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​妻有に生きる

シリーズ連載

 

まちなか手芸部の久保田果奈子代表

世代を超えて着物地を

久保田 果奈子さん

 祖父母が着ていたきもの。今は亡き祖父母の姿を思い浮かべながら、きものの糸をほどいていく。きれいな柄を生かし、新たに子どもたちが着る洋服に作り替えていく…。祖父母や父母などから子、孫、曽孫に受け継がれ、生まれ変わるフォーマル衣裳だ。

 「タンスに眠るきものを再び世の中へ」と、着る機会のなくなったきものを生かし、きものリメイクフォーマル衣装を製作。入学式や結婚式用のレンタル衣装を始めたのが『まちなか手芸部』。まるで中学・高校の部活動のような名称だが、その代表を努めているのが久保田果奈子さん(41、高田町)。

 同手芸部は、10年余りの歴史があるきものリメイクファッションショーを通じて「ショーだけで終わったのではもったいない。製作したドレスも増えてきた」と5年前に結成。現在、30代から70代の女性8人が参加し、毎週火曜日に高田町のメンバーの家に集まり、製作に励んでいる。実際にレンタルを始めてまだ2年目。PRもせず口コミだけだが、それでも入学式では6、7組がレンタルした。利用者からは「周りの人から『とってもすてきね。どこで買ったの?』と聞かれました。とってもよかったです」と言った声が届いた。購入希望者には特別価格で頒布している=写真。

 「ファッションに炊けているメンバーがいたことが大きいです。次々にとってもいいアイデアを出してくれるんです」。新型コロナの影響で、今週のきものリメイクファッションショーは中止の可能性も出てきた。「もし中止になったら、自分たちが着て、集う会を開きたいと思っています。いつも裏方だったので、たまには製作現場の人がショーに出ている気分になってみようって」。

 製作現場はまるで『女子会』。「一緒に楽しい時間を過ごしましょう。子育て世代の女性も歓迎します。幼児の遊び場にもなりますよ」。

(2020年6月27日号掲載)

紙粘土人形を作り続けている福崎さん

紙粘土、人形に命ふき込む

福崎 礼子さん(62、おとぎ工房)

 「人形は人のかたち。作り手はもちろん、見る人も何らかの心が映ると思います」。

 紙粘土から生み出される人形2千体。妖精や動物を模した人形から物語や歴史絵巻、野に咲く草花までテーマ別に並ぶ。製作しているのは福崎礼子さん(62・おとぎ工房、十日町市中条上原)。吉澤織物・吉彩館内の『おとぎの国美術館』に展示している。たった一人の女性の手により、人形に命が吹き込まれた。

 福崎さんが紙粘土に巡り合ったのは37年ほど前。結婚後、夫の実家・田麦に暮らしていた時の事。ふと雑誌を開いたページに紙粘土の楽しみ方が載っていた。「これならできるかな」。見よう見まねで始めて見ると、楽しかった。その1、2年後に全国的に紙粘土ブームが起こり、材料も手軽に買えるようになった。誕生した長女の世話をしながら毎日のようにコツコツと製作に励んだ。「2階の部屋でコソッと作っていたんですが、義母が見て喜んでくれたんです。気が楽になりましたね」。数年後には小倉百人一首を完成させた。

 田麦から移ったのは平成11年。高床式の1階に、製作した人形をゴロゴロと置いていたら近所のお母さん方が見つけた。「まあすごい。私にも作り方を教えて」。そんな声が相次いだ。要望を受け、翌12年に紙粘土教室を開設。地域の人たちに教えながら自分でも製作に集中することができた。ほぼ1年をかけて1テーマずつ製作した。

 夫が勤める吉澤織物からショーウインドーに飾る人形を提供してほしい、と声がかかった。「織物会社だから、きものに関係したものがいいだろうな」と、和裁仕立ての自作のきものを着せたり、和紙やビーズなどを駆使して日本むかし話や源氏物語など作っては展示交換しながら並べた。

 作品数も多くなり、13年秋におとぎの国美術館が誕生。同時に紙粘土工芸作家と呼ばれるようになった瞬間だった。同館はファンタジーワールドと銘打ち、優しさとぬくもりあふれる人形たちと紹介された。

 常設展示しているテーマ作品は「源氏物語五十四帖」や「わらべの詩12ヶ月」「世界名作童話シリーズ」「歌舞伎十八選」など十数組。中でも「千体地蔵」は地味だが毎日1体完成を目標にして製作。「当初、百体にしようと思っていたのですが、思いのほか簡単にできたので、次は3百、5百と続き、ここまで来たら千体にしようと。さすがに終盤になったら嫌気がさして来ました」。

 40、50代に比べ、気力、体力ともに落ちてきたと感じているが、それでも次のテーマを『郷土の偉人』(仮称)と決め、県内の豪傑、有名人を探して製作していく予定。その第一弾となったのが、今年の十日町雪まつりに合わせて製作した高さ50㌢余りの上杉謙信だ。「大型人形ですが、焦らず、じっくり作っていきたい」。

 ファンタジーから一段と味のある人形に、人生の流れと共に少しずつ人形の表情も変化しているのかも知れない。

 

 おとぎの国美術館=新型コロナの影響で6月中は休館。7月から再開予定。入館料は一般500円、小中学生300円。開館時間など問合せは吉澤織物℡025-752-4530。

(2020年6月13日号掲載)

