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明日へ

シリーズ連載

 

劇団「吟仕込」の根津代表

演劇はモノづくり、楽しさを アマチュア劇団「吟仕込」

新型コロナが影響、舞台できずYouTubeに

 「やっぱり、モノづくりといった感じでしょうね。出演する人も裏方も、みんなでひとつのモノを作っていく。演劇も、そうしたものだと思っています」

 十日町市で活動してるアマチュアの劇団『吟仕込』の代表・根津修さん(48)。十日町市演劇協会の会長も努めている。

 「新型コロナウイルス問題で、いつもなら3月に開いていた演劇まつりは中止せざるを得なかった。年内には舞台発表をしたいですね」

 テレビやラジオなどの媒体では体験できないもの。体験というよりは体感、肌で感じるといったほうがいいのかもしれない。幕が下りて家に帰るまでワクワクやドキドキ感、心地いい混沌とした気持ちになれるのが舞台演劇ならではの魅力。

 「観客から『楽しかったよ』、そう言ってもらえる演劇が一番ですね。とかく難しく解りづらいものを選ぶ演劇人もいますが、私はやはり、見ていて楽しいものがいいです。楽しんでもらいたい」

 演劇との『出会い』は20代前半。十日町市民会館の青年学級・美術コースに参加していた時、劇団御の字の旗揚げ公演で、照明係として参加したことから。

 「スポットライトの係を頼まれたんです。で、上から舞台を見ていると楽しそうだったんですね。それで『俺も出てみたいな』と口を滑らせたら、もうすぐに3回目の公演から舞台に立ったんです」

 劇団吟仕込は、御の字からのれん分けし、8年前に発足。名称は酒好きのメンバーが揃ったことから名付けたという。これまで「ダウト」や「ヨンジュサマ」「コンビニの仕事は奥が深い」など既成作品や創作、既成と創作を合わせたものなど様々な舞台を演出している。

 「私が影響を受けた劇団は演劇集団キャラメルボックス。楽しいながらも感動できる、そこがいい。十日町で開いたワークショップに、その劇団出身者の上川達也さんが来たこともあります」

 魚沼地域の高校で7団体を数えた演劇部も今は十日町高と六日町高の2団体のみ。社会人もかつて演親会や劇団ドタンバ、極楽本舗など6団体を数えたが、今は半減している。

 「舞台を一緒に作ってくれる仲間、そして見てくれる人、そうした人たちが増えてくれることを望むだけです。そんな小さな力になればと、とにかく活動は続けていきたい。盛んになってほしいですね」

 結婚後、苗字は滝沢に変わったが、演劇では根津のまま続けている。

 「根津で通っているからそれでいいかと。新型コロナの影響で舞台はできないけど、録画してユーチューブに上げようかとも考えています。ただ、やっぱり観客の前で演じたいですね」                         (2020年4月18日号掲載)

吟仕込らしいショートコメディでブラックユーモアの要素も入った作品「部長の犬」

4月末の任期終了後も津南で暮らす協力隊の小山さん

「地域の技、これからも学びたい」任期後も津南で

 20年余暮らした東京から津南に地域おこし協力隊として移住し3年余。「田舎暮らしなのですが、もう今は田舎に住んでいる感覚がまったくないんですよ。それだけこの地域に溶け込んだと言うことかも知れませんね」。上段地区担当として今月末で任期満了を迎える小山和美さん(53、北海道・小樽市出身)はそう振り返る。任期中に町民と結婚し、任期終了後も津南暮らしを続ける。

 津南町との出会いは偶然だった。20年余前から東京を拠点にオリエンタルダンス(ベリーダンス)教室を開講。新潟教室もあり、4年前の夏にイベントのため来訪。ただこの時、大規模な音楽イベントがあったため新潟市で宿が取れなかった。「それで湯沢に宿を取ったんです。せっかく来たのだからどこかに寄って行こうと思って。その前の年、実は秋山郷に行こうと思っていたのですが行けなくて、この機会に行ってみようと」。一人でバスに乗り十二峠を越え、秋山郷・のよさの里に宿泊。「海育ちのせいか、山に惹かれるんです。秋山渓谷は目前に山が迫る近さが良かったんです」。

