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オピニオン

淋し、明るい昭和歌謡が流れる

昭和の根っ子

2020.8.29

秋山郷山房もっきりや・長谷川 好文

 昭和15年6月、徴用で三沢飛行場作りに駆り出された父は空襲下で見聞きしたことを少し話すだけで戦時中のことは話さない人だった。ただ玉音放送の後「これで生き残れた」と感じたと話した。戦争を体験した人の多くは余り戦争を語りたがらなかった。母は食べるものが無くてなくてと下を向いていた。

 あの戦争は、当時の庶民には思い出すのも辛い体験だったのだ。国の為に全力で戦いながら死んで行った戦友たちの無念さだったのだ。昭和の歌はそんな人々の心のよすがであるのかも知れない。曲を口ずさんでは心の奥のところで戦時中をひとり思い出して結着を付けていたのだろう。

 そんな昭和の歌を聴くにつけ多くの歌手や既に亡くなった人たちを思い出す。彼らは外地や内地でどんな思いで生きて来たのだろうかと?その一曲一曲に思いを馳せるには今年の長い自粛が役に立った。

 昭和30年頃まではラジオから昭和歌謡が流れていた。松島詩子の「マロニエの木陰」東海林太郎「国境の町」淡谷のり子の「別れのブルース」霧島昇「旅の夜風」菊池章子の「星の流れに」二葉あき子「夜のプラットフォーム」…そのどれもが忘れられない時代の雰囲気にあふれているようだった。帰らぬ人や愛しい人を見送った街角での思い出を呼び戻すように歌の中に立ち尽くして聴いていたのだろう。

 今年も75回目の終戦の日がやって来て8月15日の式典ではおざなりな挨拶と決意が表明され、テレビからお決まりの放送が流れている。「沖縄」「広島」「長崎」の式典も同じようなものだったと感じた。

 戦後どれだけ長い時間が過ぎて行っても、きれいごとの言葉にすり替えることの出来ないものがある。昭和が平成、令和と時代の呼び名が変わっても、そこに昭和を生きて来た人の汗と血の根っ子が伸びていなければ戦争で亡くなった350万の戦没者はどんどん遠く忘れられていくしかない。

 昭和が明治、大正を生きて来た庶民の思いの根っ子を繋いでいたように、現代でも昭和の根っ子は伸びて来ている。「歌は世につれ、世は歌につれ」と言われるように私達は今を生きながら学び感じなければならない「昭和」がある。

 赤紙一枚で持て行かれ逢うことも出来なかった伯父たちの写真を眺めながら、少し度が過ぎた酒に酔って頭のなかをグルグルと昭和の淋し、明るい歌声が流れて行く…。

 

 画面に目をやると今、平野愛子が「港の見える丘」を唄い終わって頭をさげた。

マイナ5000ポイントに挑戦、だが…やっぱり…

マイナンバーカード

2020.8.22

清津川に清流を取り戻す会・藤ノ木信子

 国民総背番号制と言われるマイナンバーは、徴税の公正実現、国民の利便性、行政の効率化を目的に個人情報を管理する12桁の番号だ。私的には国がちゃんと情報管理できるのかな? と疑問で、ICチップの入ったマイナンバーカードを作らず、送られてきた紙の通知カードのまま4年間放ってあった。

 カード普及率は6月時点で16%、約1億人の国民は未だにカードを作成していない。管轄している総務大臣も官房長官もマイナンバーカードの電子申請を使ったことがないらしい。低い普及率は住基ネットの時と同じく失敗政策だが、総務省はマイナンバーカードとキャッシュレス決済推進を兼ねて、カードで申し込みするとキャッシュレス決済で最大5000ポイント付与されるマイナポイント予約を7月から始めた。

 「5千円欲しかったらカード作って手を挙げな」という早い者勝ちのできる人優遇事業で、「馬鹿にするな! 信頼できる政府ならカード作るよ」と思っていた。が、一方で私自身は三歩歩けば「あれ? なんだっけ?」と物忘れ、家中に大人の眼鏡を置いてないと字も読めず、いくら強がっても近い将来、誰かに管理してもらう老いをひしひしと感じている。

