいつ頃からあったのだろう」。先人を思いやる農業の大先輩、70代、80代は、この用具にお世話になった。

 横から見ると八角形。それを等間隔の木組みで仕上げている。この間隔が大事。名称は『ころがし』や『わく』などと呼ばれていたようだが、地域によってその呼び名は違う。この木組みの間隔が狭い「ころがし」と広い「ころがし」がある。広いものは「尺」とも呼ばれ、間隔が尺、つまり30㌢ほどもある。木組みが交わる場所が苗を植える場所になる。

 使い方は、名称の通り田植え前の田に転がす。すると田にころがしの跡がつき、その跡に手植えしていく。田植え用具は、この他にジャンボ熊手のようなもので、田んぼに線を引くものもあるが、このころがしは田植え用具の代表といえる。

 80代の経験者は話す。「ころがしは、だいたい男衆の仕事だったな。うまく転がさないと、植える苗も曲がってしまう。年季を積むとまっすぐに転がせるんだな」。曲がると、田植えの女衆から笑われたという。

 いま、ころがしは、貴重なインテリアになっている。中に電灯を入れ、表を障子紙で張ると、アンティーク調の灯りに変身する。それだけに貴重な民具になっている。

(2020年5月23日号掲載)

中央の屋根型の石祠の中に1メートル余の自然石を祀っている

鉢の石仏

昭和40年7月、十日町市鉢で  ​写真・文 駒形覐

 十日町市の鉢集落から西へ数百㍍ほどの山の手に、杉や松の古木に囲まれた「石仏(いしぼとけ)」と呼ばれている霊地がある。『中魚沼郡誌』にも「假山あり、池あり、一山蘚苔滑にして、奇石點々其の間に碁布す、蝉噪ぎて林逾静に、鳥鳴きて山更に霊なりの慨あり」と記されている。

 境内には十三仏、十六羅漢、鬼子母神など200基ほどの石塔類が立っており、なかでも珍らしい「百庚申」の塔群が見られる。境内の中心に本尊の石仏がある。牛がねそべったような胴体の上に、1㍍ほどの烏帽子(えぼし)型の突起部のある自然石。言伝えによれば、ある高僧が座禅を組んだまま石仏になったのだと言われているが、高僧の名は分らない。

 今から260年ほど前のこと、明屋有照(みょうおくゆうしょう)禅師がこの地を通りがかると天空から月のように光り輝く「天灯」が降りてきた。その場所をたずねると不思議な形をした石塔があり、村人からお坊さんが座禅したまま石になったのだと聞いた禅師は、「天に神あり、地に仏あり、この地こそ仏法を興すべき霊地」だとして、この石を石仏と名付け、その傍らに庵を結んで生涯をこの地で仏に仕えたという。

 この石仏は史跡として、十日町市の文化財に指定されている。

 ところで、いつの頃からか、この石仏の粉は万病に効くとか、身に付けておけば戦場でタマ除けになるといわれ、また祈願すればお産は軽くなり、縁結びにつながるなどと信じられ、霊験あらたかな石仏として信仰が広まった。ついては昨今蔓延している新型コロナウイルス感染を、何とかしてほしいと石仏にお願いしたくなるのである。

(2020年5月16日号掲載)

子熊を保護

1985年(昭和60年4月)本紙撮影

 哺乳ビンを両手(両前足)で抱えてミルクを飲む2頭の子熊の姿。これは動物園のスナップではない。1985年・昭和60年4月、まだ残雪が多い秋山郷の温泉旅館が保護したツキノワグマの子熊。当時の本紙は『いたずらばかりしますが、ほんとにかわいいですね』と、親代わりで育てている温泉宿・川津屋の主人、吉野徹さんの談話を載せている。

 秋山郷の「春熊狩り」はマタギ文化に通じる伝統の狩猟。この年の春、地元の漁師が熊を捕獲したところ、それは母熊で生後2ヵ月ほどの赤ちゃん熊がいることが捕獲後に分かった。猟師は以前、子熊を一時的に預かったことがある温泉宿・川津屋に連絡。吉野さんは山に返すまでの短期間ならと引き受けた。体長40㌢ほどでクリクリ目の赤ちゃん熊はふさふさ毛でぬいぐるみのよう。首の下にはくっきりと白い「月の輪」。その世話は一日に5、6回、100㏄のミルクを与える。哺乳ビンを抱えて飲む姿がかわいく評判になり、話が巷間に伝わり、本紙の取材となった。

 写真は、少し成長した子熊で、後ろ足で立ち、両前足でしっかりと哺乳ビンを抱え、2頭で仲良く飲む姿が、これまたかわいい。この子熊たち、結局、人に育てられた関係で野生復帰は難しいと判断され、この後、群馬の宝川温泉の旅館に引き取られ、『熊と一緒に露天風呂に入られる宿』として有名になった。親代わりで育てた吉野さん。「本当に子熊はかわいいです。でも本来は山で暮らす動物です。うまく共存できるといいですね」と取材に答えていた。

(2020年5月9日号掲載)

秋山郷・川津屋に保護され​哺乳瓶でミルクを飲む2頭の子熊

かつては赤飯や煮物、野菜などの差し入れだったが、今はお酒

牛腸という建築儀礼

1994年(平成6年)8月、旧中里村で 写真・文 駒形覐

 「牛腸(ごちょう)という名字の由来は?」と、時々尋ねられることがある。わが町(五泉市村松)にも、地域的なまとまりはないが13軒ほど牛腸姓の家がある。妻有地方では1軒だけみたいだ。

 以前、本欄の「妻有の建築儀礼」のところでも述べたが、かつては新しく家を建てるとき、何かにつけてマキ(本・分家の同族集団、妻有地方ではヤゴモリとも言っている)や親戚、近隣やムラ内の人たちから援助、協力をもらった。そして普請過程の節々で、造作が無事順調に進むように願いと祝いを込めて建築儀礼を行っているが、そのとき世話になった人たちを招いている。

 大工小屋が設けられ、「手斧(ちょうな)立て」と呼ばれる普請始めの頃になると、マキや親戚などから「大工さんたちにどうぞ」と赤飯や酒肴、煮物や野菜、それに縄などの差し入れがあり、これを「ごちょう」と言っている。戴いた品々は普請帳に牛腸、あるいは午腸の文字見出しで記帳していた。

 中国では牛の腸がもっとも旨い食材だとして、その料理を牛腸と言ったと聞いたことがあったので、「広辞苑」で確認してみたが、記載されていなかった。牛腸の慣習と言葉は、妻有地方だけではなく、広く県内外でも聞かれるのだが、なぜか辞書には出ていなかった。

 昨今の住宅建築では、一切を工務店に任せているの伝承の建築儀礼の多くは省略されてしまったが、妻有地方では牛腸の仕来りは続いている。ただ、赤飯や酒肴、縄など現物の差し入れはなくなり、いまはお金か酒を届けている。

 それにつけても、どうして牛腸の文字が名字に使われるようになったのか、分からない。

(2020年5月2日号掲載)

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