 2泊して湯沢に戻る帰りのバス。これまで漠然と田舎に移住しようと言う考えがあったが、バスの運転手に話しかけられ、地域おこし協力隊の制度を知る。「その運転手が今の旦那です。結婚は赴任後ですが。いろいろこっちのことを教えてくれて」。その後も連絡を取り合うなか津南体験に誘われて行ったのが、現在の担当集落の一つ、相吉。「絵に描いたような田舎の風景がありました。家を見せて貰ったり、お茶飲みしたり。すごく印象に残っています」。未来の旦那の押しもあり、協力隊に申し込んだ。

 20代の頃に青年海外協力隊員で2年間、ヨルダンに赴任。帰国後に本格的にオリエンタルダンスに取り組み、札幌や松本など5教室を開くなど、ちょっとない経歴を持つ。「ただダンスをしながら東京で生活することに先が見えて来てたんです。いつまでもできないとも。将来の視点を変えたいと言う思いが強かったのも移住のきっかけです」。赴任直後は毎日が初めての経験。季節で変わる景色、どんどん知り合いが増え繋がっていく日々。「イヤなことはひとつもありませんでした」。津南暮らしで感じたこと。「小さい集落だと生まれた頃から同じ人に囲まれ育ち、歳を取っていくんだなというのがそれまで経験したことない世界で、ステキだなと。もちろん煩わしい時もあるでしょうが、都会から来た私にとっては魅力に見えました」。

 隊員としては竜神の館を基点に、クラシックな田休みコンサートや贅女唄など企画。合わせて地元住民が講師のアケビの蔓のカゴ作り、自身のつてを活かしたトルコ料理教室など企画。津南町と十日町市でも自身のダンス教室『studio1002』を開いた。「実はこっちに来た時、ダンスは止めようとも思ってたんです。でも、津南に来て逆にモチベーションが上がった。新鮮な気持ちでまたダンスに取り組めるようになって。張りのある生活を津南で取り戻した感じです」。自信の体験から「田舎暮らしでもアートを追求できることを伝えたいですね」。

 いま関心が向いているのは、地元住民が持っている技術。アケビ蔓の編み技術、竹でカゴを作る熟練の技などを習いたいと感じる。「土地にあるもので物を作れるというのはすごい強み。地域の先生方から学びたいことはいっぱいあります。でも作れる方はもう年配。何とか継承していければなと思うし、住民が主人公になるような取り組みを考えてみたいです」。まだまだ津南でやりたいことはたくさんある。     (2020年4月18日号掲載)

 

「じっくりと描きたい」とキャンバスに向かう原さん

創作絵画にも取り組んだ「珍客」

「好きだから描く」、思いはひとつ

 定年退職後の第2の人生。その人生を趣味に生かしているひとりが原進さん(82、稲荷町)。8畳の和室一面にブルーシートを敷いたアトリエに一歩足を踏み入れると、プーンと油絵の具の匂いが漂う。

 「子どもの頃から絵を描くのが好きだった。だからきものの図案描きの道を選んだんだ」

 旧小国町出身。柏崎の高校を卒業後、十日町のきものメーカーに就職した。本格的に絵画に取り組んだのは、退職後の60歳を過ぎてから。県展無鑑査作家で二科会などで活躍した阿部正明氏の絵画教室の門を叩いた。

 「デッサンなどしっかり学ばせてもらっている。毎年5〜10月の間、週1回の教室だけど、今も在籍しているんだ。どんな道も同じなんだろうけど、絵画も奥が深い」

 教室に通い始めると、技術もぐんと上がり、十日町市展では次々に入賞し無鑑査に。二科会新潟展で新潟市芸術文化振興財団賞を受賞したこともある。しかし公募展への関心は薄く、もっぱら自分流で作品づくりに取り組んでいる毎日だ。

 「展覧会に出すのではないので、今は8号位の大きさが大半。この程度が自分に合っている。歌い手とか、どの曲が、というのはないんだけど、演歌を流しながら鼻歌気分、口ずさみながらで描いているよ。自分の性格から、あまり外に出るとか人に会うということが苦手なので、もっぱらキャンバスに向き合っている」

 カメラを担いで風景や草花を撮って題材にしたりしているが、最近は静物画が中心。

 「ちょっと細かく描いてしまうのが自分の欠点。もっと大胆に描いてみたいんだけど、つい…。大胆に描いた絵はコクがあるんだよなぁ」

 昨年6月に油彩28点、水彩2点を展示した個展を十じろうで開き、十日町情報館で3人展、津南町のギャラリー泉などでも作品展を開くなど、80歳を過ぎても精力的。

 「元気なうちは描いていきたい。楽器や果物などの油彩の静物画が中心だけど、今年はバラの花にも挑戦している。近所に咲いていたバラを見ていたら、いやあ、これが綺麗だったもんで」