 そこで頭を切り替えて、スマホすらうまく使えないおばちゃんが総務省の政策に挑戦する(カードを取得してマイナポイントをゲットできるか)という実験を敢えてやってみることにした。

 いやいや、5千円に釣られたわけじゃないよ、これ以上年を重ねたら面倒なことができなくなるからよ…実は高齢者予備軍だけでなく、若い人たちにこそ「解らないことは面倒くさい派」が多くなっていて、日頃からポイ活(ポイントを貯める生活)していない人はマイナポイントを面倒がる。解る人だけに餌を撒く事業なのだ。

 スマホ下手な私が総務省のサイトを見ながらやってみた結果、画像を送信し、市役所でカードを受け取るところまではなんとかできたが、マイナポイントの予約と申請はWiFi環境の悪さで躓き、スマホの機種で違うやり方に手間取って時間がかかった。誰でも予約できるようにサポートする仕組みが欲しい…ってこれもガッポリ手数料を中抜きして他社に丸投げするD通が委託された仕事だっけね、どおりで…。

 さて、総務省が安心で便利というマイナンバーカードが手に入ったが、私の場合やっぱりセキュリティーが心配だし、健康保険証としても納税手続きにも利用しないので、通知カードの時と同様にしまい込んで、暗証番号も忘れてしまうんだろうなぁ…。

体験を伝え続けるために

戦後75年

2020.8.15

自由人・斎木 文夫

 今年は「終戦75年」の年です。「75年」とは、戦争体験が伝わらない時代になりつつあるということです。

 3年前の9月、沖縄戦で「集団自決」のため85人が亡くなったチビチリガマが荒らされました。後日、犯人は沖縄の少年4人と分かりました。

 沖縄では平和教育が盛んで、戦争の体験を聴くこと、現場を訪れることが大きな効果を生むと考えられていただけに、県民・関係者は強い衝撃を受けました。

 祖父母でも戦争体験がない世代には、学校での平和教育が身につきにくいのかもしれません。

 戦争の本当の姿を知ることが、平和を望むことの第一歩です。戦争体験を語り継ぐことを、もっともっと広めていただきたいと願っています。

 あの戦争を体験し生き延びた人々は、若くても80代後半。健康面で不安のある方、記憶が薄れている方もおありでしょうが、体験を語れる方は、どうか次の世代に伝えてください。

 「つらい思い出なので、語りたくない」という話も聞きます。そこを何とかお願いします。苦しみを繰り返さないために、75年前の体験を語り継いでいくことが大切です。

しかし、戦争体験を語れる人がだんだん少なくなって、ついには1人もいなくなる時代がやがてやってきます。戦争体験者がいない時代に体験をどう伝えていくか、これは、社会全体の大きな課題です。

 私は、2つの方法があると思います。第1に、「体験記を読む」ことです。貴重な記録、優れた文学作品もあります。直接体験を聴くこと、現場に立つことには及ばないかもしれません。でも、それしかないのです。

 本紙で「戦後75年・語り継がねば」を連載しています。ぜひ続けていただきたいものです。十日町情報館では、今月末まで「戦後75年」のテーマ展示を設けています。歴史としての戦争を学ぶ本、個人の体験記など各種取り揃えています。ぜひ足を運んでください。

 もう1つは「体験のない世代が体験者から話を聴いて伝える」ことです。親の戦争体験を語り伝えていく人が増えていますし、広島の被爆体験を聴き取る高校生の活動が注目されています。

 若い世代では、生で語るだけでなく、SNSを使うなど、伝え方にもいろいろ可能性が開けそうです。

 それらは、個人の活動でなく、社会全体の運動として行われるべきです。   

 世の公民館職員の皆さん、どうお考えですか。

三人三様の形

「保護者」に付き添われて

2020.8.8

元ゆずり葉編集委員・松崎 房子

 先日、夫が息子に付き添われて車に安全装置を取り付けに行った。夫86歳、私80歳の高齢者夫婦を、子どもたちは少なからず心配し続けていたのだろう。我が子三人三様の形が面白い。