1日1体ずつ製作した「千体地蔵」

「うさぎびな」

トキ持つふたり

「ボランティアおばさん」と呼ばれる樋口道子さん

「ボラおばさん」、毎日元気に 

芸術祭やファッションショーも

樋口 道子さん(72、十日町市高田町)

 ある時は「ボランティアおばさん」、ある時は「大地の芸術祭おばさん」と呼ばれるほど様々なシーンで出会う。70歳を超した今でも驚くほどの行動力だ。その原点は大地の芸術祭から始まる。

 「最初の大地の芸術祭は2000年。義父母の介護をしていた時です。こへび隊の一生懸命な姿を見て、手伝いたいって思ったんです。十日町でやっていることなんだから、何かできないかと。批判の声が強かった時で、コソッとサポートを始めたんです」

 2006年に初めて運行されたツアーバスは大人気。こへび隊との交流から不足気味だったガイド役に『抜擢』された。

 「芸術に疎いおばさんのにわかガイド。『何で素人が』などとも言われました。専門のガイドさんはみなさん知識があり、作品の紹介などしますが、私は地元の紹介などが中心。でも返ってその方が受けがよかったようです。今は『うぶすなの家』のスタッフの一員として仲間の皆さんと一緒に頑張っています」

 2004年には中越地震、2011年には東日本大震災、長野県北部地震という大きな震災があった。

 「中越地震の時は、町内の高齢者のためにと自宅で炊き出しをしたんです。とても喜んでもらえ、『ずっと継続してやってもらいたい』などと言われたこともありました。東日本大震災では、NPOひとサポが立ち上がったばかりの時で、共立観光のボランティアバスに乗って宮城・石巻に行きました。3年ほどの間に何回も。現地の人から『このフェンスに何人も引っかかって死んでいたんだ』といった話を聞き、胸が痛みました」

 そんなボラ活動が縁で立ち上げたのが『きものリメイク・ファッションショー』。もう10年以上にもなる。

 「高齢者のファッションショーを開いている団体との交流で、横浜開港150周年記念イベントとして開かれたファッションショーに十日町きものを着て出場したこともあったんです。それがヒントになり、十日町できものリメイク・ファッションショーを開こうと思いました。補助金はなくなりましたが、細々ながらも続けていきたいなと思っています」

 松之山・三省ハウスとの関係で同地区小学生を対象にした通学合宿のスタッフ、さらに中心市街地でこども食堂のスタッフなども行っている。

 「私でよければ、という感じなんです。私でよければやりますよって。大きなことをしようなどという気は全くありませんし、自分でできることしかやれません。でも、自然にやりたいことが次々に出てくるんですよね」

(2020年5月30日号掲載)

三味線を演奏する佐藤さん

歌と踊りの祭典で三味線を披露する三清会のメンバーら

大地を賛美、津軽三味線の魅力を

佐藤 清さん

 地吹雪を思わせるような津軽三味線の音。ある時は雪をもとかす炎のように力強く、人間の悲遇な運命に立ち向かうような音だともいわれる。さらにか細く透き通るような音、風や海、そして大地を賛美する音。津軽三味線の魅力は尽きない。 

 「バンドの仲間に入ってエレキギターを弾いていたんだけど、あの頃、津軽三味線のブームがあったんだ。30歳頃だったろうか、六日町の三味線教室に通ったんだ。それから三味線一筋だな」

 六日町の教室は、いわゆる『東京三味線』。やっぱり津軽がいいと、50歳になってから、青森から先生が来ていた小千谷の教室に通うようになった。

 「津軽三味線の特徴は、バシッバシッと撥(ばち)を皮に叩きつけるように弾いたり、すくったりしながら、その合間に指で押したり、はじいたり。いくら練習しても、これでいいというのはないな」

 35年余りの歴史を刻む十日町市の民謡愛好会・三清会。結成当時から代表を努める。当時、仲間3人で立ち上げたのが会の名の由来。メンバーは現在16人ほどで、大半は70代と高齢化している。

 「練習では、まず姿勢を正しくする。それが第一歩。シャンとして三味線を弾き始める。そこがいいんだ。三味線には細棹(さお)、中棹、太棹があり、それぞれ棹の太さが違う。津軽三味線はもっとも太くて重い太棹を使う。太棹が曲に合っているんだ」

 青森県津軽地方で盲目の旅芸人達が始めた門付け芸。彼らは坊様(ボサマ)と呼ばれ、長くさげすまれた。家々の軒先で三味線を弾き歩き、コメやお金をもらって歩いたとされる。やがて民謡の旅まわり一座などで弾かれるようになり、名人たちの手によってより発展して行く。

 「好きな曲は、やっぱり『津軽じょんがら節』『津軽おはら節』『津軽よされ節』『津軽三下り』そして『あいや節』の津軽五大民謡。ただ歌える人との練習がなかなかできないので、そこが残念なところだ」

 平成13年に長谷川流津軽三味線、4年後の17年に日本民謡協会から三味線で教授の資格を受けている。

 「これで満足、ということはない。師匠から言われた。『自分で弾いて満足するんじゃない。お客を満足させることが一番。評価するのはお客さん。自分よがりではダメだ』。その言葉は忘れられないな」

 越後ごぜに影響を受けたといわれる津軽三味線。時には妖艶な響きを奏で、時には明るく楽しそうに。

 「どれほど続けられるか分からないが、日本の心でもある民謡を手が動く限り続けていきたい」

(2020年5月16日号掲載)

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