 自分の世界に浸りながら、好きな絵を描く。

 「いつかまた、作品がたまったら個展でも開くさ。でも個展や展覧会のために描くんじゃないんだ。好きだから描く、その思いは変わらないな」

                          (2020年4月4日号掲載)

風景画は少ないが、その中のひとつ「白馬」

比較的多く描いている静物画のひとつ「収穫祭」

​初代の福原松治さん(中央)が米寿、親子三代で菓子職人60年を重ねる(29日)

 親子3代、津南町で60年続くパン・菓子店『松屋』。初代の福原松治さん(87)、長男で2代目社長の昇さん(60)。そして13年前に故郷に戻り、現在は専務の孫・歩さん(36)。それぞれが持つ技術を生かし、味やこだわりを受け継ぎながら「美味しいものを届けたい」と日々パンや菓子作りを続け、地域に愛される店となっている。

親子三代60年のお菓子屋さん 松屋

 戦後の昭和25年、18歳の松治さんは東京の菓子店で働きながら、資金を貯め3年後にパンの専門学校に入学。基礎技術を習得し大手パン会社就職後、故郷に戻り、松之山出身の妻・サダさんと結婚。合わせて昭和33年に松之山温泉街に小さな菓子店を開いた。その後、津南町中央部に空家が見つかり移転。昭和35年、『松屋』が開店。それから60年。昇社長は「父は『俺がやるからお前手伝え』と言う感じ。午前2時半にはもう仕事して昼も働いて夜もまた1人で工場にいたり。人の3倍働いていました」と振り返る。松治さんが作ったヒット商品が『山ぶどう羊羹』。12年前の全国菓子大博覧会で4百点余の中から最優秀賞の『栄誉大賞』を獲得。その味は、いまも守られ続けている。

 2年程前から父・松治さんは工場に出ることはほとんどなくなり、今はたまに作業に顔を出すぐらい。「経営にも口を出しません。逆にそれでよかった。同じようなことはできないから」と昇さんは笑う。商品の質にこだわり続ける姿勢を受け継ぎながら、昇さんが掲げる経営理念は『自ら考え、自ら動く』。全員がすべてこなすのではなく、和菓子、洋菓子、焼き菓子など部門ごとに商品を扱う形に変更。各部門の充実を図った。「新しい発想が部門ごとの方が生まれやすいと思っています。働いてくれる皆さんの力でやっていけている」と感謝。地元・津南始め十日町市など徐々に販路を広げ、5年前からは南魚沼市の道の駅・雪あかりやスーパー、湯沢にも商品を出すようになり、松屋ファンは拡大中だ。

 昇さんの長男の歩さん。大学で経営学を学び、その後は和菓子の専門学校に2年通い卒業後に実家で働く。菓子職人となり13年目。和菓子を中心に製造に関わる。「前より周りが見えるようになり、責任の重さを改めて感じています。前は自分の作りたいものを作ってましたが、でもいまは少しはお客様が求めるものが出せるようになったかな」。家族の誰よりも早く起き、午前1時半に工場に行きその日の準備を始めることも。「常に美味しいものを、というこだわりは会長の時からあり、それが60年続いた要因のひとつだと思っています。会長はアイデアマンでしたが、自分はまだまだ。頑張ります」。祖父、そして親の背を見ながら、職人として前に進んでいる。

    ◇◆◇

 先月29日にニュー・グリーンピア津南で行った、創業60周年を迎えた記念式と松治さんの米寿をお祝いする会。「今後とも、津南の皆さんに愛される店となるよう、お願い申し上げる」と、松治さんは満面の笑顔で語り、米寿を迎えたことを家族や従業員20人余と共に祝った。

 今回の『松屋60周年記念』は、昇さんの妻・清美さんがプロデュース。当日は米寿のお祝いである黄色い帽子とちゃんちゃんこも用意。着てみると「会長、可愛い」と従業員らから写真攻めを受けていた。創業60周年の祝いの日。昇さん・清美さん夫妻、そして歩さんと妻の智美さん、ひ孫で5歳の幸ちゃんと共に写真に納まり、いつもの笑顔を見せていた。

                          (2020年3月14日号掲載)