 十日町を離れ母と同居するために千葉へ来た。20年近く前の話なので、当時はまだまだ運転を止める日が来るなどと考えた事もなく続けていた。千葉市の東の端の緑区に住んでいたが、5年前に中央区へ転居した。長女はそれを機に運転はやめさせたかったらしく、「便利な所へ引っ越したからもう車は要らないよね」とそれとなく釘を刺す。 次女は高齢者が事故を起こすたびに、厳しい口調で説得にかかる。ブレーキとアクセルを踏み間違えたとか、高速を逆走したとか、センセーショナルな報道が続いた。理路整然と達者な口で有無を言わさず攻めてくる。

 便利な処に住んでいても車を使用できるのは重宝で、そう簡単には決心がつかない。そのうえ、2〜3年前からご縁があって、県庁へ通う仕事で送迎してもらっているので、運転は出来ない癖に乗せてもらっている私が一番恩恵を受けている。

 その次女の泣かんばかりの激しい口調は抗しがたく、口下手な私はとても太刀打ちができない。激してくると縁も切られかねない。たじたじで、もうやめなければダメかなと弱気になる。当の夫も運転をあきらめるには、残念至極の様子。もう一回更新したらやめると言い、遠出はしない、慣れた道しか走らないを約束する等々、説得に全力を尽くす。しかも運転を続ける事で神経を使い、頭脳を刺激する事になるとも言う。

 攻防の果て、安全装置を完備した新車に買い替える気もない私達に、子どもたちはラインとやらで連絡を取り合って、後付けできる装置を付けることを実行に移して来た。

 そして県内に住む息子が我が家に出向いてくれて、私でも知っている大手の車関連の店に行って取り付けてくれた。それもこの時期、感染を気遣って、人出の多い店に夫を連れていく事をためらって、自分だけで行ってくるつもりのようでもあった。

 当時者を連れて行かないのはおかしい、と私の申し出もあって2台で出かけて行った。自分でも意外だったが、自分達の老いをもっとみじめに感じるのでは? と予想していたが、そうではなく、うれしく思える自分たちがいた。

 いままでは我々がいろんなことに付き添い、保護する側にいたのが、それぞれ大きくなったものだとの感慨の方が大きかった。それもそうだ、49歳、55歳の社会人なのだから、当然だが。一方、保護される立場になったことをすんなり受け入れている自分たちが意外だった。安全対策をしたからと言っても、絶対ではない事は肝に銘じて。

Go Toトラベルキャンペーン、いま?

疑問、疑問の国政策

2020.8.1

会社員・村山 朗

 緊急事態宣言が解除されはや2ヵ月、コロナ終息のめどが立たない中、不安な心持ちの毎日です。   

 自粛、自粛では経済が持たないとGo Toトラベルキャンペーンなるものが始まりました。この国の統治機構はどうなってしまったのだろう、と思うほどのドタバタが繰り返されています。アベノマスク(あきれたことに6月になんと8000万枚を追加発注した!怒)の現政権の支持率が右肩下がりになるのは分かるとして、では一体誰にこの国を託せばいいのでしょう。野党? 絶対ムリ! かつては政治家がだめでも官僚がしっかりしているから安心だ、と言われたものですが、その官僚も全くグズグズです。

 後付けで東京が除外されたこのキャンペーン、コロナが下火にもなっていない今やるべきなのでしょうか。観光産業が国内総生産(年間約500兆円)に占める割合は約5%と言われています。年間約25兆円、この半年で80%減とすると10兆円の減、このキャンペーン1・1兆円の補助をテコにしても何とかなる数字ではありません。どうしてもやるというのなら、コロナ終息のめどがつくまで体力に合わせた補助金を、国から直接業者に給付するのが筋ではないでしょうか。