自作のアンプ類と「手作りのオーディオの会」の関口義男会長

手作りオーディオ、魅力を極めて 十日町市・関口義男さん

 真空管に電気が通り、光を放った時の感動。「聴くだけ」「眺めるだけ」「作りたいだけ」と手作り

オーディオの魅力は人それぞれだが、無心になって作る姿は、子どもたちがプラモデルづくりに嵩じる姿と何ら変わらないようだ。

 地域で唯一の「妻有手作りオーディオの会」を2年前に発足、代表を努めていのが関口義男さん(61、十日町市川原町)。 そもそものきっかけは中学時代、父親がラジオのケースをオーダーで制作していたことなどもあり、不要となったラジオを分解して楽しんでいたことなどが『原点』。高田工業高(現上越総合技術高)で建築を学んだが、興味は電子機器で建築科の学生では初となるアマチュア無線部の部長を努めた経験もある。

 手作りオーディオに熱を上げたのは、8年ほど前にサーモスタット付のハンダごてを手にしてから。キット製品の購入から始まり、ネットで同じ愛好者との交流も始まった。今では回路や基盤などを含めソフトも自分で設計し、製作する。「1台あたり完成させるのに設計から3ヵ月ほどかな。材料費だけで5、6万円といったところ」。トランジスタもあるが、中心は真空管を使ったプリ・メインアンプ。これまで製作したのは10台ほどになる。真空管は中国やロシア、チェコスロバキアなどで生産されているが、「いま使っているのはロシア製が多い。『あの真空管はいいよ。ぜひ使ってみてくれ』など、仲間内では真空管の話で盛り上がるよ」。

 関口さんの関心は、完成後の音よりも『音の精密さ』。「音が揺らいでいないか、耳でなく測定器で調べるのが俺流。ちょっとした配線の調整でも変化するんだ」。『男の部屋』には棚に積み上げた測定器が何台も並び、まるで大学の研究室といった印象だ。

 次に製作を考えているのが真空管『KT88』を使ったメインアンプ。「憧れの玉。手元に8本買ってあるので、後はとりかかるだけ。必要な部品は毎年、少しずつ集めている。作るのが楽しみだよ」。

 手作りオーディオの会は現在、メンバーは12人ほど。偶数月の第1木曜日、午後7時半から市民活動センター・十じろうを中心会場に定例会も開いている。宇都宮や横須賀、横浜などで開かれるオフ会などにも積極参加して交流、趣味の輪を広げている。「興味がある方は、ぜひ仲間に」。

 問合せは関口さん℡070-4197-9375。         (2020年3月7日号掲載)

執筆した樋口会長と冊子、トイレットペーパー

支え支えられ、福祉の事業17年

 「まったくの素人が17年前に福祉の世界に飛び込み、どうにかこうにかたどりついた。その過程は、大勢のお客様と利用者さんから、逆に私が支えられての今日です」。障がい者の自立をめざし、就労支援事業等を平成14年から続けるNPO法人支援センターあんしんの樋口功会長(70)は笑顔をみせた。

 樋口会長が福祉事業に取り組むきっかけは、三女が幼少時に交通事故で重度の知的障がいを負ったことだった。養護学校卒業後は行き場が無く、妻が自宅で付きっきりで介助。さらに義母の介護まで必要になり、妻は過労でうつ状態に。重度の障がい者に適した施設が当地域に無いことから「自分で作るしかない」と思いが募り、最初は自身が経営する会社の工場の四畳半で三女を含めた利用者二人の『見守り』から開始。合わせて各地の福祉先進地やNPO福祉工場など視察するなか、障がい者がいきいきと働く姿をみて感銘しNPOを設立。『あんしん』と名付けた。活動資金は福祉に思いを寄せる人々が寄付。公的支援は一切受けず、小規模作業所『ワークセンターあんしん』がスタートした。

利用者の仕事を作ることが樋口会長の使命だったが、そこで着目したのが誰もが毎日使うトイレットペーパー(TP)の製造販売。中古製造機の提供を受け、事業が軌道に乗り始めた頃に夢を砕く中越大震災が発生し工場は大規模半壊に。存亡の危機をインターネット上で訴えると、製紙メーカーが中古TP製造機を無償提供するなど、全国から500件余りの支援が寄せられ同センターは再建。さらに全国からTPの注文が舞い込んだ。

 同NPOは現在、ランドリーや福祉給食作業所、重度障がい者サポート、グループホームなどと事業の幅を広げ、これらに関する障がい者の登録数は約160人、それを支えるスタッフは高齢者を中心に約150人。一方、障がい者の平均工賃は、厚労省の平成29年度調査で就労継続支援B型事業所は全国平均が月額1万5603円。同センターは平均月額2万4千円にのぼる。だが樋口会長は「障がい者年金(2級者で月額6万5千円)に加え、自立のため工賃4万円実現をめざし、TP売上を倍増させたい」と目標を掲げる。なお『あんしん』では電話一本でTPを配達しており、かさばるTP配達は山間地の高齢者世帯などで喜ばれている。十日町市、津南町など魚沼圏域はTPの配達費は無料。

     ○

 そんな樋口会長の福祉への想いと歩みを記した小冊子『NPOあんしん・はじまりの物語』がこのほど発刊。この中には『全国各地に障がい者TP工場を開設する支援を行うことで障がい者の笑顔を全国に広げたい』という究極の願いも記載。樋口会長は「ちょうど古希の70歳を迎え、始めた頃や苦しかった日々も振り返り、力が足りずまだまだやり残したことがたくさんある。初心に返って頑張ろうと、自分自身の決意を再度固めるべく発刊した。あんしんにはこんな歴史があったんだと知って貰い、障がい者福祉への理解をさらに深めて頂ければ幸いです」。オールカラー14㌻で、販売価格は3百円(税別)。ワークセンターあんしんで販売中。TP購入を含め問合せは℡025‐755‐5621、担当の島田さんまで。

                          (2020年2月29日号掲載)

2月1日からオープンの「宅幼老所きぼう」と半藤代表(22日、栄村で)

「最後まで​自宅で過ごすお手伝いを」

 民間主導で来月1日から本格営業が始まる、栄村白鳥の共生型小規模多機能型居宅介護施設「宅幼老所きぼう」。運営は3年前に設立した、一般社団法人きぼうが行う。村社会福祉協議会が行うディサービス事業への人材派遣と共に、新たに高齢者や障がい者を受け入れる福祉施設への取り組みを始める。代表理事を務める半藤則子さん(58)は「認知症、要介護など、困りごとを抱えていてもこの村、住み慣れた地域で住み続けられるお手伝いができるようになればと思っています」。名称の通り、村の『きぼう』となり人口1800人の村の将来を支える福祉拠点化をめざす。 

 栄村で生まれ育った半藤さん。飯山北高卒業後は看護師の道を選んだ。原点は、20代後半で亡くなった親戚の看護師がいたこと。「中学生の頃です。亡くなった後『生きていた頃お世話になりました』などと書かれた手紙が届いたんです。その手紙を読んで、看護師は人のためになる仕事なんだと漠然と思いました」。手に職を付けたいと言う強い思いがあり、長野市にあった国立東長野病院付属看護学校に進学。看護師免許を取得。卒業後は駒ヶ根での病院勤務1年間を得たあと、故郷に近い飯山日赤病院で23年間働いた。

飯山日赤時代、病院に少し違和感も感じていた。「高齢者が病院で亡くなるのは当たり前だとも思っていましたが、呼吸器など機械を付けながら亡くなってしまう方を見た時、これまで一生懸命頑張って来た人が、機械だらけになって最後を病院で迎えるのが本当に幸せなのかな、という感覚がありました」。自身の病気により退職、いちど故郷に戻り、その後誘われて飯山市で訪問看護の仕事に。そこには病院とは違う世界があった。「体が不自由になってしまった方がいて、その人の家族がいる。そんな実際の暮らしが見える家を看護師として訪問させて貰うなかで、病気があっても自分の家で暮らせることが、特に高齢者の方には必要になるんじゃないかと感じました」。自分の中で、看護の道と福祉の道が交差した。その後、平成18年に栄村にオープンした特別養護老人ホームに勤務。施設長も務める。入所者と触れ合うなか『家に帰りたい』と言う声を聞くこともあった。

 栄村直営で行っていたディサービスを村社会福祉協議会が業務委託を受けることとなり、その福祉人材を派遣する団体『一般社団法人きぼう』を3年前に設立。ひとつのねらいに、村内の福祉人材を育てることがあった。「ディサービスが民営化されるのを契機に、これまで下駄ばきヘルパーでこの事業を手伝って来た方が、ちゃんと仕事として福祉に関われる環境が必要だと思って」。団体名は「栄村は人が減り高齢化の村ですが、もっと前向きに希望が持てる村になればという感じで付けました」。設立の頃から独自の『宅幼老所』の新設も構想していた。