 今や日本の産業で世界的に競争力があるのは自動車産業ぐらいで、かつての製造業の勢いは全くなくなってしまいました。政策的にその穴を埋めるべく、外国人観光客何千万人を目標に、観光を振興しようと頑張ってきましたが、結果的には隣国の観光客を頼りにする一本足打法で、コロナの故郷から観光客が来なくなれば、この有様です。

それも隣国に気兼ねしてか、我が国を閉じるのを躊躇しているうちに蔓延してしまいました。それでもその国の独裁者を国賓として招くのを未だに中止していません。あろうことか、その隣国はコロナ禍のさなかに我が国の領土に頻繁に手を出しています。隣国の兵法書三十六計には、敵に繰り返し行動を見せつけて見慣れさせておき、油断を誘って攻撃する、ということが書かれているそうです。正にその通りではありませんか。筆者ごときが、国の政策を論じても所詮蟷螂の斧ですが…。

 それはさておき、暑い夏にマスク着用を強いられる生活で心配なのは熱中症です。この6月の熱中症による救急搬送者数は、すでに昨年の同時期の人数を超えているとのこと。外出時にはマスクをつけ、三密を避け、睡眠と水分(ビールは水分ではないそうです 笑)を十分に取り、自己防衛に努めましょう。

注目される「ペロブスカイト太陽電池」

有機質を使った太陽光発電

2020.7.25

経済地理学博士・清水 裕理

 コロナウィルスや豪雨などの災害のニュースを見るたび、食などの生活に必要なものを地域で作り地域で消費する「地産地消」が重要と感じます。そして、「エネルギーの地産地消」も重要と思いました。

 なるべく地元で入手できる資源を使い、半永久的なものをと考えると、「太陽光」が注目されます。太陽光のような自然エネルギーには、他にも風力やバイオマスや地熱や水力があり、地域特性により適するものがあります。一般的には、太陽光は、比較的安定し、施設や運用にかかるコストが少ないと言われています。

 太陽光発電などの再生可能エネルギーを広めるため、日本では国が固定価格買取制度を制定し、それによって全国の遊休地や各家庭に多くの太陽光発電の施設が設置されました。ところが、その制度が負担増などで改正され、今後、施設設置者の採算がとれるか心配されています。税額控除の支援策が良いのではないかという議論もありますが、それはさておき、太陽光発電が広まるスピードにかげりが見え始めています。

 一方、世界に目を向けると、自然エネルギーの導入は、ドイツでは太陽光を中心に全エネルギーに占める割合が約40%で、アメリカでは州政府単位で進んでいます。Appleは、これから作る電子デバイスについて、その部品を調達する企業にRE100(事業運営を100%再生可能エネルギーで調達すること)にしてくださいとしています。

 そのようななか、新たな太陽光発電の技術である「ペロブスカイト太陽電池」の研究が、世界に先駆けて日本で行なわれていることを知りました。ペロブスカイトはまだ聞き慣れない言葉ですが、2019年に世界で最も注目される研究テーマの1位に選ばれています。材料に有機質を使い、今までのシリコン系などと比べると、材料費は安く、材料を塗付することで、あらゆる場所に取り付け可能になるとのことです。

 技術は、性能・価格・需要の三拍子が揃うことで広がり、人々の生活に役立つものとして登場することが期待されます。そのために、多くの研究者やものづくり現場の人たちなどが日夜努力し、世界レベルの競争の中、地域課題の解決のためにと頑張っています。

 ペロブスカイト太陽電池は一つの例ですが、地域のためになる技術情報を幅広く集め、実際に地域に適するかを共に見極めつつ、将来に向けた準備に備えることが大切と思います。

パスカルの啓示

『反省』

2020.7.18

秋山郷山房もっきりや・長谷川 好文

 秋山では江戸から明治、戦前まで凶作と伝染病が一緒に起きて、多くの人が亡くなった。天明、天保の大飢饉では村そのものが全滅したこともあった。とくに天保の時には凶作とチフスも流行をしたという。明治に入ってからも続いた凶作で多くの人が亡くなり、明治30年には赤痢と麻疹(はしか)も併せて発生した。

そういった記憶が残っていたのだろう、戦後も世間で伝染病が起こると村の入り口に結界(修法で魔障を入れないようにした一定区域)を作って、病が入って来ないようにと天に祈ることしか出来なかった。和山の島田福一さんはそのことを覚えていた。

 その後に出された本でも読んだし、掲載された写真も見た。先に葉を残した竹を左右に立て、そこに渡した荒縄に御幣を垂らした写真だった。そういった受け身の方法で伝染病から身を、村を守っていたのだ。当時は病人には貴重な米を食べさせて薬とするしかなかった。

 今回の新型コロナが流行りだした時、そろそろ高齢者となる私としてはインフルエンザと変わりはない、罹ったらしょうがないとのん気に考えていた。

 ところが3月、4月の欧米で大流行が始まり、アメリカのトランプ大統領の発言を聞くにつけ、私ののん気さに気が付いた。トランプと同じじゃないかと。治療薬もなく医療従事者の死亡を見せつけられると、自身の気楽さを反省するようになった。「な〜に、だいじょうぶさ」とばかり無責任に言ってはいけないと…。

 客が来るわけではないのだが、アルコールを置いて菌が入って来ないように気を使っていたのだ。

 そして車で外に出る時に気がつくと対向車のナンバーを窺うようになっていた。同時に、そういった自分の目がどうも納得できないと感じた。他所から来る人は皆保菌者だとでも見ている目だった。それはある意味、差別にもつながると感じた。

 世の中は予測の出来ないことばかりで、ウイルスだけじゃなく災害や経済、先のことは誰にもわからないのだ。世界は脆弱な逃げ場のない淵を進んでいる。

 自分のこと、他人のことを一緒くたに考えることは出来やしないが、自分だけが被害者にならなければよいということではない。情報を正しく判断して、他者に気を使って、結果を恐れないで生きて行くしかない。答などありはしないのだし、江戸や明治に「結界」を作って流行病の侵入を防ごうとした先人の祈りの姿勢を裏付ける人間の強さと個々人の節度を守る生き方しかないのだ。

 私は「な〜に、だいじょうぶさ」というのん気さを反省しつつも、パスカルの言うように、「人はひとりで生まれて来てひとりで死んで行くのだ」と感じていればよいと思うことにした。

川は全ての流域の命を担っている

維持流量発電構想を思う

2020.7.11

清津川に清流を取り戻す会・藤ノ木信子

 本紙6月27日付の新潟市・加藤功さんの投稿「次世代のために誇れる信濃川を残すために」を十日町市民の皆さんはどう思って読まれたのかなと考えている。

 十日町市はつい最近まで水力発電のために信濃川も清津川も酷い減水区間で渇水に苦しんだ。先達の地道な活動の末にやっと一定量の水が戻って上下流が繋がったのに…と私は思っている。

 宮中ダムの維持流量を利用する発電については下流の水量は変わらないと言われても、川の生き物にとっては障害物であり、川が運ぶ土砂や栄養を止めるものだ。

 落差のない40㌧の維持流量発電をするなら、その分、省エネ化を進めて節電したほうがいい。  そもそも維持流量でわずかな発電を要するほど電力は足りないのか。夏が来るたび計画停電だと騒いでいたのが嘘のように、原発が停止していても電力は余り、政府は効率の悪い石炭発電所を止めると言い出した。

 

 

 土砂堆積の解決方法は見つかったのか? 清津川上流の東京電力清津川発電所(昭和34年〜)では取水口が大雨のたびに砂利で埋まって十分な取水ができない。化石燃料を運んで、重機でガラガラと河原を掘り返して溝を掘りやっと取水している。殺伐とした河原を見ると「これがエコなエネルギーか?」と思うが、それでも東電は発電機を新調するという。