新たな挑戦がいよいよ2月1日から始まる。「社協への人材派遣でスタッフのスキルを上げ、宅幼老所では利用時間を柔軟にしながら対応し、福祉相談も受けます。福祉スタッフが育つことは、住民が地域に住み続けるためにも大事なことでもあります」。めざすのは『地域の身近な福祉拠点』だ。「小さな村だからこそ、住民一人ひとりの顔が分かり、きめ細やかな支援や介護サービスを受けることで、住み慣れた地域で家族や顔見知りの人たちとずっと最後まで暮らせることができると思っています」。さらに「誰でも高齢者になるし、障がい者になってしまうかもしれません。だからこそ、認知症になっても障がいがあってもこの村で暮らせる安心感を作り出したいです」。仲間と共に、新たな一歩を踏み出す。

                          (2020年1月25日号掲載)

昨年9月、初の市内展を開催した​中町さん(右)。中央奥は女優の吉永小百合着用の着物

綾瀬はるかさん着物デザインも 

 着物制作に携わり42年。都内で工房「きものアート」を経営する中町正芳さん(61)は「振り返れば人の縁に恵まれた人生でした」と語る。

 中町さんは十日町市下条出身で友禅師であり染織デザイナー。大晦日のNHK紅白歌合戦で司会を務めた女優の綾瀬はるかさんが着た、赤い地に大振りの白い梅をあしらった振袖は中町さんがデザインし制作した。「地色は真紅を使い、綾瀬さんの長身を活かしてステージで映えるよう白い梅は大きくした。華やかでバランスよく仕上げたつもりだが、よく似合いイメージどおりだった」。中町さんには女優の吉永小百合、室井滋、武井咲、歌手の椎名林檎、狂言師の野村萬斎など多くの著名人からオーダーがあり、様々なメディアに載っている。

 多忙で時間が無い女優らの注文を受けるには、打合せ時から素早く対応する『クイックレスポンス』の能力が重要だという。「女優や関係者、広告代理店などとの打合せでは、私はその場で絵を描きプレゼンし、価格と納期まで決め、速攻で仕事を進めていく。京都など遠方では時間的に無理だろう。工房が東京という地の利も活かしている」。綾瀬さんの振袖は昨年11月30日頃に注文を受け、納品は先月20日、仕立てに回し綾瀬さんの試着は27日という慌ただしさだった。

 中町さんの創作の原点は故郷十日町。18歳で市内の着物メーカーに勤めたが絣の型紙を切る「型切り」が仕事。しかし、会社は1年程で倒産。「絵を描きたい」という思いが強く市内の職業訓練校に入り染色とデザインを学ぶ。「いろいろなことを身に付け、それが今に役立っている」という。夜は型友禅の会社でアルバイトをしたが、そこでは手描き友禅の技法も教わる。訓練校修了後は加賀系友禅の工房に就職し、本格的に緻密な手描き友禅に取り組んだ。

 だが、そこで転機が。両親の離婚で母と共に東京に行くことになり、工房の社長に相談すると「私の師匠が東京にいる。そこへ行ってみるか」の答えに中町さんは即決した。きものアートの先代社長・大島明さんに師事することに。21歳だった。「家庭の悩みも無くなり、仕事に打ち込んだ。親への甘えも断ち切り覚悟が決まった」と友禅に没頭する。

 十日町出身の大島さんからは「友禅を描くマシンではダメだ」と技法だけでなく、原材料や流通の仕組みなど自分たちが関わるすべてを教わった。「それを知らなければ自分の着物に値段すら付けられない」と。その後、中町さんは国内外を取材旅行し、シルクロードに発想を得た『絲綢之路』や亜熱帯の動植物をモチーフにした『奄美紀行』など独自のシリーズを次々と発表。42歳で工房を受け継いだ。個性的な作品は評価を受け、女優のスタイリストらは『大一番』という仕事の時に中町さんに制作を依頼するようになる。

 「私が関わった十日町の人や多くの人たちが現在の仕事の軸になっており感謝しています。常に刺激を受けながら、必要とされる人間であり続けたい。70歳まで頑張ります」と力を込める。                      (2020年1月11日号掲載)

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