 電気事業者による再生可能エネルギー電気の調達に関する特別措置法(FIT法)のせいで発電が止められない。水の一滴は金の一滴という経済動物の哀れ、どうして川に当たり前に水が流れていることを良しと思えないのか…川の水を電力資源として見るのは、人間の所有物と見なしているからで、経済的な豊かさを幸福と思い込んでいるからだ。

 エアコンが部屋の温度を調節し、IHが料理や風呂の湯を管理し、スイッチ1つでレンジでチンできる暮らしは快適で便利だ。でも、炎の揺らぎや薪のパチパチはぜる音に安らぎを覚えたり、コトコト煮える料理に充足を、そよそよ葉を揺らす風に心地よさを感じるのは何故だろう。 

 便利になるほど、たかが電気のために大事なものを見失ってしまう気がする。

 人は自然と共生して幸福を感じるのではないか? 風力発電も太陽光も燃料電池も技術が向上し、世界は新しいエネルギーにシフトしている。

 再生可能エネルギーだからといって水力発電のために川を断っていいのか? 蕩々と流れる大河に小魚が群れ、鮭が遡り、鴻鵠が渡る様を次世代の市民が眺めていることを願う。川は全ての流域の命を担っている。

砂利が堆積する清津川ダム取水口(2019年11月25日)

町民はどんな学校を望むのか

津南中等校、これからが本番

2020.7.4

自由人・斎木 文夫

 津南町がなかなかにぎやかだ。津南中等教育学校と、副町長人事で盛り上がっている。津南中等校存続問題は県教委の方針転換で一難去った感があるが、ここ1、2年は津南町の踏ん張りどころである。私も、津南中等校は残した方がいいと思う。しかし、存続を叫ぶ人が挙げる「津南中等校のこれまでの実績」とは何だろう。本紙でやたらと見かける「国公立大学進学率県内3位」のことだろうか。

 50年前、私が大学入試を受けた頃は確かに「国公立偏重」の雰囲気があった。今はどうだろう。大学にはそれぞれ個性があって、国公立だけをありがたがる時代ではないように思う。

 津南中等校でも、国公立大学進学者ばかりでなく、ほかの生徒の生活と進路にも目を向けてもらいたい。大切なのは、いつだって、一人一人であり、全員ではないか。

 津南中等校のホームページにも「6年という月日をかけて、一人一人が『夢』を見つけ、 それを『実現』することを目指しています」とある。

 「6年」と言えば、6月27日付け本紙1面の見出しに「6年間の一貫教育、それが魅力」とある。その号にはそれ以上の説明がなかった。一貫教育の中等校にしかない魅力があって、それをちゃんと説明できたら、津南中等校を残す大きな理由になるに違いない。

 しかし、「いい学校」なのに入学志願者が少ないのはなぜか。町長は「広域を含めて地域のニーズがあるのかどうかということも考える必要があり」と話している。

 広域ニーズ調査とは別に、地元で津南中等校を選ばなかった生徒と保護者からその理由を聞いた方がいい。少子化、通学困難といった通り一遍でない理由、地元であえて津南中等校を避けた理由を聞くことができるだろう。そうすれば、どういう学校を津南町に残すべきかが見えてくる。そこまで考えないと、ダメ県教委の後ろにいる花角県政とは闘えない。

 6月13日付け本紙の町長定例記者会見の記事が手元にある。副町長人事について記者が質問しても、町長は「様々なことがあって」と繰り返すばかりで、何を言っているか分からない。言えないこと、言いたくないことが様々あったことだけは分かる。そこを正直に話していたら、議会で「虚偽発言」と非難されることはなかったかもしれない。町民を代表して県と闘う人は、その立場に謙虚であってほしい。

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株式会社 妻有新聞社

津南支局  〒949-8201新潟県津南町下船渡丁2461-2 TEL.025-765-2215 FAX.025-765-5106

十日町支局 〒948-0051新潟県十日町市千歳町2-3-5 サンタクリエイトビル2F TEL.025-755-5227